生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

秋田、青森の旅(その3)

2016-09-14 16:24:49 | 日記
レンタカーを返すと、弘前駅から奥羽本線・五能線を走るリゾートしらかみに乗って日本海沿いをすすみました。


リゾートしらかみは、橅(ぶな)、青池、くまげらの3種類があり、乗ったのは一番新しい(2016年に作られた)橅でした。

日本海の美しい景色を見ながら一年前を思い出していました。
母と最後の旅行に行ったのは、ちょうど一年前でした。近場で温泉があって、景色のいいところ。ホテルはバリアフリーであることを条件に探し、茨城県の袋田の滝に行きました。

母は歩くのが困難になっていて、ずっと車椅子でしたが、楽しそうでした。
食事もおいしいと言ってよく食べ、温泉につかり、売店で服を買ったりして買い物を楽しんでいました。その日から一か月もたたないうちに天国へ行ってしまうとは、誰も思いませんでした。

旅行から帰ってきてから、具合が日ごとに悪くなっていきました。足のむくみが太ももまできて、ひとりで車椅子に乗ることも、ベッドの上り下りもできなくなったため、8階の部屋にはいられなくなり、1階の介護士の目の届く部屋に移りました。
それでも、最後まで意識があり、頭もしっかりしていました。末期がんの痛みが出なかったことがすごいねと、妹と話しました。母が召されたときは、妹は仕事で海外に行っていたのでした。

トンボがとんでいると、「あれはお母さんの生まれ変わりだ」と妹が言い、蝶がとんでいると、「オーママ(母の呼び名)がいる」と姪が言います。
わたしが「人は動物や昆虫に生まれ変わったりしないの」とちょっとむきになって言うと、「蝶をオーママと思ってもいいでしょ!」と姪に言われてしまいました。

この間の日曜日に名古屋から来られたH先生は、神社仏閣の多い商店街の中にある教会の牧師ですが、「柔軟に」ということをモットーとされています。
商店街で「金の大玉祝祷祭」が開催されるとき、祈祷をしてほしいと頼まれて、引き受けたというのを聞いて驚きました。金の玉を拝むのではなく、そこに集まる人、通る人たちに神様の祝福があるようにと祈られたそうです。
宗教観、価値観の違う人たちに対して、拒否するのではなく、また妥協するのでもなく、
人が作ったものに対して祈るのではないことを、地元の人たちに説明しながら、キリスト教の祈りをするとは、なんと大胆な、そして柔軟な対応なのだろうと思いました。

妹も姪も、蝶やトンボが人の生まれ変わりだと心から信じているわけではないでしょう。でも、そうだったらいいのに。そうだったらオーママがそばにいてくれるから寂しくないのにと思いたいのでしょう。その気持ちを受け入れ、認めてあげたらよかったなと反省しているところです。




千畳敷です。千畳敷駅で列車は15分ぐらい停車しました。その間に、降りて海岸まで行くことができました。



太宰治の小説「津軽」の碑が建っていました。


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