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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

赦すこと、赦されること

2013-01-24 20:43:40 | 聖書から
昨日の水曜礼拝で「主の祈り」の意味を教えていただきました。1月16日のブログの続きです。

イエス様が弟子たちに教えてくださった祈りは、神様をほめたたえる言葉で始まり、「日ごとの糧を与えてください」と続きます。
この祈りはわかりやすく、具体的ですね。食べ物があることが当たり前のようになっているので、こんな祈りをする必要もないと思われる人がいるかもしれませんが、世界で飢えている人たちのことを思うと、食べ物があることは当たり前ではないですね。
食卓に上っても、自分で食べることができない人がいます。その人には、食べさせてあげる介護者が必要です。精神的な悩みを抱えていて食べられない人、病気で食べられない人もいます。


 わたしは、精神的ショックを受けたとき、食べ物を口に入れてもなかなか呑み込めませんでした。食事がのどに通らないとはこういうことか……と、経験して初めてわかったのでした。

父が末期がんでホスピスに入院していたときのこと。食事が運ばれてきて、父は食べようと箸をつけるのですが、どうしても食べられないのです。それをみて胸が痛みました。食べたくても、食べる気があっても、食べられないこともあるのです。
食事が与えられ、食べることができる幸いを改めて感謝しました。


日ごとの糧というのは、食べ物ともうひとつ、霊の糧という意味もあります。
霊の糧とは、神様の言葉…すなわち聖書のみ言葉です。


聖書が手元にあり、みことばを語ってくれる人がいることのありがたさを覚え、さらに聞く者の耳が開かれて信仰によって受け止めることができるように祈りました。

その次の祈りは、「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました」です。

「負い目」とは、直訳すると「借財」。文語訳では「罪」です。
以下は赦しの5つの条件です。

①赦しは、神がいのちをかけるほどの一大事です。赦さないことは、相手を殺すことです。

②赦しは、本人のためです。
もし、だれかを赦せなければ、その人には生涯喜びがありません。そこから解放してあげたいから赦すようにと神様が言われています。

③赦しは簡単ではありません。
詩編には敵を呪うような言葉がたくさん書かれていますが、ののしる言葉を相手にではなく神に吐き出すことを、神様は許容しています。

④赦しは宣言です。
これからの生き方が、過去に起こったことの意味を変えていきます。
過去に犯してしまった出来事を消すことはできないし、それが残っていく事実は変えられないけれど、その意味が変わることへの期待があります。

⑤赦しは、神がわたしを赦すときの痛みを味わう恵みの時です。
神がどれほど痛みをもって自分のことを赦してくださったかを考える恵みのときとなります。



赦すことは本当に簡単なことではありません。でも、赦さないでいると、赦されない人ではなく、赦さない人の人格が蝕まれていくような気がします。もし、赦すことができたなら、人知を超えた平安が与えられます。

もし、わたしが誰かを赦せないでいても、神様は「赦しました」と宣言してくださいます。赦されるために人を赦すという条件は必要ありません。わたしは、赦されなければ生きていけない者です。

今までたくさんの人の心を傷つけてしまいました。
過去の記憶をたどると、小学生の時のクラスメイト、Sちゃんにひどいことを言ったことを思い出します。今、どこにいるのかわからないので、あやまることすらできません。Sちゃんは、わたしがつけた傷の痛みでいまだに苦しんでいるのかもしれません。その傷つけたという事実は変えられません。でも、その意味が変わる期待とはどういうことでしょう……。
Sちゃんの中で、傷の痛みがやさしさになって誰かを慰めているかもしれないと期待するのです。

そして、神様はわたしを赦すために愛するひとり子のいのちを差し出してくださいました。この世界にこれ以上の痛みはないでしょう。これだけの痛み受けなければ、わたしの罪は赦されなかったのです。

人のことが赦せないと思うとき、この神様の痛みを思い起こしたいです。


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