生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

この日を楽しみ喜ぼう

2011-09-14 15:52:19 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
 日本人は、真面目な人ほど楽しむことが苦手だといわれています。楽しむことが罪悪と思っているような人もいます。

国民性なのかもしれませんが、アメリカではハリケーンが近づいてきたとき、洪水のときにしかできないことをして楽しんだ人たちがいたそうです。
灌水した道路でスケートボードをしたり、大きな浮輪を浮かべてその上に寝転んだり。傘を逆さにして踊ったり、すごい波でサーフィンをしたり……。

危険と隣り合わせなのでお薦めはできませんが……日本でそのようなことをしたら白い目で見られそうですね。


「喜ぶ」という言葉は聖書にたくさん出て来ますが、「楽しい」という言葉は意外と少ないです。あっても、よい意味に使われていないものが多いと思います。

たとえばルカ12:19にあるように倉にたくさんの穀物や財産を蓄えた金持ちが自分の魂に「さあ、安心して、食べて、飲んで楽しめ」と言った後で「お前の命は取り去られる」と神様に言われています。

しかし、聖書は楽しんではいけないとは言っていません。

神様の存在そのものが「楽しみ」だと詩篇16篇8~に書かれています。


私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことはない。
それゆえ、私の心は喜び、
私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
(略)

あなたの御前には喜びが満ち、
あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。


わたしは、キリストを信じる前までは、悲しみと苦しみ、そして怒りで心はいっぱいでした。
でも、信じてからは喜びと楽しみに満ちあふれました。

キリストがわたしの罪を赦すために命を捨てて下さったことの感動で胸がいっぱいだからです。
今日は「喜怒哀楽」の最後、楽をテーマにした400字エッセイを紹介します。
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南吉に伝えたいこと            
新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」は、美智子皇后が推薦されて有名になった童話だ。
童話には自分の殻だけでなく、友達の殻にも悲しみが詰まっていることに気づくでんでんむしのことが書かれている。
わたしは十代のころ、この童話を読んで号泣した。南吉も自分と同じ悲しみを抱えていたのだと思った。

でも、悲しみは自分で克服するしかないというメッセージは、本当の慰めにはならなかった。悲しみが大きすぎて自分の力ではどうにもならなかったからだ。

後に聖書の言葉「悲しむ者は幸いです」と出会い、仰天した。悲しみの近くに神様がおられることを知って、悲しみのあることを嘆く必要はないと知らされた。

神様に悲しみのすべてを打ち明けたとき、神様はわたしの悲しみを喜びに変えて下さった。重荷が取り除かれ、スーッと楽になった。
「悲しみは取り除いてもらえる。生きるって楽しいことだよ」と南吉に伝えたい。


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南吉は29歳の若さで結核のため死んでしまいました。
わたしはクリスチャンになる前から新美南吉のファンで、愛知県にある南吉のお墓参り行きたいと思っていたほどでした。
新美南吉を見出し、世に送り出した巽聖歌(たつみせいか)(童謡「たきび」の作詞者)がクリスチャンであることを最近知って驚いています。巽聖歌という名を見てクリスチャンだと今まで気づかなかったことが不思議ですが……。

南吉は巽聖歌のことを親友と呼んでいました。南吉が死の床にあったとき、聖歌は泊まり込みで見舞っています。聖歌は南吉にキリストのことを伝えなかったのでしょうか? もしかしたら、南吉はキリストを信じて召されたのかもしれない。でんでんむしのかなしみは喜びに変えられたかもしれないと思っています。

これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。詩篇118:24


先日、日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひごらんください。



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