生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

荒野の旅

2018-04-21 11:22:26 | 聖書から
19日は教会での家庭集会でした。一週間前に家庭集会お知らせメールを出したときは、不安でした。その日、まだ具合が悪くて、皆さんに中止のメールを送ることになるかもしれないという恐れがありました。でも、神様はその日までに癒してくださり、祝福をくださいました。参加者11名は家庭集会始まって以来の大人数です。

学びの一部を紹介します
イスラエルの民は、エジプトで奴隷として苦しめられていました。神様から選ばれたモーセは、イスラエルの民を引き連れて40年間も荒野の旅をしました。

何もない荒野で60万人の人が養われました。マナが空から降ってきて、人々はそれを集めて調理して食べました。水がないとき、モーセが岩を打つと水が出ました。

教会学校で子どもたちによく話しました。お話の準備をするときは聖書を読みますが、出エジプトの箇所を物語のようにして読んでいました。
けれども実際はどうだったのでしょう。水のないことでもめていますが、水は毎日欠かせないものです。泉や池や川のほとりにばかり天幕を張ったわけではなかったでしょう。移動しているときも、水がないと大変なことになります。

「四十年の間、あなたは彼らを荒野で養われたので、彼らは何も不足することなく、彼らの着物もすり切れず、足もはれませんでした。(ネヘミヤ記 9章21節)」

と書かれていますが、40年同じ服を着ていて擦り切れなかったとしたら、現代の服より長持ちする服を着ていたことになりますね。

神様は、水や食べ物を毎日豊かに与えてくださいました。
民が「肉が食べたい」とつぶやいたときは、神様はうずらの大軍を降らせてくださいました。

アマレク人との戦いもありました。神様は民を守り、勝利に導いてくださいました。

イスラエルの民が行く先を知らなかったとき、神様は雲の柱と火の柱で道を示してくださいました。

『神様が厳しい荒野での生活を素晴らしい祝福の場所に変えられたのです。』とレジュメに書かれていました。
神様はなぜイスラエルの民を荒野に導いたのでしょう。まっすぐ進めば一年もたたないうちにカナンの地に到着できたのに……。
その答えは聖書にありました。

「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩まされた全行程を覚えていなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。(申命記8:2)」

このことにより、荒野が祝福に変えられます。荒野の道を歩ませておられる方は神様ですから、民を荒野でいたずらに苦しめようとしているわけではないことがわかります。

痛み、苦しみの中に神様はおられます。
苦しい目にあって、不平不満を言うときは、神様が見えなくなっているときだと聞いて、その通りだなあと思いました。

わたしは今回予想もしなかった病気で二週間寝込みました。神様はなぜわたしをこのような苦しい目に合わせるのだろう……と思いました。そのときは神様が共におられることを忘れていました。

末期がんの友人にメールを送るという使命を与えられてからは(前回の記事に書いています)慰めの言葉が書けるようにひたすら祈って、必死な思いで書きました。そのときは自分の身体がつらいことを忘れていました。むしろ、こんな状態だからこそ、書ける言葉があったのだと思って、病を感謝しました。
なぜこのときに友人にメールを送ることになったのか……説明がつきません。神の配剤でしょう。




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