生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

人からの評価が気にならなくなります

2013-01-07 16:20:25 | 教会
昨日は久しぶりに教会学校で分級(学年ごとに分かれる小さなクラス)があって、子どもたちと一緒に祈れる恵みに与りました。

礼拝では元旦礼拝に引き続き、今年の年間聖句についてのメッセージがありました。
年間聖句「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネ8:31-32より)」の後半「真理はあなたたちを自由にする」の意味を聞いて、ちょうど先月10日のブログに書いたことと繋がっていると思いました。

12月10日のブログにイエス・キリストを信じたら、わたし自身がどのように変わったかについて『①色々なことに囚われなくなります。②人のうわさや世間体を気にしなくなります。』と書きました。

「わたしたちは人の評価を恐れます。わたしたちは日常的に人と比較されて生きています。勝ち組、負け組に分けられ、勝ち組になったときは高慢になり、負け組になったときは、自分はだめな人間だと思ってしまいます。心が縛られているのです。そのことから自由にされます。」と牧師先生が言われました。

去年のキャンドルサービスで演じられたマックス・ルケードの「たいせつなきみ」が紹介されました。
「たいせつなきみ」は絵本としていのちのことば社から出版されています。
以下のような内容です。

木でできた小人、ウェミックたちの村では、誰もが同じことに夢中になっていました。ほめたい人には星のシールを、けなしたい人には、だめじるしシールをはることです。

だめじるしばかりベタベタはられたパンチネロは、外出するのもいやになってしまう毎日です。そんな時、どちらのシールもはられていない不思議な小人ルシアに出会います。

ルシアにすすめらて、パンチネロは自分を作ってくれたエリのところへ行って、だめじるしシールばかりはられてしまうことを嘆きます。

エリは、「気にすることはない。シールをはりつけているのは、一体誰だか考えてご覧、おまえさんと同じウェミックだ。仲間がどう思おうとかまやしない。大事なのは、このわたしがどう思うかなのだ。わたしはおまえさんのことを、かけがえのない宝だと思っているのだよ」と言います。

エリとパンチネロは、神様とわたしたちですね。神様はわたしたちが人からひどい評価を受けて、役立たずと言われても、おまえは宝物だよと言ってくださいます。

パンチネロは、ルシアにシールがくっつかないのは、人の評価を気にしていないからだと教えられます。

エリは「わたしの愛を信じれば信じるほどシールのことは気にならなくなる」とパンチネロに言いました。


神様の愛を信じると、人の評価が気にならなくなるのです。

また、聖書の言葉にとどまると、罪責感からの自由があります。聖書には、すべての人は罪を犯したので……と書かれています。過去を振り返って罪責感にさいなまれる人は多いでしょう。でも、キリストの贖いによって、すでにわたしたちの罪は赦されているのです。


「キリストは、自由を得させるために私たちを、解放して下さいました。(ガラテヤ5:1)」

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5:13)」


自由を得させていただいたのだから、その自由を自分のために使うのではなく、他者を愛するために使いたいと思いました。


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