生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

受け継いだもの(その2)

2011-02-14 21:09:59 | 教会

昨日の続きです

両親から受け継いだ遺産はよいものばかりとは限りません。負の遺産もあります。
パウロ先生には大変な持病がありました。眼病? てんかん?……何の病気かわかりませんが、伝道に差し支えが出るほどの病気で、とげを取り去ってくれるように神さまに必死に祈っています。
しかし、そのとげは取り去られませんでした。

聖書には次のように書かれています

このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:8-9)



「弱さを喜ぶことが大切です。弱さを神にゆだねること。弱さが御手の中で輝きます。
ていねいな心のこもった奉仕に弱さは不可欠です。」

と牧師先生が言われました。

『弱さが神の御手の中に入ったとき輝く』とは、何と嬉しいことでしょう!
わたしは何の自慢できるものがありません。でも、弱さなら自慢できます。気の弱さは世界一。体の弱さも並はずれています。

以前は弱いことが恥だと思っていました。人間の価値は、体の丈夫さによって決まるとさえ思っていました。大きな仕事をなし得る人、何かをやりとげることができる人は、能力とともに体力がある人だと思っていました。わたしのように疲れやすく、すぐ病気になる人は欠陥人間だと卑下し、元気な人と比べて落ち込んでいました。

ところが、この聖書の言葉に出会って価値観が180度変わりました。
神さまが、弱さのうちに完全に現れて下さるのなら、弱い人の方がすばらしいことができるということになります。

弱さが輝くのなら、弱いことを大いに喜べます。喘息になったこと、乳がんになったことも喜んでいます。
神さまの恵みは十分すぎるほどわたしの上に注がれています。

わたしは、大いに喜んで弱さを誇ります。

                 おわり




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