5年半使った愛用のPCウインドウズビスタがいよいよおかしくなってきました。Cドライブ容量が足りないので、ファイルはすべて外付けハードディスクに入れ、可能な限りアンインストールし、ディスククリーンをかけても10%以下になっていました。1/1になぜか容量が増え、7.9まで回復したものの、自動的にインストールされる更新プログラムによって容量がどんどん減ってきています。動作も鈍くて、ひとつのHPを開くのに、ときには3分もかかります。Dドライブ容量は残っているのですから、まだ使えるはずなのに……。
主人用のPC(といっても、ほとんどわたしが使っているのですが)ウインドウズ7に切り替えようと移行させていますが、HPを更新するのに使うFTTPの設定がどうしてもできません。
去年の暮れに娘と息子にもみてもらいましたが、なぜ設定がうまくいかないのかわからないと言うのです。これではお手上げです。
日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHPの管理人をさせていただいているので、更新できないとなると、困ってしまいます。
JCPのHPは毎月10日に更新しています。新しいPCではFFFTPが使えないので今回初めてロリポップのFTPで更新を試みました。悪戦苦闘すること3時間。ようやくファイルのアップロードは成功したのですが、画像がどうしてもアップできず、結局古いPCのFFFTPで更新することになりました。古いPCがダウンする前になんとかしなくては……とあせっています。
昨日、水曜礼拝で主の祈りについて学びました。
主の祈りとは、イエス様が弟子たちに教えてくださった祈りの言葉です。
主の祈りは「天におられる私たちの父よ」で始まっています。神様のことを父と呼びなさいとイエス様は言われました。旧約聖書時代には神様のことを天の父と呼ぶ習慣はなかったそうです。
神様のことを「父よ」と呼ぶことができるなんて、何と素晴らしいのでしょう! そんなに親しげに呼べるなんて。
どんなに小さな声でも、心の声をも聴いて下さる神様。祈りに対してすぐに応答がなくても、神様にはしっかり届いているのです。
「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6:8)」とありますが、神様はすでにわたしたちの願いをわかっておられるけれど、求めを言葉に出して言うことが必要だと聞いて、祈りの本質を教えられました。
創世記に、神様が天と地を創造したことが書かれていますが、ひとつひとつに「よしとされた」と書かれています。神様がわたしたち人間を造った時もよしとされました。
その「よし」は、『完成しました。だから、あとはほおっておいても大丈夫』という意味ではなく、神様がこれからもずっとかかわっていくという意味です。そして、「よし」というのは、赤ちゃんを抱っこして「よしよし」と愛することを意味しますと牧師先生が言われるのを聞いて胸が篤くなりました。
祈りは、心を天に向けるとき、神を呼ぶときです。「わたしを呼べ」と言って下さる神様を一日に何度でも呼びたいです。
日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しましたのでごらんください。
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昨日、水曜礼拝で主の祈りについて学びました。
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主の祈りは「天におられる私たちの父よ」で始まっています。神様のことを父と呼びなさいとイエス様は言われました。旧約聖書時代には神様のことを天の父と呼ぶ習慣はなかったそうです。
神様のことを「父よ」と呼ぶことができるなんて、何と素晴らしいのでしょう! そんなに親しげに呼べるなんて。
どんなに小さな声でも、心の声をも聴いて下さる神様。祈りに対してすぐに応答がなくても、神様にはしっかり届いているのです。
「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6:8)」とありますが、神様はすでにわたしたちの願いをわかっておられるけれど、求めを言葉に出して言うことが必要だと聞いて、祈りの本質を教えられました。
創世記に、神様が天と地を創造したことが書かれていますが、ひとつひとつに「よしとされた」と書かれています。神様がわたしたち人間を造った時もよしとされました。
その「よし」は、『完成しました。だから、あとはほおっておいても大丈夫』という意味ではなく、神様がこれからもずっとかかわっていくという意味です。そして、「よし」というのは、赤ちゃんを抱っこして「よしよし」と愛することを意味しますと牧師先生が言われるのを聞いて胸が篤くなりました。
祈りは、心を天に向けるとき、神を呼ぶときです。「わたしを呼べ」と言って下さる神様を一日に何度でも呼びたいです。
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