わたしが語った言葉に励まされたと言ってくれる人もいれば、わたしの言葉に腹が立ったとか傷ついたと言ってくる人がいます。
言葉を放った本人は、相手がどう受け取ったのかも気づかずに、何を語ったかさえ忘れていることがあります。
先日は、言葉について考えさせられました。
水曜礼拝では、十戒の学びをしています。
十戒とはイスラエルの民に授かった神様からの律法で、十の戒めです。
9番目に「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」と書かれています
それは、言葉によるものを戒めています。
聖書における偽りの証言とは、人が言葉によって犯す、すべての罪を示しているのだそうです。
言葉によって犯す罪と聞いてドキッとしました。わたしは今までどれだけ言葉で罪を犯してきたでしょうか。
もしかしたら、何十年も前に放ったわたしの言葉に、今でも苦しんでいる人がいるかもしれません。
20年近く前ですが、「あなたの言葉に傷ついた」と言われたときは、ひどく落ち込み、もう人を傷つけることがないように、ずっと沈黙していようと思ったほどでした。
でも、そのように言ってくる人はまれで、わたしに傷つけられても黙っている人が多いのだと思います。逆にわたしも人の言葉に傷つけられました。でも、それはほとんど忘れてしまいました。
人を傷つけないためになるたけ言葉を発しないというのは、極端な思いですね。それは神様を喜ばせることではありません。
人は本来、神様を賛美し、祝福となるように言葉が与えられたのです。
箴言には「穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌は魂の破滅。(箴言15:4)」と書かれています。この聖書箇所では、言葉と舌は同義語とみなします。
舌はいのちにもなり、魂を破滅させるものにもなります。
『舌は剣より多くの人を殺す』とも言われています。
わたしは、いまだに恐れています。わたしの言葉が誰かを傷つけないかと。
『言葉による罪を犯さないようにするには、言葉の本来の目的の通りに言葉を使うことです』と牧師先生が言われました。
言葉は本来、神様を賛美し、祝福するものです。神様をほめたたえ、神様を証しするために言葉を使えば、人を傷つけることがないでしょう。
「ですからあなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。(エペソ4:25)」
教会で一緒に長い間奉仕していた方が入院しています。脳梗塞のため言葉が出なくなってしまったと聞きました。声は出るのに言葉にならないそうです。言葉で伝えたいと思っても伝えられないもどかしさを感じておられるでしょう。言葉が戻るように祈ります。
言葉が与えられていることを感謝して、語れるうちに語り、書けるうちに書いていきたいです。
『ペンは剣よりも強し』ですから。
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言葉を放った本人は、相手がどう受け取ったのかも気づかずに、何を語ったかさえ忘れていることがあります。
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それは、言葉によるものを戒めています。
聖書における偽りの証言とは、人が言葉によって犯す、すべての罪を示しているのだそうです。
言葉によって犯す罪と聞いてドキッとしました。わたしは今までどれだけ言葉で罪を犯してきたでしょうか。
もしかしたら、何十年も前に放ったわたしの言葉に、今でも苦しんでいる人がいるかもしれません。
20年近く前ですが、「あなたの言葉に傷ついた」と言われたときは、ひどく落ち込み、もう人を傷つけることがないように、ずっと沈黙していようと思ったほどでした。
でも、そのように言ってくる人はまれで、わたしに傷つけられても黙っている人が多いのだと思います。逆にわたしも人の言葉に傷つけられました。でも、それはほとんど忘れてしまいました。
人を傷つけないためになるたけ言葉を発しないというのは、極端な思いですね。それは神様を喜ばせることではありません。
人は本来、神様を賛美し、祝福となるように言葉が与えられたのです。
箴言には「穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌は魂の破滅。(箴言15:4)」と書かれています。この聖書箇所では、言葉と舌は同義語とみなします。
舌はいのちにもなり、魂を破滅させるものにもなります。
『舌は剣より多くの人を殺す』とも言われています。
わたしは、いまだに恐れています。わたしの言葉が誰かを傷つけないかと。
『言葉による罪を犯さないようにするには、言葉の本来の目的の通りに言葉を使うことです』と牧師先生が言われました。
言葉は本来、神様を賛美し、祝福するものです。神様をほめたたえ、神様を証しするために言葉を使えば、人を傷つけることがないでしょう。
「ですからあなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。(エペソ4:25)」
教会で一緒に長い間奉仕していた方が入院しています。脳梗塞のため言葉が出なくなってしまったと聞きました。声は出るのに言葉にならないそうです。言葉で伝えたいと思っても伝えられないもどかしさを感じておられるでしょう。言葉が戻るように祈ります。
言葉が与えられていることを感謝して、語れるうちに語り、書けるうちに書いていきたいです。
『ペンは剣よりも強し』ですから。

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神経質になりすぎず、神様に喜ばれる言葉を発していきたいと願っています。