生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

へりくだるとは

2017-08-02 15:19:53 | 教会
先日の礼拝メッセージで「へりくだり」について語られました。

へりくだりの同義語で「謙遜」という言葉があります。

辞書には、『卑屈になる ・ 卑下する ・ 自己評価を低くする ・ 自分の価値を下げる ・ 自分を卑下する』などと書かれていますが、聖書に書かれている意味合いは、ちょっと違うようです。


へりくだりとは、『他者を顧みる』『他者を大切にする』ことだと、教えていただきました。

イエス・キリストこそ、へりくだりのモデルです。なぜなら、無限であるイエスが有限な者になってくださったからです。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。(ピリピ2:6-7)」

神が人間を救うために人間となって来てくださったのです。

キルケゴールはこのことを物語として書きました。

ある国の王子が地方へ旅をしました。旅の途中で馬車の窓から見かけたひとりの農家の娘に恋をしました。
王子はどうしてもその娘に会って恋を伝えたいのですが、王子の権威で会うことはしたくありませんでした。王子は一人の男性としてその娘を愛し、一緒になるために王子の身分も財産も捨てて、村人となってその娘と結婚しました。キルケゴールは、「これは、神が世に来られたことを表している」といいました。


森繁昇さんの『ゴキブリ』という歌が礼拝で流されました。
トイレに流されそうになって、もがいているゴキブリを素手ですくい取って助けてくれ、同じゴキブリになってくれたことへの感謝を歌っています。
何ともユーモラスで、最初は笑みがこぼれました。途中で自分こそおぼれかけたゴキブリのようだったと気づかされ、はっとしました。そして、救ってくださった神様に感謝しました。

祈り
わたしは、へりくだった者ではありません。もし、わたしのことをへりくだっていると誰かが言うなら、その人は、わたしの見せかけの姿を見ているのです。
謙遜のふりをするのはたやすいです。でも、本当に謙遜な人になるのは難しいのです。
わたしは、本当の意味でへりくだっていません。他者ではなく、まず自分のことをいちばんに考えてしまう冷たい心を持った者です。
でも、わたしの願いは謙遜な者になりたい。へりくだって相手を自分より優れた者だと心から思えるようになりたいと願っています。どうかそのようにわたしを変えてください。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Janetさんへ (文香)
2017-08-07 16:52:09
ありがとうございます。

へりくだることはとても難しいですが、祈りによって、神様がへりくだりを与えてくださると信じています。
返信する
へりくだり (Janet)
2017-08-07 09:26:27
この祈りに感動!です。
この祈りこそ、ゴキブリのような私自身の祈りです!❗️
返信する

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