昨日子宮体癌の検査結果を聞きに婦人科に行ってきました。ずっと調子が悪く、痛みもあったので診察を受けると、子宮体癌の可能性があると言われました。また、ポリープができていたので切除してもらいました。
その後、体調は良くなったのですが、不安が影のように付きまとっていました。すべて神様に委ねているとはいえ、また癌で手術を受けるようになったら大変だなあと、いろいろ考えてしまいました。
検査結果は良好でした。ポリープも悪いものではありませんでした。医師の一言を聞くまで、よほど緊張していたのでしょう。医師の言葉を聞いたら、体の力が抜けたようになってしまいました。
でも、現在の状態は癌になるリスクが大きいので、しばらくは3か月に一度検査をしましょうと言われました。
中村勘三郎さんが亡くなられたというニュースが流れました。
初期の食道癌だから、手術を受ければすぐ元気になれると誰もが思っていたのに……。50代の若さであっという間に召されてしまうとは……同年代の者としてショックでした。
「神様も仏様もいないと思う」と弔問に訪れた大村崑さん言っていましたが、将来のある人が亡くなると、神も仏もいないことになるのでしょうか?
癌でなくても交通事故で一瞬のうちに命を落としてしまう人がいます。少し前までにこやかにおしゃべりしていた人が突然死んでしまったら、どれだけショックなことでしょう。それは誰も予想ができないことで、同じ事故にあっても、ひとりは助かってひとりは亡くなるのはどういうことなのか……その理由のわかる人はいません。
旧約聖書詩編121:7には
「主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたの命を守られる。」と書かれています。
まだ死なないと思っていた人が死んでしまった場合、この言葉は嘘になるのでしょうか。
人は誰でも死がいつ訪れるかわかりません。突然の死、早すぎる死に遭遇すると驚き、恐れます。でも、神様の側からみるとそれは必然の事です。
もし今大地震が起きて天井が落ち、わたしが死んでしまったとしても、それは理不尽なことではありません。
「わざわいから守られなかったし、命も守られなかったじゃないか」と言う人がいるかもしれません。
死んだわたしが遺された人に語りかけることができたらこう言います。
「そのときは一瞬恐ろしかったけど、気が付いたらイエス様といっしょに天国へ来ていたの。聖書の言葉は本当だったわ。わたしは、わざわいから守られ、いのちも守られたの。このいのちは、イエス様が下さった新しいいのちなのよ!」
3か月に一度の検査のたびに死を想うことになるでしょう。それは、わたしにとって神様によって生かされていることを実感する貴重な機会です。
明日は、乳癌の手術記念日。9年たちました。
今日の夕方、この文章の下書きを書いてPCを閉じ、夕飯の支度をしようとしたとき、久々に大きな地震が起きました。パソコンからUSBを抜き取って、それを握って机の下にもぐりました。地震のことを書いた直後だったので、ほんとうに天井が落ちて来るのかとビクビクしていました。何も落ちてこなかったのでほっとしましたが……。
何が起きるかわかりませんね。
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その後、体調は良くなったのですが、不安が影のように付きまとっていました。すべて神様に委ねているとはいえ、また癌で手術を受けるようになったら大変だなあと、いろいろ考えてしまいました。
検査結果は良好でした。ポリープも悪いものではありませんでした。医師の一言を聞くまで、よほど緊張していたのでしょう。医師の言葉を聞いたら、体の力が抜けたようになってしまいました。
でも、現在の状態は癌になるリスクが大きいので、しばらくは3か月に一度検査をしましょうと言われました。
中村勘三郎さんが亡くなられたというニュースが流れました。
初期の食道癌だから、手術を受ければすぐ元気になれると誰もが思っていたのに……。50代の若さであっという間に召されてしまうとは……同年代の者としてショックでした。
「神様も仏様もいないと思う」と弔問に訪れた大村崑さん言っていましたが、将来のある人が亡くなると、神も仏もいないことになるのでしょうか?
癌でなくても交通事故で一瞬のうちに命を落としてしまう人がいます。少し前までにこやかにおしゃべりしていた人が突然死んでしまったら、どれだけショックなことでしょう。それは誰も予想ができないことで、同じ事故にあっても、ひとりは助かってひとりは亡くなるのはどういうことなのか……その理由のわかる人はいません。
旧約聖書詩編121:7には
「主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたの命を守られる。」と書かれています。
まだ死なないと思っていた人が死んでしまった場合、この言葉は嘘になるのでしょうか。
人は誰でも死がいつ訪れるかわかりません。突然の死、早すぎる死に遭遇すると驚き、恐れます。でも、神様の側からみるとそれは必然の事です。
もし今大地震が起きて天井が落ち、わたしが死んでしまったとしても、それは理不尽なことではありません。
「わざわいから守られなかったし、命も守られなかったじゃないか」と言う人がいるかもしれません。
死んだわたしが遺された人に語りかけることができたらこう言います。
「そのときは一瞬恐ろしかったけど、気が付いたらイエス様といっしょに天国へ来ていたの。聖書の言葉は本当だったわ。わたしは、わざわいから守られ、いのちも守られたの。このいのちは、イエス様が下さった新しいいのちなのよ!」
3か月に一度の検査のたびに死を想うことになるでしょう。それは、わたしにとって神様によって生かされていることを実感する貴重な機会です。
明日は、乳癌の手術記念日。9年たちました。
今日の夕方、この文章の下書きを書いてPCを閉じ、夕飯の支度をしようとしたとき、久々に大きな地震が起きました。パソコンからUSBを抜き取って、それを握って机の下にもぐりました。地震のことを書いた直後だったので、ほんとうに天井が落ちて来るのかとビクビクしていました。何も落ちてこなかったのでほっとしましたが……。
何が起きるかわかりませんね。
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死を絶えず意識しながら生きることの重さに疲れることも。 命のはかなさ、不条理を嘆くより与えられた命を輝かせて生きたいです。
術後9年経ったのですね。 文香さんの主の栄光の為のお働き、本当に尊敬いたします。 ブログを通して交わりを持たせていだだき感謝です。
私もあとに続きますよ、ずっと、ずっと。
わたしもあります。でも、神様は死を意識して生きるようにしてくださっているような気がします。
>与えられた命を輝かせて生きたい
と書かれたジャスミンさんは素晴らしいです。そして、ブログを通しての交わりを感謝します。
検診が3か月に一度になったのですね。次は半年、一年……とだんだん間隔があいていくのは嬉しいことです。
でも、結果を聞くときはドキドキしますね。再発転移のないように。melodyさんの体調が整えられますようにお祈りします。
*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:*:
本当に久しぶりの書き込みです。
今日はお隣で礼拝できましたことは感謝です。
私も【死】を考えます。今日のメッセージでも、「呻きの中で悪い状況の時にこそ神をほめたたえる賛美が必要である。」とありました。
神の御臨在を心から確信して・・原動力となり、そこから喜びと希望へと繋がる者へと変えられるのでしょうね。アーメンです。
私など頭と心は別で、分かっていても呻き右往左往しています。
でも“主と歩める”以上の幸せはありません!
*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:*:
★FaceBookでも牧師さん達やたくさんの信仰の友ができました。
どんな形であれ置かれた境遇の中で主の栄光を伝えて行きたいですね。
ただFBのコメント欄が小さくなり、目の悪い私は最近疲れます。
わたしも困難に直面すると呻いたり、右往左往してしまいます。
でも、困難の只中で賛美できるようになりたいと思います。
ほんとうに”主と歩める”以上に幸せはありませんね!
パソコンの右下に出ている%をクリックして125%以上にすると字が大きくなりますよ。
確かにそうですね。
しかし私のPCの場合は右下にはなく、表示から文字を大きくする方法はありますが、Face Book の場合、文字が小さくなったばかりでなく、コメント欄そのものの枠が小さくなり2~3行しか見えなくなってしまったのです。
したがって今のところ、あまり深い話はせず、[いいね]だけをクリックして意思表示にしています。
私もいよいよブログ開設の時を考えます。
(怠惰な私は、生徒さん達からの要望もありますのに何年も前からぐずぐずして実行していません。)
文香さんのブログは本当に見やすいです。
もちろんそれは信仰に根ざした内容が素晴らしいからなのですが・・・・。
私の稚拙なブログ開設はいつの日になるか分かりませんが、その時は御指導の程、どうぞよろしくお願いいたします。
神様が豊かに用いてくださると思います。
開設されたら、お知らせくださいね。拝見するのを楽しみに待っています。