生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

よりよく生きるためには・・・

2012-08-03 16:45:49 | 教会
暑い日が続いています。明日息子一家が泊まりに来るのでホームベーカリーでカボチャパンを焼きました。
確かにドライイーストを分量通りに入れたはずなのに半分ぐらいしか膨らみません。Hという記号が出ていたので調べると、室内温度が高すぎて発酵不足のパンができてしまったようです。こんなこと初めてです。がっかりしました。

最近、オリンピックで盛り上がっていますが、メダルをとるためにどうしたらよいか研究に研究を重ねて努力しているようすをうかがうと、驚かされます。血を吐くような努力をしてきても、本番でミスが出ることがあります。メダルを取ることだけが目的だとしたら残念ですね。でも、昨日の新聞には、敗退した選手たちの功績をたたえる記事が載っていたので嬉しくなりました。

どうしたら早く走れるか、どうしたらいい成績がとれるか、どうしたら有名大学に入れ、有名企業に就職できるか……多くの親が自分の子どもが他の子どもより抜きんでることを望みます。そして、それが子どものためだからと思って一生懸命になります。


この前の日曜日の礼拝メッセージで次のようなことが語られました。

子どもが生まれたばかりのときは、親は子どもの存在そのものが目的で、子どもがいてくれることだけで満足しています。子どもも親がそばにいてくれるだけで満足します。親そのものが目的だからです。

でも何年か経つと、親は子どもに自分の理想像を描き、それに合わないと子どもを叱りつけたりします。
子どもも成長すると、より楽しく遊ぶため、働くため、より良く生きるため、親を手段にすることがあります。

モーセは出エジプト記33:15で「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」と言っています。
それは、『神様がわたしの目的です。もし、神がいっしょにいてくださらないのなら、たくさんの富や健康、いのちが与えられたとしても、何の意味があるのですか?』というモーセの渾身の叫び声です。

わたしたちは、神を自分がより良く生きるための手段としていまませんか。人生の処世術観点で神を見ていませんか?

「イエスを信じる目的は何ですか? イエスこそが目的です。」と牧師先生が言われました。


自分自身を顧みると、不安から解放されるため、落ち込んでも絶望しないため、色んな人の言葉に翻弄されないために信仰を持とうと思ったことがありました。でも、それらはイエス様を信じた結果得られるものであり、そのために信じるというのは間違っていることに気づきました。
でも、目的と手段をはきちがえたとしても、それに気づいたとき、神さまそのものが目的だというところに何度でもたち帰って行けばそれでいいと言われて、ほっとしました。



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