夕べは頭が痛くて、風邪薬を飲んで早く寝ました。いつも同じところが痛むので、脳腫瘍かと恐れつつも、疲れていたのでよく眠れました。朝になって、肩凝りからくる頭痛だと気づきました。
最近は、肩が凝っても相当ひどくなるまで気づかないので、困ってしまいます。スイミング教室に通っていたころは、肩凝りなどしたことがなかったのに……。パソコンのやりすぎと運動不足が原因でしょう。
昨日の家庭集会は牧師先生と6人の方が来てくださいました。学びは、ルカ8:22-26の「嵐を静めるイエス」のところでした。ちょうど1週間前(9/7)に書いたブログ記事と同じところだったのでびっくりしました。9/7の時の聖書はマルコの福音書ですが、内容はほとんど同じです。
新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書があります。4つとも違いはあるものの、どの福音書もイエス・キリストについて書かれています。最初の3つの福音書は内容的にかなり共通する部分が多いので、共観(きょうかん)福音書と呼ばれています。
今回教えられたことについて書きます。
ガリラヤ湖でイエスさまが弟子たちと船に乗りましたが、弟子の中で4人が元漁師でした。一方イエスさまは元大工でした。
ガリラヤ湖は普段は静かで美しい湖なのだそうですが、激しい突風が吹き、急に嵐になることも多いそうです。漁師だった弟子たちは、そのことを熟知していましたし、嵐の経験は何度もしていたでしょう。
ところが、強い嵐がきて船に水が入ってくると、弟子たちはイエスさまを起こしました。イエスさまは、嵐の中ぐっすりと眠っておられたのです。
元漁師の弟子もいたのに、元大工のイエスさまのところに行ったのはなぜですか?という質問がありました。
それまでにイエスさまは、数々の奇跡を行っていました。それを見ていた弟子たちは、イエスさまなら何とかしてくれるのではないかと期待したからです。
イエスさまが風と荒波をしかりつけると、風も波も治まりました。弟子たちは驚いて顔を見合わせ、「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」と言いました。
なぜ弟子たちはこんなに驚いたのでしょう? 弟子たちは、イエスさまのことを神さまだとは思っていなかったようです。奇跡を行われるのを見ても、旧約聖書に出てくる預言者も奇跡を行っているので、イエスさまのことを預言者のひとりと考えていたのかもしれません。嵐の中、イエスさまがなんとか船を向こう岸につけてくださると弟子たちは思っていたのでしょう。まさか、言葉で風や波を静めるとは思わなかったでしょう。
風や波をしかりつけたというのは、イエスさまが自然よりさらに力がある方だということです。イエスさまは、天地万物を造られた神さまなので、そのようなことができるのです。イエスさまは、全能の神さまです。
弟子たちは最初、自分たちで何とかしようとしました。イエスさまが同じ船に乗っておられるのに、船が沈んで死んでしまうのではないかという恐怖にとりつかれました。嵐に目を奪われ、本当の意味でイエスさまを見ていませんでした。イエスさまを信頼していなかったのですね。
イエスさまは弟子たちに言われました。「あなたの信仰はどこにあるのです」
わたしも困難に直面したとき、イエスさまがそばにおられるのに自分の力で何とかしようとしたり、不安のため眠れなくなったりします。そしてはっと気がついて、イエスさまに助けを求めて祈るのです。
信仰がためされるようなことがあります。そのたびに不信仰な自分に気づいて悲しくなります。
でも、家庭集会学びの最後に牧師先生が言われた「わたしたちは完全ではありません。天国に行ったとき100%キリストに似た者とされますが、それまでは弱さをかかえているのです」という言葉に慰められました。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12:11)
と言われたイエス様の言葉の裏側は
「神とわたしを信じていれば、何があっても大丈夫」
だと思うので、本当に心強いです。
「大丈夫だよ」と言われる主のみ声が聞こえてくるようですね。