一昨日の礼拝では先週に引き続き年間聖句「神の力は私の弱さの中に完全に現れる。私が弱い時こそ私は強いのです。(Ⅱコリント12:9-10より)」について語られました。
一部を紹介させていただきます。
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リビングバイブルでは、Ⅱコリント12:10の箇所は「無力であればあるほど、それだけしっかりと、キリスト様によりすがるようになるからです」と書かれています。
弱さというのは、健康上の弱さだけでなく、劣等感やマイノリティの弱さもあります。
クリスチャンの少ない日本では、クリスチャンだというだけで引け目を感じることがあります。
日本では宗教や信仰に対する正当な評価がされておらず、ある宗教を信じる人を揶揄したり、信じることが有害または危険だという風潮があります。
イスラム圏の人は、宗教や信仰を決して馬鹿にしません。「日本の多くの若者は信仰を持っていない」と言ったら、「信仰を持っていなくて、何のために生きるかということが、どうしてわかるの?」と質問されたそうです。
イスラムの人は、神を信じることが自分の人生に意味を見出すことと考えています。
めぐみ教会には毎週600人ほどの人が礼拝に訪れますが、土浦市の人口(30万人)を考えるとほんの一握りの人数です。多くの人はイエス様を知らず、教会のことも知りません。
わたしたちは、目の前の必要があってもそれを実現することができない弱さがあります。
でも、わたしたちの弱さが何であれ、神に信頼する心は決まっています。
「今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。力や才能を見せびらかすのではなく、喜んでキリスト様の力の生き証人となりたいのです。(リビングバイブルⅡコリント12:9)」
弱さを誇るのは、私は弱いけれどキリストは強いという証人になるためです。弱いところに神さまの力が働きます。弱い時こそ強いのです。
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メッセージを聞いて弱い時こそ強いという体験をしたときのことを思い出しました
5年前、わたしのHPとブログをみたPBAのスタッフの方から連絡を受けてキリスト教番組「ライフ・ライン」に出演させていただきました。
人前に出ることが大の苦手で、人前に立つと蚊の鳴くような声でしか話せなかったわたしです。そんなわたしがTV出演なんてとても考えられないことでした。
もちろん、断ることはできました。でも、このことは神さまからきたことだから、断ってはいけないような気がしてお引き受けしました。
ライフ・ラインの撮影の直前、自分の過ちに気づかされて、ひどく気落ちしてしまいました。あまりにも気が沈んで、断れるものなら断りたいと思ったほどです。
祈っていると、自分の弱さをとことん示されました。そして、「弱くていい。そのままのあなたの気持ちを語るだけでいいのだよ」と神さまのみ声が聞こえた気がしました。
我が家にテレビカメラが入り、最初は緊張でひざが震えていましたが、途中から背中を押され、自分ではなくなったように話すことができたのです。そのとき、「弱さを誇る」という言葉が口から出てきました。
弱さを自覚するとき、神様は大いに働いて下さることを実感したときでした。
日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひごらんください。
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弱さというのは、健康上の弱さだけでなく、劣等感やマイノリティの弱さもあります。
クリスチャンの少ない日本では、クリスチャンだというだけで引け目を感じることがあります。
日本では宗教や信仰に対する正当な評価がされておらず、ある宗教を信じる人を揶揄したり、信じることが有害または危険だという風潮があります。
イスラム圏の人は、宗教や信仰を決して馬鹿にしません。「日本の多くの若者は信仰を持っていない」と言ったら、「信仰を持っていなくて、何のために生きるかということが、どうしてわかるの?」と質問されたそうです。
イスラムの人は、神を信じることが自分の人生に意味を見出すことと考えています。
めぐみ教会には毎週600人ほどの人が礼拝に訪れますが、土浦市の人口(30万人)を考えるとほんの一握りの人数です。多くの人はイエス様を知らず、教会のことも知りません。
わたしたちは、目の前の必要があってもそれを実現することができない弱さがあります。
でも、わたしたちの弱さが何であれ、神に信頼する心は決まっています。
「今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。力や才能を見せびらかすのではなく、喜んでキリスト様の力の生き証人となりたいのです。(リビングバイブルⅡコリント12:9)」
弱さを誇るのは、私は弱いけれどキリストは強いという証人になるためです。弱いところに神さまの力が働きます。弱い時こそ強いのです。
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メッセージを聞いて弱い時こそ強いという体験をしたときのことを思い出しました
5年前、わたしのHPとブログをみたPBAのスタッフの方から連絡を受けてキリスト教番組「ライフ・ライン」に出演させていただきました。
人前に出ることが大の苦手で、人前に立つと蚊の鳴くような声でしか話せなかったわたしです。そんなわたしがTV出演なんてとても考えられないことでした。
もちろん、断ることはできました。でも、このことは神さまからきたことだから、断ってはいけないような気がしてお引き受けしました。
ライフ・ラインの撮影の直前、自分の過ちに気づかされて、ひどく気落ちしてしまいました。あまりにも気が沈んで、断れるものなら断りたいと思ったほどです。
祈っていると、自分の弱さをとことん示されました。そして、「弱くていい。そのままのあなたの気持ちを語るだけでいいのだよ」と神さまのみ声が聞こえた気がしました。
我が家にテレビカメラが入り、最初は緊張でひざが震えていましたが、途中から背中を押され、自分ではなくなったように話すことができたのです。そのとき、「弱さを誇る」という言葉が口から出てきました。
弱さを自覚するとき、神様は大いに働いて下さることを実感したときでした。
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