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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

守られている

2013-01-31 16:48:42 | 聖書から
昨日の水曜礼拝は主の祈りの最終回でした。(1月24日のブログの続きです)

主の祈りの最後は「私たちを試みにあわせないで、悪からお救い下さい」です。
〔国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕は、後に付け加えたものだそうです。

「試みにあわせないで」というのは、つらいこと、試練にあわせないでという意味なのだと思っていました。ところが、試み(原語はペイラスモス)というのは、試練という意味と、誘惑という意味があるそうで、主の祈りの「試み」は、悪に引き込んでいく誘惑という意味だと教えていただきました。

誘惑と聞くと、恐ろしくなります。
誘惑は外からやってきます。その人が悪いから誘惑がやってくるわけではありません。イエス様も荒野で悪魔の誘惑を受けました。

イエス様は悪魔に対してみことばをもって対抗され、悪魔は離れていきました。

でも、わたしには悪魔と戦って勝てる自信がありません。悪魔は心のすきをねらってきます。最初は悪魔だとわからずに心地よいものとしてやってきます。

でも、むやみに恐れるのはやめようと思いました。悪魔と戦うのはわたしではなく、共におられるイエス様だからです。

「わたしは大丈夫」と思っているときは、足をすくわれることがあります。わたしたちを悪霊より守ってくださる存在にいつも目を向けていたいと思いました。

晴佐久昌英さんの詩が紹介されました。守ってくださる存在が確かにあることを思わせる詩です。

「手」


病室の窓から見上げる空はむやみに明るい

治らないわたしはこんなに暗いのに


病室の窓から見下ろす街もやたらと元気だ

出られないわたしはもはや亡霊のよう


消灯後の一人部屋に時計の音がいつまでも続く

あといくつの夜を耐えればゆるされるのか

治してください生かしてください

もう一度だけもとに戻してください

歩かせてください食べさせてください

もうこれ以上いじめないでください

せめて今夜だけでも痛みをとりのぞいてください

もうだめですもう限界ですもうこれ以上



闇の中へ思わず手を伸ばした瞬間

何かにさわってはっとする

だれもいないはずの深夜の病室

数秒息を止めてようやく気づく


さわったのではない

さわられたのだ

むこうから伸ばしてきた手に



晴佐久昌英・著  だいじょうぶだよ より



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