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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

がん患者としての心境(その3)

2010-04-15 12:51:54 | 乳癌

3歳の孫、ヒックンが11日に熱を出して、昨日まで預かりました。熱は上がったり下がったりで、咳もひどかったのですが、昨日になってようやく平熱になりました。
小さい子どもは熱に強いのでしょうか・・・38度出ていても横にならず歩き回って遊んでいました。機嫌がよかったのでそれほど心配しませんでしたが・・・。今日はわたしが疲れて、ぼおっとしています。


12日にわたしのHPのほうからメールをいただきました。
乳癌と診断されてから乳癌関係のサイトをめぐり、わたしのHPにたどりついたそうです。明日入院して明後日手術と書かれていましたので、一生懸命お祈りしました。もう手術が無事終わったことでしょう。術後の回復のために祈ります。

「その後の放射線治療等、とても参考になります」と書かれていたので、このブログも読んで下さったのでしょう。嬉しく思いました。


術後の不安といえば、がんの場合は手術の傷よりも再発転移の不安が大きいのではないでしょうか。
わたしは最初、手術してがんを切り取ってもらえばそれで終わりだと思っていました。
ところが、術後は、放射線治療に加えて化学療法があり、それに伴う副作用、定期的な検査・・・長い道のりです。
やっと5年クリアーしましたが、わたしの場合はその後もまだ治療が続いています。

検査は、最初は3か月に一度でした。それが、半年に一度、年に一度になって、7年目の現在は転移に対する検査は受けなくてもよいと言われ、再発の検査だけになりました。
血液検査はこれからも定期的にしていきます。

放射線治療と同じように、エコー検査も怖かったです。モニターに映し出された画面を患者から見ることができません。(見ても素人にはわからないのでしょうけれど・・・)転移がんがたくさん映っているのではないかと不安になり、「大丈夫でしょうか?」と看護師さんに尋ねたくなります。

検査する看護師は、そのときには答えてはいけないことになっているらしいです。横目で看護師の顔色をみて、穏やかな顔をしていれば安心します。


そして、一週間後、検査結果を聞きに行きます。順番を待っている時間の緊張と不安はたとえようもありません。(予約していても2~3時間待たされます)
わたしは、本を読んで気を紛らしていますが、本の内容が全然頭に入ってこないときもありました。

そんなときは暗唱している聖書の言葉を思い出します。そうすると不安が遠のいていきます。

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)」


わたしというのはイエス・キリストのことです。平和の神であるイエス様が平安を与えるとおっしゃってくださるのですから、どんな結果が出ても心を騒がしたり、恐れたりする必要はないのだと思ってほっとします。

名前が呼ばれると、緊張は頂点に達します。医師の表情とレントゲンの映像を交互に見ながら、判決を待つ被告人のようにじっと医師の言葉を待ちます。

「異状なしです」と言われたときの安堵感。「ハレルヤ、神様、ありがとうざいます!」と心の中で叫びます。

亡き父の愛読書だった「永遠の言葉(三浦綾子著)」には次のような文章が書かれていました。


「人間は絶望的な状態であっても一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていくんですね。
治すのは何か別のもの、(医療の)諸技術も大事でしょうし、薬も大事でしょうけど、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かわれを忘れさせるということがすごく大事なのではないでしょうか。」

               
つづく


*写真は、我が家のベランダでやっと咲いたチューリップ。花が開いてヒックンが大喜びしました。

がん患者としての心境(その2)

2010-04-10 16:58:07 | 乳癌
「がん患者としての心境」というタイトルで書いていますが、
「がん患者のひとりとしてのわたしの心境」
の略です。一般的なことは書けません。わたし自身の心境です。


乳がん手術の後、薬が処方されました。がんを薬で治療することを化学療法と言うそうです。
わたしは、ホルモンレセプターが陽性だったので、ノルバデックスというホルモン薬とフルツロンという抗がん剤を処方されました。
ノルバデックスを飲むと子宮体がんにかかりやすくなるので、婦人科で子宮がん検診を半年に一度受けるように言われました。副作用としては、ほてりなど更年期症状が現れることがあると聞きましたが、フルツロンに関してはとくに説明がありませんでした。
確かにノルバデックスの副作用と思われる症状が現れましたが、子宮がんにはならず、ほっとしました。


手術から一年半ほどして、肺炎になりました。4月のはじめ、咳が出始めました。症状は軽いので、ただの風邪だと思っていました。娘の専門学校の入学式に出席するため、東京まで出向いたりしました。

咳が長引くので近所の病院で風邪薬をいただきました。洗髪するたびその翌日に微熱が出ていました。5月になって、いつもかかっている病院の内科に行くと、すぐにレントゲンを撮るようにいわれ、肺炎との診断を受けました。
内科の先生は、フルツロンの副作用で白血球値が低くなっているからだとおっしゃいました。

外科に行くと、「副作用ではない。あなたはもともと白血球値が低かったのだ」と言われました。フルツロンを飲む前の血液検査結果の紙をなくしてしまったので残念でしたが、確か5000ぐらいあったのです。それが2000ちょっとになっていました。


副作用を恐れて薬を飲まない患者さんがいるそうです。外科の医師はそれを恐れて副作用と認めなかったのかもしれません。
でも、あらかじめ注意してくだされば、咳が長引いたとき、無理をせずすぐに内科を受診していた思うのです。

がんが全身に広がっていくことを抑えるために処方された薬だと思うと、たとい副作用があったとしても飲みたいです。それは、命にかかわることだからです。
副作用があらわれたら、別の薬に変えるという方法や、副作用を抑える治療を受けることもできます。

フルツロンは3年で終わり、ノルバデックスのあと、フェマーラ。次にアロマシンを飲み、現在もアロマシンを飲んでいます。
更年期症状と関節痛の副作用は出ましたが、日常生活に支障をきたすほどひどいものではありませんでした。

がんじゃなくてもよく効く薬には副作用が伴います。副作用のあらわれ方は人によって違いますが、副作用を恐れることはないのです。

同じタイプのがんでも治療法が医師や病院によって違うことでしょう。実際、わたしは途中で主治医が代わり、治療法も違ったものとなりました。
この治療でいいのだろうか・・・?と疑問を感じた時期もありました。
でも、今は医師にすべておまかせしています。それは、神様が医師を通して最善の治療をなしてくださっていると信じることができたからです。
                
                  つづく


*ブックマークにある「日本クリスチャン・ペンクラブ」のHPと「生かされて・・・土筆文香」のHP更新しました。ぜひご覧ください。

がん患者としての心境(その1)

2010-04-07 20:35:54 | 乳癌

桜川の桜がほぼ満開になりました。

がんセンターの看護師である知人が、がん患者の術後の心境について論文を書くというので、少しでも参考になればと思って、がん患者としての思いを伝えます。

がん患者すべてが同じ気持ちであるとはいえません・・・これは、あくまでも乳がんを患ったわたし個人の心境です。


退院後、2週間ほどしてから放射線治療を受けるように言われました。50グレイ、25回の照射で、土日を除いて5週間毎日病院に通うのです。

まず、放射線をそんなに浴びて大丈夫なんだろうか? どんな副作用が出るのだろうか・・・と心配でした。

吐き気がして髪の毛が抜けてしまうのかと恐れていたら、それは点滴の抗がん剤治療の副作用であること。放射線にはそのような副作用がないと放射線科の医師が丁寧に説明してくださいました。丁寧に説明を受けることで精神的に落ち着いて治療が受けられます。

放射線の副作用は、皮膚が日焼けするように変色してくるけれど、もとにもどるから心配ないと聞きました。

それでも放射線室の中でひとりになると不安になります。ほんの短い時間なのですが・・・。わたしは主の祈りを祈っていました。

3週間目くらいになると、放射線を当てているところが、少し赤くなり、ひりひりしてきました。しばらくすると、こんがりと小麦色に色づいてきました。その後、日焼けしたのと同じように皮がむけてきれいになりました

放射線治療をすると副作用で体調が狂ってしまうことを恐れ、受けるのをためらっているという友人がいました。わたしは、自分の場合を話して、何の心配もいらないからぜひ受けるように勧めました。

点滴の抗がん剤治療は受けるように言われなかったので、それについては書けません。


わたしが不安になったのは、放射線治療が終わってからでした。
放射線を当てている間は少なくとも再発はしないだろうと思っていたのですが、終わった直後から再発転移が起きてくるかもしれないと考えて落ち着かなくなりました。

4つのリンパ転移があったからです。
リンパ転移についてインターネットで調べると、3個以上転移のある人は10年生存確率4%と書いてあるのを読んで、非常にショックを受けました。

インターネットで情報が簡単に手に入ることは、いい面と悪い面があります。4%という数字も確かなものではなかったのですが・・・当時の私は、その数字にとらわれてもうすぐ死んでしまうのだと思い込んでいました。

生存確率という言葉もよくないですね。もし、生存確率が80パーセントだったとしても、自分は20%に入るのではないかと思い、不安になったことでしょう。

自分の病状を正しく知ることはある程度必要ですが、知らなくてもよいことを知って、不安のあまり心の病にかかってしまうこともあると聞きます。

がん患者の中には眠れないからといって睡眠薬や精神安定剤を飲んでいる人が多いと知人が言っていました。

わたしも眠れなかったのですが、命をにぎっておられる神様にいっさいをゆだねることによって、眠れるようになりました。

                つづく


*詳しい治療内容と当時の心境を書いたものはHP「生かされて・・・土筆文香」の「病気のこと」に書いています。

傍観者

2010-04-02 11:32:43 | 乳癌

やっと暖かくなりました。
昨日は外科受診の日でした。いつも3時間以上待たされるのに1時間で呼ばれました。1週間前に受けた骨塩量の検査結果は、良好でした。(薬の副作用が出ていないこと、感謝)腹部注射はまだ打たなくてはなりませんが、転移の有無を調べる検査はもう受けなくてもよいと言われました。

再発を調べる胸部エコー(超音波)とマンモグラフィーは年に一度受けなくてはなりませんが、腹部エコーは受けなくてよいと言われ、嬉しくなりました。転移の可能性が低くなったからだと思います。乳癌手術から7年目になって、ようやくです。腹部注射は子宮筋腫が依然として大きいために受けていますが、それも早く終わりになってほしいです。


今日は受難日です。キリストが十字架にかかって死なれた金曜日で、明後日の日曜はキリストがよみがえられた日を記念するイースター(復活祭)です。

先日の水曜礼拝では、「聖書に十字架の痛みについて何も書かれてないのはなぜでしょう?」という質問がありました。

十字架刑は刑罰の中でも最も苦痛を伴うものです。ギロチンは残酷に見えますが、一瞬のうちに命が奪われるので、苦痛も一瞬です。でも、十字架は急所をはずして釘を打ち、時間をかけて死に至らしめる刑罰です。十字架につけられた人の大半は、あまりの苦痛に数時間で気が狂ってしまうそうです。

「聖書が十字架の痛みについて記述していないのは、わたしたちに痛みに対する同情ではなく、十字架の意味に目を向けてほしいと思ったからではないか」と牧師先生が言われました。

聖書には、十字架の痛みについてではなく、十字架に対する人々の態度が記述されています。ルカの福音書23章では、兵士たちがくじでイエスの着物を分けたこと、ののしる人たちのこと。同じく十字架につけられていた2人の犯罪人のことが書かれています。

イエス様に向かって「自分を救ってみろ」と言った人たちがいました。イエス様を救い主と認めているのに、「わたしを救ってください」と言っていません。傍観者として十字架のイエス様を見ています。

イエス様は、天地を創造された力あるお方です。ですから十字架につけた人たちを滅ぼしてしまうこともできました。また、十字架から降りて助かることもできました。でも、わたしたちを救うためにじっと苦しみに耐えておられました。


イエス様が十字架で苦しんでいた時、わたしの態度はどうだったのでしょう? 
わたしは救われてからも十字架のイエス様に対して傍観者でいた時があったことを思い出して心が痛んでいます。
常に自分のことを第一に考えて、イエス様が苦しむ姿を見ないようにしていた時がありました。
でも、イエス様はこんな不信仰なわたしのためにじっと苦しみに耐えてくださいました。
そして、わたしのために命を捨てて下さったのです。


「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません(ヨハネ45:13)」


*写真は我が家のベランダで咲いたクロッカス。チューリップはもう少しで咲きそうです。

病んでいても幸せ

2010-01-10 21:28:43 | 乳癌

年明けから忙しい毎日です。外出しない日は来客ありで、落ち着いた時間が持てずにいます。

一昨日は児童文学の会があったので朝早くから出かけ、午後からは病院へ行きました。乳腺外来で3時間待たされ、注射を打ってもらい、終わったのは5時でした。

昨日からはヒックンが来ています。ヒックンがお腹をこわし、ママが日曜出勤なので今日は預かることになりました。主人が午前中は面倒をみてくれるというので、わたしは教会に行けました。

最近主人は孫の扱いに慣れてきて、わたしが12時過ぎに帰ると、昼食を食べさせていました。3時間も面倒を見たのでさすがに疲れたようで、ヒックンが昼寝をすると主人はソファーでいびきをかいて寝ていました。ヒックンは夕飯も食べて先ほど帰りました。


教会では成人祝福式が行われました。祝福式にあずかった新成人の中にかつての教会学校の教え子たちが4人いました。ずっと教会を離れずにいる彼(彼女)らを嬉しく思いました。

メッセージの中で
『ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。(Ⅰコリント15:10)』
という聖書のみ言葉が心に残りました。

これは、パウロが書いた言葉です。
クリスチャンを迫害していたパウロが、復活のイエス様に出会ってキリストを信じ、伝える者になりました。そのことを感慨深く思い起こして書いています。


わたしも過去を振り返ると、神様の恵みによって今のわたしになったのだとしみじみと思います。

キリストを信じる前のわたしは、ネガティブで心配症で、そんな自分のことが大嫌いでした。何か不都合なことがあると人のせいにして、心の中は、恨みや憎しみでいっぱいでした。

もし、クリスチャンでないわたしが乳がんになったら、心が嘆きや怒りでいっぱいになっていたでしょう。そして再発転移を恐れるあまり別の病気になっていたでしょう。

でも、今のわたしは、乳がんになったことを感謝できる者になっています。

病んでいても幸せだと思え、辛いことがあっても心のうちに平安があり、感謝にあふれた日々を歩んでいます。

そうなったのは、わたしの力とか努力ではなく、神様の恵みによってです。

お母さん、心配しないで!

2009-04-28 12:10:51 | 乳癌

24日、病院(乳腺外来)は午後2時の予約でした。1時間程待っただけで呼ばれ、3時半には終わっていました。そのまま駅に向かい、6時半ごろ実家に着きました。
母には、薬の2次的副作用が出たため病院に寄ってから行くので遅くなると連絡していました。

「乳癌の手術して5年以上たっているのに、何でまだ治療しているの? どこか別のところが悪いんじゃないの?」
母はわたしの顔を見るなり言いました。
母に心配かけないように、乳癌の治療について今まで詳しく話していませんでした。

「普通、癌は5年たてば治療が終わるものでしょう。なぜまだ薬飲んでいるの? 知り合いで乳癌の人が何人かいるけど、みんな5年たったら治療終わったって言っているわよ」

母が疑問をもつのはもっともなことです。確かに癌は5年で治療が終わりになるケースが多いことでしょう。乳癌は5年ではなく術後10年から20年ぐらい注意が必要なのですが……。

わたしの場合は、リンパ転移があったため再発転移のリスクが高いので10年間は薬を続けた方がいいと医師に言われたのです。
リンパ転移があったことは母に話していませんし、そのことはこれからも話さない方がいいと思っています。

でも、嘘をつかずに母が安心できるように説明するには、なんて言ったらいいのでしょう……。知恵を与えて下さいと主に祈りつつ説明しました。


乳癌といっても、色々な種類があるの。ホルモンに関係しているものと、そうでないものがあるし、癌の大きさやできた場所などによって治療が違ってくるの。同じタイプ、同じステージの癌でも、術後の状態が人によって違うし、病院や医師によっても治療が異なるのよ。
わたしの場合は、術後放射線治療はしたけれど、点滴の抗がん剤治療をしなかったでしょう。だから、先生は5年で薬をやめず、まだ続けた方がよいとおっしゃるの。でも同じ薬を5年も飲んでいると効かなくなってくるでしょ。それで別の薬に変わったのだけど、わたしには合わなかったみたいで、今度また薬を変えることになったの。

いま、癌の研究が進んでいるから、次々と新薬が開発されているのよ。今まで飲んでいた薬は2007年に認証されたばかりの薬なの。

再発転移の可能性を最大限に下げるために最新で最善の治療を受けているの。治療を受けられること自体ありがたいよね。こんどまた腹部注射を受けることになったので治療費が大変だけど、医療費控除で注射の費用くらいは戻ってくるから感謝だね。

お医者さんでもわからないこともあるけれど、治療のうちに神様が働いてくださっているから、心配することは何もないのよ。
今回は薬が変わったせいで体調が狂ってしまったけど、それほど深刻なものじゃないから大丈夫。貧血といっても原因がわかっていて、治療を受けたからこれ以上ひどくならないし、血を作る機能に問題があるわけではないから心配しないで。

また薬が変わるから何が起こるかわからないけれど、すべてが神様の御手の中にあるから安心しておまかせしていればいいんだと思ってるの。


と言うと、母は納得したようでした。
詳しい治療内容については、後日HPに書かせていただきます。

25日にはJCPでよい学びができ、26日は教会でCSメッセージのご奉仕もできて感謝でした。

ようやく元気になりました

2009-04-24 12:02:55 | 乳癌

一昨日の朝、6時過ぎに目覚ましが鳴ったとき、とても気分が悪く、いつものように聖書を読むことすらできませんでした。その日、主人は東京での仕事で会議があるといっていたので、やっとのことで起き上がり、朝食の支度をしました。洗濯機におふろの残り湯を入れていると、ひどいめまいがして洗面所に倒れこんでしまいました。

さすがの主人も驚いたらしく、アルバイトに出かけようとしていた娘に「今日、休んでお母さんを病院に連れて行きなさい」と言っているのが聞こえてきました。
「午前中の受付終了が11時半だから、それまでに行けばいいから大丈夫」と答えて、寝室に這っていき、横になりました。動悸、めまい、そして頭痛がします。どれも貧血の症状だから大丈夫と思っていると、いつの間にかうとうと眠ってしまいました。

10時過ぎに目覚めたときは動悸以外の症状はおさまっていました。デボーションをすませ、支度をするとタクシーを呼びました。
タクシーに乗って出かけるとき、早退して帰って来てくれた娘と出会いました。運転手さんがドアを開けてくれたので「ごめんね、早退させちゃって。ひとりで行けるから、大丈夫」と言って病院へ向かいました。

病院にさえ着けば、そこで倒れてもなんとかしてもらえると思い、診察券をにぎりしめていました。

病院に着いて、まず乳腺外来の受付にいくと、「完全予約制なので看ることはできません」と断られてしまいました。(えーっ、こんなに具合が悪いのに?)とショックでした。

「このまま薬を飲んでいていいか、それだけでも先生に聞いてもらえませんか」と言うと、やっと看護師さんにとりついでもらえました。

「薬は飲み続けてください。今日は血液検査をしてから婦人科にかかってください。明後日14時から予約入れておきましたのでまた来て下さい」
とのことでした。血液検査の後、婦人科に行くと待合室はすごく混んでいました。

予約していないので、待たされることは覚悟していました。でもこれほどとは思いませんでした。11時30分に受付をして、呼ばれたのが15時30分。なんと延々と4時間も待たされたのです。昼食もとれずに。
ますます具合が悪くなった気がしました。

やっと呼ばれて診察室に行くと、「ひどい貧血ですね。明後日乳腺外来にかかるんでしょう。そこで鉄剤出してもらえますね」と言って、薬を処方しようとしないので「薬、今日ください。お願いします」と頼んで、いただくことができました。

こんなにひどい貧血の症状が出ているのに薬は明後日でいいなんて……明後日まで具合悪くてもがまんしなさいということなのでしょうか?

婦人科の入口には、『近隣の産婦人科が縮小しているので、当院に患者が集中しています。予約していてもかなりお待たせしますがご了承くださいとい』うことが書かれた張り紙がしてありました。

考えてみると婦人科の先生は、朝8時半から次々患者を看て、お昼も食べずに4時頃まで看続けているのでしょう。そうだとしたら、疲れて患者さんの身になって考えることなどできなくなってしまいますね。

とにかく終わって、へとへとに疲れ、再びタクシーに乗って帰ってきました。院外処方なので、薬局に寄って帰宅すると4時半でした。
さっそく薬を飲むと、よく効いて元気になりました。

今日、実家に泊まり、翌日JCPの童話とエッセイの会に出席する予定でいました。母はわたしが行くのをとても楽しみにしてくれています。

きっと金曜日までにはよくなると信じて祈っていました。神様は願いをかなえてくださいました。祈って下さった方に感謝します。

今日はこれからまた病院ですが、終わってからそのまま駅に向かって東京(三鷹)までいくつもりです。今日はあまり待たされませんように。




結果良好

2009-03-13 17:40:34 | 乳癌

今日はOさん宅での家庭集会でした。
午後1時半に先週の病院での検査結果を電話で問い合わせることになっていました。学びは午前中で終りますが、1時半というのは昼食後、話が盛り上がっているころです。

忘れないように、携帯のアラームセットをしておきました。エコー検査ではないので、それほど緊張していませんでしたが、結果が悪くてまた病院に通うことになったらいやだなあと思っていました。

きっちり1時半にかけると先生が忙しくてつながらず、2時ごろ電話をいただきました。
血液検査の結果も、骨塩量も良好でした。「骨塩量は若い人と同じくらいで、骨が固いですね」と言われて嬉しくなってしまいました。

積極的にカルシュウムをとり、運動し、自電車であちこち出歩いていたことが幸いしたのでしょう。今後、薬を飲み続けることによって減っていくことがあるかどうか……一抹の不安はありますが……。


実は、先週の土曜日、教会へ向かうとき、強風にあおられて自転車が転倒してしまいました。歩道を走っていたのですが、自転車は車道側に倒れ、わたしは車道にひざをついてしまいました。籠に入れていたカバンが道路の真ん中に投げ出され「大変、カバンが、カバンが…」とあわてて拾いに行ってから、車のクラクションが鳴ってはっとしました。カバンより自分がひかれるところだったのです。

ひざを打っていたはずなのにあざができただけで痛みもなく、骨も異常ないようだったのでほっとしました。もし、骨塩量が少なかったら骨折していたでしょう。

 
家庭集会の学びは、ルカ7:11-17でナインの町のやもめの一人息子をイエスさまがよみがえらせる箇所でした。
イエスさまはナインの町の門で葬式の列にでくわし、亡くなった青年の母親をあわれんで、青年を生き返らせてくれます。

そのことは、偶然ではなくて神様のご計画だったこと。この出来事は、「イエス・キリストは誰なのか?」と問いかけるできごとであると教えていただきました。

この奇跡を目撃した当時の人々は、イエスさまを大預言者であると思ったのですが、わたしはイエスさまが大預言者ではなく、神さまであること、救い主であることを知っています。失われていた命をもどすことができるお方は神さまだけですから。

すばらしいイエスさまを心からほめたたえます!

病院へ行ってきました

2009-03-06 22:07:14 | 乳癌

今日は乳腺外来の診察日でした。雨が降っているので自転車では行けません。
家から病院まで車なら15分、自転車なら25分で行けますが、歩くと一時間近くかかります。バスは駅経由で乗り継いで行くか、亀城公園のバス停まで20分ほど歩いてから乗るかのどちらかです。

亀城公園のバス停から乗ることにして出かけました。ところがバスが行ったばかりで、あと一時間も待たなければなりません。以前はもっとバスの本数が多かったはずなのに……。バスに乗る人が少なくなったのでしょうか。本当に困ります。
しかたなく、雨の中を歩いて病院までいきました。雨脚が強くなってきたので、着いたときはズボンもコートもびしょぬれでした。


でも、幸いなことに今日は足が痛くなかったのです。痛みがないときは、どんどん動かした方がいいのですから、たくさん歩いて体にいいことをしたのです。それから、歩きながら創作のストーリーを練ることができました。いいアイデアが浮かびました。ぼおっとして道を間違えそうになりましたが……。

着いてすぐ中央検査室で血液検査を受けました。午後だったので、すいていてすぐ呼ばれました。患者さんがたくさんいるときは、採血する看護師さんは、必要なこと以外しゃべりません。でも、そのときは数人だったので看護師さんが話しかけてくれました。

わたしの手をとって「手が冷たいね」「50分かけて雨の中歩いて来たんです」「へえっ!」それだけの会話で心が温かくなりました。

また、看護師さんはわたしの腕を見て「いままでずいぶんたくさん注射打たれているでしょう。血管が固くなっているから痛いですよ」と言いました。確かに子どものころからよく注射を打たれました。喘息の発作が起きると注射を打ってもらいに病院に通ったものです。
覚悟していたのですが、ちっとも痛くなく、ちくっとしただけでした。


その後、骨塩量を測りに行きました。
フェマーラという薬を飲むと、その副作用で骨塩量が減るかもしれないからということで検査したのです。でも、今回わたしは骨塩量の検査は初めてでした。薬を飲んで1か月以上たっているので、悪い結果が出ても薬のせいなのか、もともとなのかわかりません。
毎日ヨーグルトと小魚や干しエビを欠かさず食べているのですが、どうなのでしょう……。結果は来週わかります。

診察室は混んでいたので、呼ばれるまで2時間待たされました。先生に色々質問しようと思っていたのですが、呼ばれたときは何を質問するのだったか忘れていました。
「左腕と右肩はいつも傷むようになり、手足の関節は日によって痛かったり痛くなかったりです」と言うと、「あまりひどい痛みなら薬中断してもいいけれど……」と言われたので
「大丈夫です。これくらいの痛み、たいしたことないので」と答えました。

注射も痛いと感じなかったほどなので、わたしはもしかして痛みに鈍感なほうなのかな?
それとも、子どものころから苦痛に耐えることが多かったので打たれ強くなっているのかな?と思いました。そうだとしたら、子どものころ病弱だったことが今役立っているのですね。


痛みの度合いは、本人でないとわかりません。痛みを意識しはじめると、どんどん痛くなってくるような気がします。腕の痛みは、PCに向かっていると、ほとんど感じられないほどですが、リラックスしているとジンジンと痛んできます。

病院で2つの失敗をしてしまいました。
骨塩量測定のときに腕時計をはずして(はずす必要はなかったのです)かごに入れ、そのまま忘れてしまいました。トイレでそのことに気づいて取りに戻り、トイレに傘を忘れました。どちらも戻ってきたからよかったのですが、まったく大ボケぶりに自分であきれています。


*追記
PCを起動したときにWindous Dfennderから「アプリケーションの初期化に失敗しました。0x80016baに問題が発生し、このプログラムのサービスが停止しました。再起動するかサービスを手動で開始してください」というメッセージが出るようになりました。

何度再起動してもメッセージが現れます。システムの復元をやってもダメでした。どなたか解決法ご存知でしたら教えていただけますか?


*ネット検索で調べ、いろいろ試した結果、エラーメッセージが出なくなりました。『サービスを手動で開始する』という意味が理解できるまで2時間かかりました。(3/7 16:49記)



よろしゅうおたの申します

2009-02-23 13:40:43 | 乳癌

乳がんの再発転移防止のためにフェマーラという薬を飲んで1か月たちました。これまではたいした副作用が出なくてほっとしていたのですが、21日以降あちこちの痛みが急にやってきました。指の関節は大丈夫ですが、両肩と左腕間接がとくに痛みます。買い物で荷物を持つ時は困ります。シルバーカーではなくてショッピングカーを買おうと思っています。

薬を飲み始めたとき覚悟はしていたので、悲愴な気持ちにはなっていません。ずっと痛みが続いているわけではないので、痛くないときは積極的に動かすようにしています。


ようこそ痛みさん、やっと来たのですね。耐えられるだけの痛みにしてくれてありがとう。これから仲良くおつきあいしていきましょう。よろしゅうおたの申します。

わたしが願う二つのこと

2009-01-25 22:09:35 | 乳癌

娘と一緒に実家に行き、一泊してきました。夜、掘り炬燵に入って久しぶりに親子三代でおしゃべりを楽しみました。娘が学生の時は、わたしが実家に行くのにあわせて娘もいき、よく三人でおしゃべりしていましたが、娘が家にもどってきてからは、わたしひとりで実家に行くことが多くなり、三人で話すのは久しぶりでした。

二人だと話が盛り上がらないのに、三人だと盛り上がるのは不思議です。何を話したか覚えていないほどたわいのない話ですが、楽しいひと時でした。


そして昨日は、日本クリスチャン・ペンクラブの定例会に出席しました。みなさんの抱負を聞いたのですが、熱い思いを抱いて証文章を書いておられる姿勢に心打たれました。

理事長のI牧師からは今のわたしの願う二つのことを祈り求め、考えてみるようにとの勧めがありました。

箴言 30:7-9には次のように書かれています。


二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不真実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、神の御名を汚すことのないために。


「富も与えず」と願うことに感動します。富は多ければ多いほど嬉しいものですが、筆者は多く与えられすぎると食べ飽きて神様のことを忘れてしまう人間の弱さをよく知っているのですね。


19日に病院でノルバテックスの代わりに飲む薬、フェマーラを処方されました。ネットで調べると2006年に認証された新薬で、再発、進行性乳癌の治療薬と書かれていました。骨粗鬆症になったり、関節痛が起きる副作用が出る可能性のある薬です。

これまで飲んでいた薬、ノルバテックスがなくなってからでいいと言われたので、フェマーラはまだ飲んでいませんでした。残りの薬は5錠。24日の分までありました。

今日は教会学校で奏楽をする日です。飲み始めてすぐに副作用が出るわけではないでしょうけれど、奏楽を無事終えて帰宅してから飲みました。

奏楽奉仕は、もしかしたら今日で最後になるかもしれないと思いました。子どもたちが神様を心から賛美する助けができるように弾かせて下さいと祈り、歌詞を思い浮かべながら、わたし自身も神様を心からほめたたえて弾きました。胸がいっぱいになって、できればこれからも奏楽奉仕を続けさせて下さいと祈っていました。

副作用のことは同じ分級を担当しているおふたりにも祈ってもらいました。礼拝では、奇しくも友人のMさんが隣の席に座ったので、礼拝後祈って下さいました。本当にうれしかったです。

大丈夫とわかっていても、不安に襲われるときがあります。祈りによって支えられています。


わたしが願うふたつのこと
体調が悪くなりすぎて、苦痛のあまり祈ることもできなくならないようにしてください。
体が丈夫になりすぎて、自分の力で何でもできると、おごり高ぶることのないように、
へりくだる心を持ち続けるために適度な苦しみと、奉仕する元気を与えて下さい。

同意書

2009-01-19 17:04:04 | 乳癌

今日、病院へ行ってきました。乳がん手術後、5年間飲んでいたノルバテックスに代わって、フェマーラという薬が処方されました。これから5年間飲むのです。

この薬には、副作用が伴うことが多いので同意書にサインをするように言われました。どんな薬でも多少の副作用はあるものです。今まで、さまざまな薬を飲んできましたが、同意書を必要とする薬は初めてでしたので、副作用の説明を聞くときは、緊張しました。

骨粗鬆症になるおそれや手足の関節痛が起こるおそれがあるそうです。
「ピアノは弾けますか?」 と聞くと、「かえって動かした方がいいので弾いて構いませんが、痛みがひどいようなら弾かないように。また、バネ指になる人もいるので、そのときは手術をすることになります」との答えでした。

教会学校で奏楽をしているので、ピアノが弾けなくなるのはがっかりですが、もし、弾けなくなったらそのときはやめたらいいのだと思いました。(ほかにも弾ける人は数名おられるので……)

パソコンのキーボードを打つのにも大変になるのでしょうか? このことについては質問しませんでした。(打てなくなるはずはないと思って……)

副作用が出ないように友人に祈っていただこうと思ったのですが、医師に「副作用が出るということは薬が効いているということで、全く出なければ薬の効き目がなく、再発転移の可能性が大きくなるのです」と言われました。

早い人は2.3か月後に、遅い人は2.3年後に痛みのピークが来て、それからは少しずつ和らいでくるとのこと、たいしたことはないですね。

神様は、不必要なものをお与えにはなりません。これから痛みと闘うことになるかもしれませんが、それはわたしに必要なものなのでしょう。どんな痛みでも呼吸困難よりはありがたいです。

喘息の重い発作で壮絶な苦しみを体験したわたしは、どんな痛みでも恐ろしくありません。
神様は耐えられないような試練を与えることはありませんから、心配することは何もありませんね。

耐えることによってイエス様に少しでも近づけるなら痛みを歓迎します。



*追記:今日血液検査もしました。結果がすぐ出て、腫瘍マーカー値、異状なしでした。感謝!
                                 

術後5年たって

2008-12-08 13:20:19 | 乳癌

乳癌の手術をして今日でまる5年になります。術後3年ぐらいの間は、再発または転移するのではないかという恐れとの闘いでした。再発リスクが高いので、長くは生きられないのだと覚悟を決めて、日々を過ごしていました。

5年たったからといって、再発転移のリスクが小さくなったわけではありません。むしろ、5年クリアーしてほっとしたのも束の間、再発がみつかって……という方が少なからずおられることを思うと、これで安心というわけにはいきません。
乳癌は、ほかの癌と違って5年間再発転移しなければ大丈夫なのではなく、10年以上たっても再発転移することがあるからです。

5年間飲んでいた薬は終わりになりますが、来年1月からは別の薬をさらに5年間飲むように医師から勧められています。どれほどの効果があるかわかりませんが、飲むことにしました。

5年たった今の心境は、これまで守られたことと、健康であることに感謝の気持ちでいっぱいです。乳癌になる前より元気です。もともと体が弱く疲れやすい体質なのですが、疲れても最近は回復が早く、風邪もあまりひかなくなりました。日常生活の中では、乳癌ということを忘れていることが多いです。

あまりテレビは見ない方ですが、最近フジテレビの「風のガーデン」を見ています。自分が末期癌であることを知った麻酔科医が離れて暮らしていた家族のところへ帰るという重いテーマのドラマです。

乳癌になってから、主人公が病気で死に至るとわかっているようなドラマは見られませんでした。それ以前は、自分と切り離して見ていたので平気でしたが、自分が癌になってから、このようなドラマを見ると身につまされるのです。
主人公の父親役の緒方拳さんが現実に末期癌で、それを誰にも言わず出演していたドラマだと知って見始めたのでした。緒方拳さんはどのような思いで演じたのだろう……と考えると胸が痛みます。
また、癌で2年前に召された父のことも思い出され、せつなくなります。


毎回涙を流しながらも見ていて、自分自身の心境の変化で気づいたことが2つあります。ひとつは、死を見つめることがつらくてたまらなかったのに、今はつらくとも耐えられること。もうひとつは、死を目の前にしている人の気持ちが痛いほどわかるということです。もちろん、100%ではありませんが……。

でも、死に打ち勝つお方がおられること。そのお方、イエス・キリストが永遠の命を与えて下さることを思うと、希望が沸いてきます。

今日これから母が泊まりがけで来ます。明日は母と教会のクリスマス会に出席する予定です。


最善の治療法

2008-07-08 12:38:37 | 乳癌

昨日は病院でしたが、珍しく待ち時間が1時間以内でみていただけました。今回は検査なしで、問診と薬をいただきました。

「あと5か月で5年ですね」と言われて感慨深くうなずきました。
5年は長かったでしょうか? 最初の2年ぐらいはとても長く感じました。そのあとはあっと言う間という感じです。

薬ノルバデックスからやっと卒業できるのですが、その後5年間別の薬を飲むことをお勧めしますと言われました。

「リンパに4つも悪い物が見つかったのですから、今なら強い抗がん剤治療をするところですが、あなたはそれを受けていません。今まで再発転移がなかったのは、ホルモン剤がよく効くタイプの癌だったからですね。まだまだ安心できないので、リスクを下げるため飲んでください」と言われました。

医師の言われるとおり、わたしは点滴による抗がん剤治療を受けていません。当時乳がん手術を執刀して下さった医師に放射線と化学療法だけでよいと言われたからです。
いまさら考えてもしかたのないことですが、本当は受けるべきだったのでは……と心が揺らぎました。当時は選択の余地も、疑う余地もなく、髪の毛が抜けるような治療をしなくてすんでよかったと単純に喜んでいたのでした。

癌の治療法は日に日に変化していますし、医師によって方法、考え方が違うのですからなんとも言えませんが、前の医師はリンパ転移のことをたいしたことではないと言い、フルツロンを飲んで白血球の値が下がったことは最後まで認めませんでした。

わたしは本やインターネットで調べて、リンパ転移の危険性を知り愕然としたのですが、今に至るまで再発転移がないので、最近はたいしたことではなかったのかもしれないという気持ちになっていました。
やはり、たいしたことだったのですね。緊張で身が引き締まる思いがしました。

最善の治療を受けたとしても、癌が進行して死にいたってしまう方もいます。わたしの受けた治療が医学的にみて最善だったかどうかわかりませんが、神様はいつも最善をなして下さるのです。
再発転移しても、死に至っても、それがわたしにとっての最善です。

今まで元気で生かされてきたことがどれだけ感謝なことか改めて実感しました。そして今、健康が支えられているのですから、神様の栄光を現わすために時間を捧げていきたいと思うのです。


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ほどよい緊張感

2008-04-21 16:16:00 | 乳癌

「たとえば癌を宣告されたなら、あなたはどう反応しますか?」
テレビからこんな言葉が聞こえてきました。多くの人が「目の前が真っ暗になる」「絶望してしまう」などと答えていました。
わたしは、「癌と言われて、どうしてそんなに深刻になるのかなあ?」と首を傾げています。

もちろん、癌は病気の中では死亡原因第一位です。でも、すべての癌患者が癌で死ぬとは限りません。決定的な治療法は確立されていませんが、医学は日進月歩です。

わたしは乳癌を宣告されたとき、驚きもせず、落ち込みもしませんでした。呑気な性格だということと、癌に対する知識が浅かったことからです。

しかし、実際後になって、手術を受ければそれで完治ということではないと知り、退院後は不安と苦悩の日々でした。

現在、4年たって薬は1種類になり、検査も年に一度でよくなり大分楽になりましたが、緊張感は続いています。いつか「余命あと半年です」などと言われる日がくるかもしれないという緊張感です。

わたしは、癌になる前は、緊張感に欠けていたような気がします。
もちろん極度に恐れたり、再発転移におびえたりしているわけではなく、忘れていることも多いのですが、癌患者であるという自覚がほどよい緊張感を醸し出してくれています。


昨日の礼拝メッセージでは緊張について語られました。
人間は日常性究極性の中に生きているのだそうです。

日常性というのは、何も考えずに毎日行っていることです。(たとえば、朝起きて歯を磨く、食事をするなど。)これは効率的ですが、緊張感はありません。

究極性の中で生きるとは、万が一のことを(たとえば友人の訃報を聞いて、自分の身にも起こるかもしれないなどと)考えたり、物事の意味を問いかけたりして生きることです。

究極性の中だけでは、人は疲れ果ててしまい、生きていけませんが、ある程度の緊張感は必要なのですね。

パウロはⅠコリント人への手紙9:27に「私は自分のからだを打ちたたいても従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」と書いています。

当時コリントの教会のクリスチャンは、緊張感を持たず、自信過剰で高慢になっていました。それをいさめて書かれたのだそうです。
キリストによる救いを受け入れたからといって高慢になったり、自堕落な生活をしていたら、失格者になってしまうという警告です。

緊張感を持たなければならないといわれても、それがストレスになってしまってはいけませんね。新しい恵みを受けているという心地よい緊張感を持つことのすすめがありました。


「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(へブル人への手紙10:23)」


今日もヒックンが風邪ひいたので預かっています。娘がいるのでだいぶ助かります。昼寝しているときだけが、自分の時間です。そろそろ起きてきそうです。


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