今月初めから毎日誰かが泊りに来ていて、3度の食事に追われ、大忙しでした。
長男の子どもたち、ヒックンとナルクンは夏休みなので、行ったり来たりしていました。娘の子どもたちソークンとズーちゃんは、パパの実家の行きと帰りに寄ってくれました。
2日空きましたが、その間に妹が来ました。
嬉しかったのは、妹と教会へ行けたことです。
お盆の一週間、教会の納骨堂が開放されていました。妹の来る日はちょうどチャペルピスガで召天者追悼礼拝が行われました。
妹にはそれに間に合うように来てもらいました。都内に住んでいるので、こちらまで電車で2時間はかかります。
妹は、「何とか間に合うようにいくわ」と言って8時前に家を出てくれました。
礼拝メッセージは、慰めについて語られました。
ヘンリー・ナウエンは、「本当の喜びとは、私たちが無条件の愛をもって神様に愛されているということです。
そして、その愛を何ものも取り去ることができない。たとえ病気であっても、挫折するような大きな失敗があっても、悩みや争いごと、悲しい別れがあったとしても、私たちは神様の愛に満たされているのです。」
病気、失敗、悩み、争いごと、悲しい別れがあっても神の愛に満たされているとはどういうことでしょう……。
聖書マタイの福音書6:26には
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉におさめることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」と書かれています。
また、1コリント3:23には「そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです」とあります。
つらいことがあっても、すべてをご存じである神様が、必要なものを与えてわたしを養ってくださているではありませんか。
わたしは生きるにも死ぬにもキリストのものです。キリストは、尊い血をもってわたしの罪を完全に赦してくださいました。
そのイエス様が前から後ろからわたしを取り囲み、守ってくださるのだと気づきました。
ですから、どんなことがあっても神の愛に満たされているので、平安があるのです。
妹が帰ったあと、孫たちが入れ代わり立ち代わり来て、またまた体調を崩してしまいました。
キャンプ奉仕はできませんでしたが、平安をいただいて感謝の日々です。
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2日空きましたが、その間に妹が来ました。
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妹にはそれに間に合うように来てもらいました。都内に住んでいるので、こちらまで電車で2時間はかかります。
妹は、「何とか間に合うようにいくわ」と言って8時前に家を出てくれました。
礼拝メッセージは、慰めについて語られました。
ヘンリー・ナウエンは、「本当の喜びとは、私たちが無条件の愛をもって神様に愛されているということです。
そして、その愛を何ものも取り去ることができない。たとえ病気であっても、挫折するような大きな失敗があっても、悩みや争いごと、悲しい別れがあったとしても、私たちは神様の愛に満たされているのです。」
病気、失敗、悩み、争いごと、悲しい別れがあっても神の愛に満たされているとはどういうことでしょう……。
聖書マタイの福音書6:26には
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉におさめることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」と書かれています。
また、1コリント3:23には「そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです」とあります。
つらいことがあっても、すべてをご存じである神様が、必要なものを与えてわたしを養ってくださているではありませんか。
わたしは生きるにも死ぬにもキリストのものです。キリストは、尊い血をもってわたしの罪を完全に赦してくださいました。
そのイエス様が前から後ろからわたしを取り囲み、守ってくださるのだと気づきました。
ですから、どんなことがあっても神の愛に満たされているので、平安があるのです。
妹が帰ったあと、孫たちが入れ代わり立ち代わり来て、またまた体調を崩してしまいました。
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