生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「あさっての風」に出会って

2016-05-11 16:22:58 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)では、年に2回ニュースレター「文は信なり」を発行しています。毎回テーマを決め、会員がそのテーマに沿って証し文章を書きます。

今回、34号が発行されました。テーマは読書。「心に残る一冊」です。
JCPのHPからも読めますが、PDFなので開けないという方がいらっしゃるので、わたしの作品を掲載させていただきます。

(3月15日のブログに書いた文章は、以下の文章を書くための準備をしていたときのものです。)



      「あさっての風」に出会って          土筆文香


三浦綾子のエッセー集「あさっての風」に出会ったのは21歳のときだった。この本を読んだことがきっかけでキリストを信じるようになった。

そのころ、わたしは幼稚園に勤めていた。子どもに押し付けるような保育のあり方に疑問を抱き、大きなストレスを抱えていた。

また、家庭では母との関係がよくなかった。母と顔を合わせる時間を短くするため、駅前で夕飯を食べて帰ったりした。それでいて寂しく、何でこんなところでひとりで食事しているのだろうと涙を流していた。

そんなとき立ち寄った本屋でみつけたのが「あさっての風」だった。坪井栄の童話「あしたの風」を思い出し、これも童話だと勘違いして買い求めた。子どもたちにお話をしようと思ったのだ。

童話ではなかったが、読んでいくうちに心が文章にぴったりと寄り添ってきた。作者の三浦綾子はクリスチャンらしいけれど、信仰を押し付けたりしないところが気に入った。

三浦綾子は戦前教師をされていたので、子どもの教育について関心をもっておられた。本の中には「教師にとって必要なものは権威以上のものである。権威以上のもの、それは愛である。愛こそが、相手の胸を打ち、人を育てる。(略)愛を学ぼうとするとき、必ず人間の愛の限界に突きあたるのではないだろうか」と記されており、はっとさせられた。人を愛すると言って、結局愛しているのは自分自身であることに気づかされたのだ。

「あさっての風」のあと、教育をテーマにした小説「積木の箱」を読み、自分の罪に気づいた。そして、苦しくなって教会を訪れたのだ。
そのころのわたしは、すごく高慢でいつも自分が正しいと思っていた。
社会の問題も、職場での問題もすべて人のせいにしていた。そんなわたしが自分の罪に気づいたことは、奇跡としかいいようがない。神様が本を通してわたしの心に触れてくださったのだ。あのとき三浦綾子の本に出会わなければ、わたしはどうなっていたのだろう……。 

三浦綾子が夫の光世氏と共に祈りながら書いたという本。神様は確かに祈りを聞いてくださった。わたしも今、祈りながら書いている。
(「あさっての風」は、現在単行本では発行されておらず、三浦綾子作品集17の中に収録されている)



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