goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心の病の癒しについて

2012-01-20 15:18:44 | その他
今年は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)60周年を迎えます。秋に行われる記念会の準備委員として奉仕させていただいています。

思えば初めてJCPの集いに出かけたのは50周年記念会のときでした。あれからちょうど10年。そのとき、テキパキ動いている委員の人たちが輝いて見えたのを覚えています。いつかわたしもここで奉仕できたらいいのに……と、思いました。

何年かたち、JCPの実行委員のひとりに加えていただきました。奉仕できることを感謝しています。
今、60周年でJCPから出版する本の編集作業をしています。

今週はそれに加えてCSメッセージ準備、分級準備、教会の小グループ読書会の発表準備、OBIのレポート作成。ネット読書会の課題本(ドストエフスキー『白痴』)を読むこと。やることが山積みです。


先日の水曜礼拝では、境界例(境界性人格障害)が癒された方のあかしを聞きました。
子どものころ受けた心の傷に蓋をして、自分でも気づかずにいたそうですが、あるとき一気に噴き出してきたそうです。

それまでは、自分の弱さを人に見せないようにしてきたけれど、鬱状態になってダウンしてしまったとき、自分の弱さと向き合うことになったと言われました。
12ステップで心の内を話し、人に聞いてもらうことで心が解放され、キリストからの応答を受けて癒されたそうです。

「魂の深いところにある本当の自分の姿を見つめたとき、顔をそむけたくなるけれど、そこにおられるイエス様が傷に触れて下さる」とOBIで教えていただきましたが、そのことなんだなあ……と思いました。


心病む者とそうでない者の区別はどこにあるのでしょう……。健全な魂と言われたとしても、完全な人間はいないので、100%健康な心を持っている人はいないのではないでしょうか。
わたしも境界例かもしれません。確かに心が病んでいる部分がありました。いや、今でもあることに気づいています。

心に傷があってもイエス様を信じたときに自動的に癒されると、かつては思っていました。でも、そうではありません。イエス様を信じていても、心病む人は多いのです。

ただ、イエス様を信じ傷をみつめたとき、癒しが始まるのだと思います。でも、傷に蓋をしてしまっている場合、そしてそのことに自分で気づかないときは難しいですね。
深い心の傷は、簡単には治りません。時間がかかります。でも、必ず治ります。

15年前の自分の心を思い出してみると、確かに病んでいました。他人から欠点や過ちを指摘されると、全人格を否定されたように思って異常なほど傷ついていました。それは、劣等感から解放されていなくて、自分が人間的に欠けた者だと思っていたからです。

また、母親から嫌われることへの恐怖を幼いころから抱いていて、それがずうっと続いていました。結婚して何年たっていても母親に叱られる夢をよく見ていました。

10年ぐらい前までは、体が弱いことが受け入れられなくて、悲しんでいました。
感情が不安定で、ときどきわけもなく虚しくなったりしました。

でも、今は、劣等感からも、母親の恐怖からも解放され、病も弱さも受け入れられて平安が与えられています。

カウンセリングを受けたわけでもないのに、どのようにしてそうなったのでしょう……。いつ、どこで、どのようにして、なぜ癒されたのか……思い巡らしていますが、はっきりわかりません。誰に癒されたかだけはわかっています。それは、イエス・キリストです。


思うことがあって、フェイスブック退会しました。(ちゃんと退会できているかわからないのですが……)
しなければならないことが多くて、フェイスブックを見る時間がないというのが主な理由です。友人になって下さった方、ありがとうございました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

拍手ボタンです

web拍手