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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

理不尽な苦しみ

2012-09-25 14:52:23 | 教会
中学生のとき、「よい行いをして、真面目に一生懸命努力していれば、必ず幸せになれるよ」と父に言われました。
わたしはその言葉が信じられず、納得できせんでした。
それなら不幸せな人は、悪いことをしたからそうなったのでしょうか……。

父は心からそう思って言ったのでしょうか? それとも、このことは真実ではないけれど、わたしがよい行いして、真面目で一生懸命努力する人間になってほしいと願って言ったのでしょうか……。

良い行いをした人が幸せになり、悪い行いをした人は不幸になる……世の中が因果律のもとにあるなら、なんとすっきりすることでしょう。でも、実際は違いますね。むしろ、悪いことをせず、正直でまじめに生きている人が不治の病にかかったり、事業が失敗して一文無しになったり、災害にあったりすることが多いですね。

それこそ理不尽な苦しみです。
なぜ自分だけがこんな苦しい目に会うのか……理由が分からないことが、苦しみをさらに深くします。
努力して頑張っているのに……。人のためになることをしてきたのに……と文句を言いたくなります。

でも、理不尽な苦しみにあったとき、喜びの歌をうたった人たちがいました。

先日の礼拝メッセージで使徒の働き16:16-26から牧師先生が語って下さいました。
それは、2000年近く前、ピリピという町での出来事です。


パウロとシラスは、ピリピの町で悪霊につかれている占い女を正気にもどしました。
すると、その女を利用して金儲けをしていた主人は怒って、彼らを役人たちに訴えました。彼らは捕えられ、投獄されてしまいました。

パウロとシラスは鞭打たれ、足枷をつけられて牢屋に入れられたのですが、なんと、ふたりは牢獄の中で祈り、賛美したのです。
賛美というのは神さまに向かって喜び、感謝の歌をうたうことです。


理不尽な苦しみの中で神に感謝して賛美するなんて、そんなことができるのでしょうか……。

でも、そのようなとき、奇跡が起こります。パウロとシラスが賛美していると突然大地震が起き、扉があいて鎖が解けてしまいました。
看守は、囚人が逃げてしまったと思い、罰を受けることを恐れて自害しようとしました。
そのときパウロが「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫びました。

ほかの囚人たちも逃げなかったのです。囚人たちはあんな状態でも祈り、賛美するパウロたちに心打たれていたのです。

看守は驚き、救われるために何をしたらよいか尋ねます。パウロは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と答えました。

主イエスを信じなさいとは主イエスの上に自分を置きなさいという意味なのだそうです。

「イエス・キリストを信じるとは
①知る
② 納得する。
③ 納得したことに自分を賭ける
の三段階を経て信じるのです。
全能の神がおられ、私たちを配慮してくださっていることを知り、自分を賭けることです。」
と牧師先生が言われました。

なぜパウロとシラスは理不尽な苦しみの中で文句を言わず、祈り、賛美できたのでしょうか?
信仰があったから? いえ、信仰があってもわたしなら、予想しない苦しみが突然襲ってきたらとてもそんなふうにはできません。

わたしが思うに、こちらが理不尽だと感じても、神様の目から見ると理不尽なことではないのでは……。神様は何らかの意図があって苦しみを与えて下さったのだと思います。

神様の意図は、たいていそのときはわかりません。ずっと後になってわかることもありますし、天国に行くまでわからないこともあります。でも、神様は善意の方なので耐えられないような苦しみは与えませんし、その苦しみは必ず終わるときがあります。そして、苦しみを受けたことによって、素晴らしいことが起きるのだと信じています。

牢獄の看守とその家族はこのときイエスを信じたのです。パウロとシラスの喜びは大きかったことでしょう。ふたりが投獄されなければ起こらなかった素晴らしいできごとです。



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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (melody)
2012-09-27 16:16:43
こんにちは。文香さんの意見に共感できます。私も主人がリストラにあったり、同時期に私が病気になった時、なぜ我が家がこんな試練ばかり
会うのかクリスチャンなのにと、理不尽に思い他の家庭を羨ましく思いました。でも神様から見たら理不尽ではないのですね。そして試練を受けた事で素晴らしい事が起きると私も信じてます。
現に今主人も元気で働いていますし私も健康が支えられ感謝の日々です。
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Unknown (みかん)
2012-09-27 20:13:48
文香さんのお考えは素晴らしいですね。

私は嫌なことがあると、神にすがっているのに、なぜ?とすぐに否定的な思いばかり出てきて前に進む事ができなくなってしまいます。

神は、私に何か気付かせて下さっているんだと、無理してではなく、自然に思えるようになりたいと思いました。

それはやはり、信仰のなせるわざなんでしょうね。
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melodyさんへ (文香)
2012-09-27 20:29:56
苦しみの真っ最中にいるときは、のちに素晴らしいことが起きると言われても信じられず、理不尽だと感じ、嘆いてしまいますよね。

でも、melodyさんが、今は感謝の日々を過ごされていることを嬉しく思います。これからのmelodyさんの歩みが、神様の祝福に満ちたものになりますように。
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みかんさんへ (文香)
2012-09-27 20:40:11
>神は、私に何か気付かせて下さっているんだと、無理してではなく、自然に思えるようになりたい・・・・・・

このような願いを持たれたことに心打たれました。

みかんさんの心に信仰が育っているのだと思います。みかんさんの願いがかなえられますようにお祈りします
返信する
Unknown (ジャスミン)
2012-09-28 20:50:51
一年前の私は涙と絶望の中にいました。 何も悪いことをしていないのに大きな病にかかり胸を無くし、長かった髪は抜け落ち、抗がん剤の副作用に苦しんでいました。
もがきながら神様を知り、受け入れ、残りの人生を賭けました。
今日、神様の大いなるご計画に私が用いられるかも知れない喜びで賛美しました。
文香さん、いつも心に響くメッセージをありがとうございます。
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ジャスミンさんへ (文香)
2012-09-29 11:25:26
文字にすると数行のことですが、ジャスミンさんの受けた苦しみは、どれだけ大きかったことでしょう・・・・・・。どれだけ涙されたことでしょう・・・・・・。

でも、今日は喜びの賛美をされるようになって、本当に嬉しいです。
主をあかしする人生に変えられたのですね。

ハレルヤ!
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