生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

明日も元気に生きられるという保障は?

2016-02-19 16:44:30 | 日記
今日は教会でTさんのお葬儀がありました。わたしはお手伝いの奉仕を申し出て、朝早くから教会に行きました。

教会では今年に入ってから葬儀が続き、一月から今回で5回目(6回目だったかも)です。それまでは高齢の方で、入院して危ないといわれていた方だったので、驚きは少なかったのですが、今回は突然でした。

しかも、よく知っている方です。まだ57歳で元気な方でした。去年の12月に桜川の土手ですれ違いました。「健康のためにウオーキングを始めたの」と笑顔でおっしゃっていました。1月末にはTさんの家で家庭集会が開かれています。

Tさんはお風呂掃除をしていて倒れ、病院に運ばれたのですが、意識を取り戻すこともなく召されたそうです。

3人のお子さんがいて、成人はされているけれど、長女は臨月で、初孫が生まれるのを楽しみにされていたそうです。
仲の良いご家族で家族旅行の写真が何枚も飾られていて、写真の彼女は幸せそうな笑顔をみせていました。

ご主人がいちばんショックを受けておられたようすで、泣きながら挨拶をする姿に涙が止まらなくなりました。
牧師先生の「Tさんは、いなくなったのではありません。天国に移っただけです。必ず再会できます」
という言葉が大きな慰めになりました。

クリスチャンのTさん本人にとっては、何の苦しみもなく突然天国に迎えられて、幸せな人生だったといえるのかもしれないと思いました。でも、遺された家族は突然引き離されて、悲しみのどん底に突き落とされたような思いでしょう。
どうか、ご遺族の方々に神様からの慰めがありますように。

誰だって、明日も元気で生きられるという保障はありません。いつ死が訪れても大丈夫なように備えなければと思いました。



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