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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

『老いと死』という問題

2009-04-14 12:57:57 | エッセイ

若い人は感じないでしょうけれど、50代になると体が日々老化しているのを感じます。ましてや老化を促進するような薬を飲んでいるわたしはなおさらです。健康な人でも避けようのないことが、老化です。


一生懸命アンチエイジングの努力をして老化を遅らせることはできても、それを止めることはできません。
どんなに長生きしても150歳までは生きられませんね。100歳なんてまだまだ先。100まで生きれば十分と思っている人でも、実際に100歳に近づくと、あっという間だったなと思うことでしょう。
わたしはファンタージー小説で、年をとらない世界を書いています。5000年たっても誰も老いることがなく子どもは子どものままなのです。だからといって、その世界の人々は幸せを感じてないのです。それは、神様を知らず、人々は罪を犯し続けていたからです。


わたしたちの生きている世界では、生物には老いと死があります。生物だけではありません。物もどんどん古くなります。酸化し、色あせ、老朽化していくのを見ると虚しさを感じます。
体も朽ちていきます。つきつめれば、わたしたちは死に向かって一直線に突き進んでいるといえるでしょう。
とても恐ろしい事実です。それなのに、みんなそんなこと気にもせずに暮らしています。



わたしは中学生ころ、死ということを考えて、暗澹たる気持ちでいました。どうしていきつく先は死なのにみんな平然としていられるんだろうと思いました。
祖母に聞くと、「縁起の悪いこと考えるんじゃない」としかられました。『人はみな老いて死ぬ』という事実に大人は目をそむけているのだと思いました。
やがてそのようなことを考えるのをやめてしまいましたが、問題は未解決のままでした。


朽ちていく速度があまりにもゆっくりなので、同じような状態がいつまでも続くような錯覚をしているのかもしれません。でも、人は身近な人の死をみたとき、『なぜ人は死んでいくのだろう?』という問題にぶつかると思います。

でも、その問題はすでに解決済みでした。2000年近くも前にです。でも、あまりにも多くの人がそのことを知りません。


死の問題を解決して下さった方は、イエス・キリストです。イエス様が墓の中からよみがえったことにより死に打ち勝ってくださったのです。

「しかし、今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15:20)」

この聖書の言葉は、キリストが初穂で、後にわたしたちも死後復活するということを意味します。


一昨日のイースター礼拝では、「種が蒔かれると、芽が出て花が咲きます。花は種とは全く違う形をしています。花が咲くと、種はもうその形がなくなっています。そのようにわたしたちの体も、今は朽ちるものですが、朽ちないものに変えられるのです。」とメッセージがありました。

「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ・・・(Ⅰコリント15:42)」

わたしたちには『イエス様を信じるだけで、やがて朽ちない体に変えられる』という約束が与えられています。すごいことです。

人生が死で終わりなら、何をやっても虚しいです。でも、死で終わりではなく、朽ちない体、永遠の命をいただける約束があります。それを信じるか信じないか、人生はそれにかかっています。


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