理不尽なことが起きると、自分は何のために生きているのだろう。人間、最後はどうせ死んでしまうのだから、努力したってむなしいと感じる方がおられるでしょう。
わたしは中学生のころむなしさを感じ、何のために生きるのだろう?と思っていました。それは、人類究極の問いなのだそうです。
日曜礼拝のメッセージを聞いて、考えさせられました。
AD165年、ローマでペストが流行しました。その後、何度も疫病がはやり、多くの人が死に至りました。古代社会においては、予防薬も治療薬もなく、どのような経路で病気がうつるのかわからなかったので、人々は恐怖に陥りました。
身近な人が次々と死んでいく現実を見て、人々は、人が死んだらどうなるのだろうと疑問を抱きます。
助かりたい一心で病人を放り出し、町から逃げ出す人が続出しました。
そのような中でクリスチャンたちは、自分に病気がうつって死ぬかもしれないと思っても恐れずに、病人を看病したそうです。
キプリアヌス司教は古代の極限状態の中で『死を免れないことについて』を書きました。彼はこの教書の中で,地上では肉体上のあらゆる不都合なこと、(苦しみ、死など)は キリスト者も他の人々も皆同じであることを伝えます。
そして「死によって失われたのではなく、送り出されたのだ。離れていくが、一足先に行くのだ」と説きました。
死を免れる人は誰もいませんが、生きる意味があり、たとえ地上では短い命でも、一足先に行くだけで、やがてわたしたちもそこへ行けるという希望が書かれています。
何のために生きて、何のために死ぬのかという究極の問いに答えてくれるのはキリスト教だけです。
それにしても、古代のクリスチャンたちのとった行動は勇敢で素晴らしいですね。
以前テレビドラマの「大草原の小さな家」で、近所の一人暮らしの老人が疫病にかかったとき、ローラのお母さんがその人の家に泊まりこんで、献身的に看病しているシーンがありました。それを思い出しました。
病気がうつってしまうかもしれないのに……。小さな子どももいて、自分が死んだら家族が困るし、子どもにうつってしまうかもしれないのに……。わたしなら、とてもできないと思いました。
1ヨハネ3:6には「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」と書かれています。
病人を看病した人たちは、キリストがしてくださったことに心打たれ、隣人のために自分のいのちを捨てる覚悟でやったのですね。
この愛の好意によって、クリスチャン人口が急増したそうです。
いのちは闇の中に輝いています!
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わたしは中学生のころむなしさを感じ、何のために生きるのだろう?と思っていました。それは、人類究極の問いなのだそうです。
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身近な人が次々と死んでいく現実を見て、人々は、人が死んだらどうなるのだろうと疑問を抱きます。
助かりたい一心で病人を放り出し、町から逃げ出す人が続出しました。
そのような中でクリスチャンたちは、自分に病気がうつって死ぬかもしれないと思っても恐れずに、病人を看病したそうです。
キプリアヌス司教は古代の極限状態の中で『死を免れないことについて』を書きました。彼はこの教書の中で,地上では肉体上のあらゆる不都合なこと、(苦しみ、死など)は キリスト者も他の人々も皆同じであることを伝えます。
そして「死によって失われたのではなく、送り出されたのだ。離れていくが、一足先に行くのだ」と説きました。
死を免れる人は誰もいませんが、生きる意味があり、たとえ地上では短い命でも、一足先に行くだけで、やがてわたしたちもそこへ行けるという希望が書かれています。
何のために生きて、何のために死ぬのかという究極の問いに答えてくれるのはキリスト教だけです。
それにしても、古代のクリスチャンたちのとった行動は勇敢で素晴らしいですね。
以前テレビドラマの「大草原の小さな家」で、近所の一人暮らしの老人が疫病にかかったとき、ローラのお母さんがその人の家に泊まりこんで、献身的に看病しているシーンがありました。それを思い出しました。
病気がうつってしまうかもしれないのに……。小さな子どももいて、自分が死んだら家族が困るし、子どもにうつってしまうかもしれないのに……。わたしなら、とてもできないと思いました。
1ヨハネ3:6には「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」と書かれています。
病人を看病した人たちは、キリストがしてくださったことに心打たれ、隣人のために自分のいのちを捨てる覚悟でやったのですね。
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