わたしの通っている教会は、朝の礼拝が3回あります。8時半、10時、11時半からの約一時間礼拝です。どんどん人が増えてきているので、どの礼拝でも満席に近いです。わたしはティーンズの奉仕をするようになって、毎週第一礼拝に出るようになりました。別の場所で10時からティーンズ礼拝があるからです。
朝早く自転車を走らせていると、息切れ状態で教会に着きます。
讃美歌をうたおうとしても声がほとんど出ず、立っているのもやっとで、椅子の背もたれに手をかけて倒れないようにしています。
でも、ティーンズ礼拝になると、声がだんだん出てきます。分かち合いの時間には元気になっています。
それでも常に肉体の限界を感じています。体の弱さに嘆き、泣きたくなるようなときもあります。
一昨日の礼拝では、弱さに嘆くこの者が大いに励まされました。
ピリピ3:20には、
「私たちの国籍は天にあります。」と書かれています。私たちが帰っていくところに国籍があるというのです。
私はこの聖書箇所を読むとうれしくて涙が出そうになります。『天に本当のふるさとがあるのだよ』と言われている気がするからです。
天に国籍があると思うと、苦しみに耐えることができます。
私たちは、罪が赦されたという救いの確約がありますが、完全ではありません。
現実は弱さの中で苦しみ、うめいています
「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8:18)」
将来受ける栄光のことを思うと、このような苦しみはたいしたことがないとパウロは書いています。
そのうち完全な救いが来て、栄光の体に変えられます。栄光の体に変えられることを栄化といいます。
今は弱さともろさにうめいていますが、完全な体になります。
自分の努力でそうなるのではなく、神様が私たちを救い主の栄光の姿と同じにしてくださるのです。
病で苦しみうめいていても、弱くもろい肉体であっても、将来は完全な体にしていただけると思うと、希望が与えられます。何があっても、神は生きておられ、善意をもって導いてくださることを信じて前に向かって歩んでいきたいです。
写真はつくばのバラ園
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それでも常に肉体の限界を感じています。体の弱さに嘆き、泣きたくなるようなときもあります。
一昨日の礼拝では、弱さに嘆くこの者が大いに励まされました。
ピリピ3:20には、
「私たちの国籍は天にあります。」と書かれています。私たちが帰っていくところに国籍があるというのです。
私はこの聖書箇所を読むとうれしくて涙が出そうになります。『天に本当のふるさとがあるのだよ』と言われている気がするからです。
天に国籍があると思うと、苦しみに耐えることができます。
私たちは、罪が赦されたという救いの確約がありますが、完全ではありません。
現実は弱さの中で苦しみ、うめいています
「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8:18)」
将来受ける栄光のことを思うと、このような苦しみはたいしたことがないとパウロは書いています。
そのうち完全な救いが来て、栄光の体に変えられます。栄光の体に変えられることを栄化といいます。
今は弱さともろさにうめいていますが、完全な体になります。
自分の努力でそうなるのではなく、神様が私たちを救い主の栄光の姿と同じにしてくださるのです。
病で苦しみうめいていても、弱くもろい肉体であっても、将来は完全な体にしていただけると思うと、希望が与えられます。何があっても、神は生きておられ、善意をもって導いてくださることを信じて前に向かって歩んでいきたいです。
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ありがとうございました。
新天新地への希望が、喜びが湧いてきます。私達の国籍は天にありますから。
天の花園は、比べられないぐらいの美しさなのでしょうね🌸🌸
薔薇園を大好きな友と歩きつつ、御国の前味わいをした気分でした❣️❣️❣️
新天新地への希望で、わたしも喜びに満たされました。