雪のニュースが流れていますが、土浦は雨です。
残虐な事件が起きて、そのことについて書きたいと思いました。ネットの恐ろしさを考えると、ブログに書くことをためらってしまうような気の小さな人間です。
2月1日の礼拝時に牧師先生は、後藤さんの殺害について触れられました。後藤さんがクリスチャンであることは知っていましたが、同じプロテスタント教会なので、ネットワークで祈りの要請がきていたそうです。
後藤さんが、弱い者の前の立ち、素晴らしい信仰者としての生き方をされたことが伝えられました。
ご遺族の方々のうえに神様からの慰めがありますように祈ります。
このような事件が起きると、なぜ神様は後藤さんのような素晴らしい人の命を守ってくださらなかったのか、なぜ、神様はこのような事件が起こるのをゆるされたのかと思う人も多いでしょう。
このような非道なことをした人たちに対して憤りを抱く人は多いことでしょう。
なぜ?の答えの代わりに
「神様は、後藤さんを殺した残虐な人間にも招きの言葉をかけておられます」と語られました。
わたしたちは、残虐な人間がいると、その人と自分はかけ離れていると思います。そして、罰を与えてほしいと言い、報復すべきだと言います。
でも、神様は報復を望んでおられません。なぜなら、神様は残虐な人間をも愛しておられるからです。その人を招いておられるのです。
わたしの中にも罪があります。置かれた環境によっては残虐なことをしてしまう可能性があることを認めます。
仕返しだからと言って、正義の戦いだと言って、人に刃を向けてしまうかもしれないのです。
そんな罪深い者を神さまは招いてくださいます。イエス様はわたしたちの罪を赦すために十字架にかかって死んでくださったのです。
今日、デボーションで読んだ聖書箇所は、後藤さんが訴えてこられたことと同じだと思います。今、ひとりでも多くの人に読んでいただきたいです。
詩編37編(1-8)
悪を行う者に対して腹を立てるな。
不正を行う者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、
青草のように枯れるのだ。
主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、
あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。
おのれの道の栄える者に対して、
悪意を遂げようとする人に対して、
腹を立てるな。
怒ることをやめ、憤りを捨てよ。
腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
悪を行う者は断ち切られる。
しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
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素晴らしい信仰者でしたね。
主の光を放ってらしたと感じました。
聖書の言葉「平和をつくる者は幸いです。」を読むと、後藤さんのことを思います。
報復を考えるのではなく、平和を考える世界になって欲しいですね。