生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

家庭集会(その1)

2006-01-20 12:14:11 | 教会
昨日は近所のSさん宅で家庭集会がありました。家庭集会は月1回開かれ、わたしたちのグループは、Sさんとわたしの家とで月交替で行っています。いつも5.6人が集まり、牧師先生による聖書の学びの後、楽しくおしゃべりしながら昼食をいただきます。
昨日はマルコ10:17-22からの学びでした。何度も読んだ聖書箇所でも、読むたびに新しい発見や感動があります。

金持ちの青年が、イエスさまに永遠の命を得るにはどうしたらよいかと尋ねます。
青年は相当の地位を持ち、財産を持っていました。そして小さいときから律法(モーセの十戒を中心とした人々の生活と行為に関する神の命令)を守っているので、自分に自信がありました。
そんな青年にイエスさまは言われます。「あなたには欠けたことがひとつあります。帰ってあなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。……」
青年は顔をくもらせ、立ち去ってしまいます。この人は多くの財産を持っていたからであると聖書に書かれています。

この青年はどんな人物だったのか想像して皆で話し合いました。青年は、かたちの上では律法を守り、品行方正です。でも、心が伴っていなくて高慢な人。自分の財産に執着している人……と、あまりいい評価はありませんでした。

でも、わたしはなぜかこの青年の肩を持ってしまいます。永遠の命を得たいと一途に思ってイエスさまのところに来たのではないかと考えたからです。でも、自分の地位と財産にしがみつく思いが彼の心を閉ざしてしまいました。もし、この青年に地位も財産もなければ、素直に永遠の命がいただけたのではないでしょうか。

イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。と書かれているのを読んではっとしました。イエスさまはこの青年を愛し、青年の救われることを心から願っておられました。もちろん、財産を捨てることが永遠の命を得る条件ではありません。イエスさまは、青年がにぎりしめているものを手放さなければ救われないのだということを言いたかったのではないでしょうか。青年が去っていったとき、イエスさまの心は悲しみで一杯だったでしょう。

わたしは、いままでイエスさまの心を悲しませるようなことをたくさんしてきました。これからは、イエスさまに喜ばれる者になりたいと願いました。



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