猛暑がもどってきました。明日からのCS夏期キャンプ、熱中症が心配です。
昨日は、児童文学者協会茨城支部の例会でした。1年ぐらいかけて書いている長編を合評していただきました。この作品は最初20枚でした。書き直して50枚になり、現在101枚。3回目の提出です。
読んでもらうだけでも大変だと思うのですが、みなさんていねいに読んできてくださり、意見を言って下さったので感謝しました。
「主人公が努力して勝ちとっていく成長物語でなくてはならないのに、受け入れて従って行く。導かれていくというのは、主体性がない。」
と言われました。
そのことは、わたしの作品に対してよく言われることです。
確かにそうでしょう。でも、本当の主人公は少年ではなくて、その父親なのです。
「テーマは父の無償の愛なんです」と言うと、「それがよくわかるように書いてほしい」と言われました。うーん。書いたつもりなのですが……。伝わっていないのですね。
そのほか、後半を書き急いだことも指摘され、またまた書き直しです。完成までの道は遠いです。
クリスチャンは、神様のみ心を第一に求めて、それに従っていきたいと願っています。自分の思いではなく、神様の思いを優先させたいのです。
そのような生き方は『主体性のない生き方』と捉えられることがあります。
世間では、一生懸命努力して自分の力で勝ち取って行く生き方がよしとされる傾向があります。童話を書いている仲間で『がんばって努力すれば報われる』ことをテーマとして書いている人は多いです。
けれども、自分の力ではどうしようもないことにぶつかったときはどうするのでしょう。現実には、努力しても報われないこともたくさんあり、自分の意志に反する状況に置かれ、その状況を変えることが不可能だとしたら、どうしたらいいのでしょう。
今回のわたしの作品は、戦国時代の小説です。少年が父親に反抗して家を飛び出します。どんなに働いても貧しさから抜け出すことのできない暮らしに別れを告げ、成功して城主になろうという夢を抱いて出発するのですが、人買いに売り渡されて見世物小屋で働くことになり、自分の無力さを思い知らされます。
どうしてもその状況から抜け出せないとわかったとき、受容していきます。のちに父親と再会し、父親が身代わりとなって助け出してくれます。
自分の力でどうしようもないところに置かれたときは受け入れられるように。努力によって変えることができることに対しては努力を惜しまないという生き方をしたいと思っているので、それが作品にも現れます。
ラインホルト・ニーバーの書いた詩を紹介します。(2006年にもこのブログで紹介しています)
祈り
変えることのできないものに対しては、
それを受け入れるだけの冷静さを、
変えることのできるものに対しては、
それを変えるだけの勇気を、
そして、変えることのできないものと、
変えることのできるものとを見分ける知恵をわたしに与えて下さい
にほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。
昨日は、児童文学者協会茨城支部の例会でした。1年ぐらいかけて書いている長編を合評していただきました。この作品は最初20枚でした。書き直して50枚になり、現在101枚。3回目の提出です。
読んでもらうだけでも大変だと思うのですが、みなさんていねいに読んできてくださり、意見を言って下さったので感謝しました。
「主人公が努力して勝ちとっていく成長物語でなくてはならないのに、受け入れて従って行く。導かれていくというのは、主体性がない。」
と言われました。
そのことは、わたしの作品に対してよく言われることです。
確かにそうでしょう。でも、本当の主人公は少年ではなくて、その父親なのです。
「テーマは父の無償の愛なんです」と言うと、「それがよくわかるように書いてほしい」と言われました。うーん。書いたつもりなのですが……。伝わっていないのですね。
そのほか、後半を書き急いだことも指摘され、またまた書き直しです。完成までの道は遠いです。
クリスチャンは、神様のみ心を第一に求めて、それに従っていきたいと願っています。自分の思いではなく、神様の思いを優先させたいのです。
そのような生き方は『主体性のない生き方』と捉えられることがあります。
世間では、一生懸命努力して自分の力で勝ち取って行く生き方がよしとされる傾向があります。童話を書いている仲間で『がんばって努力すれば報われる』ことをテーマとして書いている人は多いです。
けれども、自分の力ではどうしようもないことにぶつかったときはどうするのでしょう。現実には、努力しても報われないこともたくさんあり、自分の意志に反する状況に置かれ、その状況を変えることが不可能だとしたら、どうしたらいいのでしょう。
今回のわたしの作品は、戦国時代の小説です。少年が父親に反抗して家を飛び出します。どんなに働いても貧しさから抜け出すことのできない暮らしに別れを告げ、成功して城主になろうという夢を抱いて出発するのですが、人買いに売り渡されて見世物小屋で働くことになり、自分の無力さを思い知らされます。
どうしてもその状況から抜け出せないとわかったとき、受容していきます。のちに父親と再会し、父親が身代わりとなって助け出してくれます。
自分の力でどうしようもないところに置かれたときは受け入れられるように。努力によって変えることができることに対しては努力を惜しまないという生き方をしたいと思っているので、それが作品にも現れます。
ラインホルト・ニーバーの書いた詩を紹介します。(2006年にもこのブログで紹介しています)
祈り
変えることのできないものに対しては、
それを受け入れるだけの冷静さを、
変えることのできるものに対しては、
それを変えるだけの勇気を、
そして、変えることのできないものと、
変えることのできるものとを見分ける知恵をわたしに与えて下さい

↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。
大きな力に触れたとき、生き方が根底から変えられますね。一見、主体性のない生き方と思われるかもしれませんが、そうではありませんね。
また、それは弱さや消極的な生き方でもありません。
ジャスミンさんの生き方に触れた人が、キリストに導かれますように。
変えることのできない、できるの「変える」対象はなんでしょう?
目に見えている現実? 現象?
「変える」と思っているということはつまり「変えたい」「変わって欲しい」と願っているということですよね。
その欲の終着点が今いるこの世界でなくなった時、全ての価値観が変わります、 そして変えられないものなどどこにもないことに気がつく。 私も以前は自分の努力で勝ち取っていく人生こそ素晴らしいと思っていました。 今でもそういう生き方を貫くことの出来る人は素晴らしいと思います。
でも私はもっともっと大きな力に触れました。
生き方をこそ変えられました。
それが弱さや消極的な生き方でないことはこれからの私の生き方で示します。