生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

聖書について(その4)

2008-07-16 16:38:22 | 聖書から

今日は旧約聖書の編集について書きます。
旧約聖書はマラキ書で終っており、そのあとすぐ新約聖書になります。その間に400年近くの時が流れていて、その時代は中間時代と呼ばれています。その時代は預言者(神様の言葉を語る人)がいなかったとはいえ、何の記録も残されていないのは不思議なほどです。しかし、この中間時代に旧約聖書が編集されたのだそうです。

捕囚の憂き目にあって、ユダヤの人々は自分たちの罪を認め、悔い改めました。祭司階級の人もバビロンに連れていかれましたが、そこでは割合自由に生活できていたそうです。祭儀の仕事がなくなったので、祭司たちは異国の地で聖書を書き写したり、編集をしました。

異国で暮らすうちユダヤ人の日常言語がへブル語からアラム語になったため、へブル語は文語として固定化されました。そのことが聖書の言葉を普遍的なものとすることになりました。

ひとくちに編集といっても膨大な書物ですから、大変な作業です。正典に入れる物とそうでない物はどのようにして決められたのか。モーセ5書(創世記から申命記まで)はBC200年に正典化されたことはわかっていますが、その他はどのようにして決定したのか、いっさいの記録が残っていないのでわかりません。
エドワード・ヤングは、「最終的に正典として認めたのは聖霊である」と言ったそうです。

いずれにしても、預言者がいない暗黒の時代にあって、人々は聖書を通して神様の御旨(みむね)を求めるようになりました。そのため旧約聖書の編集がすすんだと考えられます。

聖書編集がなされるために神様は暗黒の時代を与えて下さったのではないでしょうか。でも、そのことは、ずっと後になってわかるものですね。


今、つらい時期にある方がおられたら、絶望することのないようにと願います。どんな事柄の中にも神様の計らいがあるのだということ。その計らいは、あなたを幸せにするためのものだということを信じていただきたいです。

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2 コメント

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Unknown (NAOKO)
2008-07-17 11:40:16
今日は、ユダヤの人達の話す言葉が、へブル語からアラム語になった過程を知ることができました。モーセ5書のこと、正に、聖書は、神の霊感によりて成りを証しする一つの例ですね。
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NAOKOさんへ (文香)
2008-07-17 17:40:20
ひとつひとつの事柄が聖書編集に役立っていることを知ると、驚きですね。
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