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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

クリスマスの意味

2017-12-19 17:38:07 | ティーンズ
2週間前にひいた風邪がきっかけで、咳喘息になってしまいました。咳は治ってきたと思うとぶり返し、なかなか良くなりません。熱は出ていないので普段通りに過ごしていますが、十分な睡眠がとれていないせいか体がきついです。
今度の土曜からまた2人の孫を預かるので、それまでに治らないと困ります。今日、ようやく病院へ行ってきました。

16日はティーンズのクリスマス会でした。友達やしばらく教会に来ていない人を誘って、何週間も前から準備しました。プログラムは、まず礼拝をして、そのあと室内ゲームをし、お母さん方が用意してくださった夕食をいただきます。

プログラムはすべてティーンズの子どもたちが考えます。
礼拝、祝会(ゲーム)、食事の3グループに分かれていろいろアイデアを出して工夫を凝らしていました。

わたしはデスチャーゲームの担当でした。といっても助言するぐらいで見守っていただけですが……。パワーポイントを使って時間内に答えないと次の人と交代するというやり方で、次々進められました。

そのほか、一画ゲーム、宝探しゲームなどをしました。
かつて小学科の夏期学校などで、受け身でやっていたゲームを、中高生になった子どもたちが、こんどは友人を楽しませるために準備しています。そんな姿を見ると、成長したなあ……と感慨深く、成長させてくださる神様に感謝します。

テーインズ礼拝はバンド演奏で行っています。

クリスマス会の礼拝メッセージは、初めて教会に来た子にもわかるような内容でした。
かいつまんで紹介させていただきます。

クリスマスは、この世界を造られた神が、そのひとり子をこの世界に贈られたことを祝う日です。
2000年間祝い続けられているのは何故でしょう。この世界にイエスが誕生した意味は何でしょう。
聖書には次のように書かれています。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(Ⅰヨハネ4:9)」

イエス様は後に十字架にかけられて死にますが、それは私たちにいのちを与えるためでした。
イエス様は私を愛していることを示すためにお生まれになったのです。クリスマスは、あなたを大切に思っていることを2000年間伝え続けています。

この愛のメッセージを知らずに、自分のことを大切にできない人がたくさんいます。どうせ生きる価値がないんだ。誰からも必要とされていないんだと思い込んで自死に至る人も居ます。

「教室内カースト」という本には、教室の中に見えない地位があることが書かれています。生徒たちは、自分がどこに属しているか。人からどのように見られているか。と、常に心配しています。トップの子たちは、やたらに声が大きくいつも笑顔でいますが、心の中では泣きたいのです。悩みがあっても誰にも言えず、「本当のわたしはどこにいるの?」「何のために生きているの?」と苦しんでいるのです。

イエス様は、苦しんでいる人たちに「ありのままでいいんだよ。わたしは、そのままのあなたを愛しているよ」と言っておられます。

神様は、ひとり子のイエス様を私たちの身代わりに十字架にかけてくださるほど、私たちを愛してくださっています。
イエス様は十字架にかかって死ぬために生まれたのです。十字架刑という壮絶な苦しみを経て死ぬことがわかっていて生まれてくださったのです。何故でしょう……。それは、わたしたちの罪を赦すため、そしてわたしたちを愛するためです。




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クリスマスは誰の誕生日?

2017-12-13 17:28:15 | 教会
もうすぐクリスマスですね。街ではきらびやかな飾り付けがなされ、クリスマスソングが流れています。
なぜクリスマスを祝うのでしょう。クリスマスはサンタクロースの誕生日だと思っている人もいます。

そうではありません。4千年も前から、人々はある方の誕生を待ち望んでいたのです。そして、2千年ほど前にそれは実現しました。
ある方とは、イエス・キリストです。

旧約聖書には、救い主が生まれることについて書かれた箇所がいくつもあります。けれども、それがいつのことなのか書かれていないので、旧約聖書を読んでいた人たちは、そのときをずっと待ち望んでいました。
救い主とは、罪のため滅んでしまうしかない人々を救ってくださるお方のことです。
救い主は、ご自分を信じる人々を神の子とし、永遠の命を与えてくださるお方です。

旧約聖書は、イエス・キリストが誕生する前に書かれました。新約聖書は、イエス・キリストの誕生後に書かれています。
2千年前に人々が長い間待っていた時代は終わり、救い主であるイエス・キリストがお生まれになりました。

旧約聖書で預言されている箇所があります。

「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声を上げず、
ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには地に公義を打ち立てる。
島々も、その教えを待ち望む。(イザヤ42:1~4)」

(彼というのは、イエス・キリストのことです)

12弟子のひとりであったマタイは、マタイの福音書にこの箇所を引用しています。(マタイ12:18~22)
ほとんど内容は同じですが、最後に「異邦人は彼の名に望みをかける」と書かれていて、そこだけが違っています。『待ち望む』→『望みをかける』に変化しているのは、マタイが実際に救い主と出会って弟子となり、その感動からこの一文を書いたと教えていただきました。

イエス様の誕生は、希望があり、いのちがあります。

なぜイエス様に希望があり、いのちがあるのかについて、メッセージで語られたことを紹介させていただきます。

イエス様は多くの病人を癒しましたが、その偉大な力をご自分の名声を高めるためのことはしませんでした。不正なことをしていた収税人、殺されそうになっていた女の人、生まれつきの盲人、37年間病んでいる人など、ひとりひとりに全力でかかわってくださいました。

また、イエス様は弱さを担ってくださいました。重い荷物を背負って歩いていると思ったら、荷物ごと運ばれていました。運んでくださったのはイエス様です。


「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになってもわたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なおわたしは運ぼう。わたしは背負って救い出そう。(イザヤ46:4)」

イエス様は、私たちが弱いからこそ近づいてきてくださったのですね。

心配性で気が弱く、いつも何かにおびえていた弱い弱いわたしにイエス様の方から近づいいてきてくださったのです。


「彼に信頼する者は、失望させられることがない。(1ペテロ2:6)」



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喜びに呑まれた悲しみ

2017-12-05 20:28:00 | 家族
2日の土曜日は、教会で父母の記念会を行っていただきました。身内の者9名+子ども3名と友人と教会スタッフの先生方だけの小さな会です。娘一家は前日から来て泊り、妹一家は当日から来て泊り、息子一家は仕事の合間を縫って来てくれました。

2年前に母が召されたので、「お母さんの3回忌がしたい」という妹から要望がありました。遺骨はふたりとも分骨して秋田のお墓と土浦めぐみ教会の納骨室に収めています。
秋田まで行くこともないので、教会で執り行っていただくことにしました。

父は11年目の記念会となりました。
妹に母との思い出、姪に祖父との思い出を語ってもらいました。わたしはパワーポイントで映像をうつしながら、主に父の生涯について、そして父と母がどのように信仰を持つに至ったかを以前書いた「心のフィルムに」というエッセイから話しました。

こんなに緊張したことはありませんでした。身内の前で話すのは照れくさいという思いもあって、ちゃんと語れたかどうか記憶にないほどです。
そして、肝心なことをいくつか抜かしてしまいました。

わたしの話の後で牧師先生が説教をしてくださったのですが、わたしが抜かしてしまった箇所のほとんどを語ってくださいました。前もって牧師先生に原稿を見せていた訳ではなかったのに……。驚きました。神様が欠けをすべて補ってくださったのです。

お墓には、『亡くなった方を思い起こす』という意味があるそうです。納骨堂のある会堂で故人の思い出を語り、思い起こすことができるとは、なんと幸いなことでしょう。寂しさが心にあったのですが、父と母は天を見上げながら天の御国に行ったという確信が与えられました。

ふたりとも、神様が用意してくださった『憩いの水のほとり』で安らいでいることでしょう。父母に再会できるという希望に、悲しみが喜びに呑み込まれてしまいました。

記念会で語られた聖書の言葉

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」
                              ヨハネ14:1~2


翌日の日曜には妹と姪が礼拝に出席できてうれしかったです。

父のことを詳しく書いたエッセイはわたしのHP「生かされて・・・土筆文香」のエッセイの部屋「心のフィルムに」に掲載しています。ここをクリックしてごらんください。


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待つということ

2017-11-29 20:06:16 | 教会
今日は水曜礼拝の後、駅前に新しくできた土浦図書館に行ってきました。
今迄の図書館が閉館する前に8冊も借りていたので返すのが目的です。借りている期間が図書館移転のため2か月近くあったのですが、半分も読めませんでした。(別の本を読んだりしていたので)

今回は忙しくて2週間後に返せるかわからないので、借りて来ませんでした。

館内は明るくてとても広く、ラウンジもあり、くつろいで本を読んでいる人たちがおられました。児童書のコーナーも広くて、これまでの図書館とはずいぶん違います。

ただ、これまでは家から歩いて10分ほどのところに図書館があったのに、今度は遠くて30分はかかります。自転車でも遠く感じられます。運動になるので通うつもりですが、年明けてからにしようと思っています。

水曜礼拝では「待ち望む心」と題して聖書のルカの福音書1:26~38からメッセージをいただきました。

先日、つくばエクスプレスが20秒早く発車したことを鉄道会社が詫びていましたが、海外メディアから驚きの反応があったそうです。

アメリカでは、20秒遅れたぐらいであやまっていたら、あやまる専門の駅員が必要だと言ったとか……。
時間通りが当たり前の日本と30分ぐらいまでは遅れても気にしない国とでは感覚が違うのでしょうね。

ラインの返事が5分来ないだけでイライラする中高生。現代人は待つということができなくなっていると聞いて、わたしもそうかもしれないと思いました。

知り合いに「あなた、かなり危ない運転をしているね」と言われました。わたしが自転車で走っている時、ちょうど車の中から見ていたそうです。信号がまさに赤になろうとしているときに猛スピードで渡ったり……。

暴走ぶりを見られていたんだ(>_<) でも骨粗鬆症と診断を受けてからは、転ぶのが怖いので無謀なことはしなくなったと思いますが……。


待つということは時間の無駄だと考える風潮がありますね。待っているだけではだめ、自分から行動すべきだと言う人もいます。
なぜ待てないのか……それは恐れに取りつかれているからだそうです。満たされていない思いがあり、自分が不完全な者だと思って恐れるため、待つことができないのです。
また、怒りの感性も待つことから遠ざけています。

でも、待つことのできた人たちがいます。
2000年前、ザカリア、エリザベツ、マリヤ、ヨセフ、シメオン、アンナは待つことができました。救い主がいつか生まれると旧約聖書に預言されていて、イスラエルの民はそのときをずっと待っていました。聖書の人たちは、待つことが、かけがえのない時間と思って待っていました。それはすでに起きている出来事なのだと信じ、今を積極的に待っているのです。

マリヤは神の子を宿していると知り、驚きとまどいながらも受け入れました。そして、胎内で赤子が育まれ、生まれてくるのを待ちました。
より良いできごとが起こると信じ、希望を持って待ちました。

ザカリアとエリザベツは年を取ってから赤子を授かり、生まれるときを待ちました。シメオンとアンナは救い主に会うことを待ちました。

待つことができなくて自分の意のままに操作しようとする人たちがいます。
でも、わたしたちの人生を導いてくださる神様を信頼して待ち望むことが大切だと
教えていただきました。


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決して滅びないもの

2017-11-24 20:36:12 | 家族
昨日は91歳の義母の引っ越しでした。老人ホームに入居するのです。ホームの場所は自宅から車で30分のところです。3人の子どもの家からは、それぞれ2時間以上(わが家からは3時間以上)かかる場所です。

90歳近くになってから、一人暮らしが不安になったようなので、わたしたちはホームを捜し、見学に行ったり、体験入居してもらったりしました。でも、義母は気に入らないようで、入居するとはなかなか言いませんでした。
ようやく決めた理由はわかりませんが、慣れ親しんだ自宅から近いこと。ホームから歩いて10分のところにお墓があることがいちばんの理由かもしれません。

ホームで必要な家具は、ほとんどネットで購入しました。わたしが購入手続きをしたのですが、とても時間がかかりました。

日時指定ができるものが少なかったからです。しかも日時指定ができるかどうかは購入手続きに進んでからでないとわかりません。やっとサイズも色もちょうどのものを見つけてカゴに入れたのに、日にち指定が出来ないことがわかり、カゴの中を削除することの繰り返しです。

自宅に送ってもらうのならいいのですが、ホームに直接送る場合は、日時をそろえたほうがいいと思い、23日の午前中着でなんとか必要な5点を送ってもらいました。同じ店のものを送りたかったのですが、それができず、すべて別の店からでした。それでも間違いなくちゃんと指定通り届いたので感謝しました。
押し入れや部屋のサイズは夫がしっかり測っていたので、ぴったりおさまりました。

午前中は土砂降りだった雨も午後になるとぴたっとやみました。家から運ぶ荷物は義弟の車に積み、4往復もしてくれて、すべて運び入れることが出来ました。その間、わたしはお義母さんとお茶を飲んでおしゃべりしていました。

朝から悲しげな表情をしていた義母ですが、新しい部屋で新品の高座椅子にすわると、ほっとしたようでやっと笑顔を見せてくれました。

義母が「時間がたっぷりあるから絵を描こうかな」と言ったので、「出来上がったら見せてくださいね」と言うと、「でも、どうせ捨てるのよね。今まで作ったものもみんなゴミになるんだから」と悲しそうに言いました。かつては木目込み人形を作っていて、家にたくさん飾っていたのですが、ホームに持ってきたのはひとつだけでした。

わたしも断舎離をしていると、今までやってきたことがすべて無になるような気がして空しくなりました。
「作品がなくなってしまっても、作品を見た人の心に残りますよね。それで元気づけられたりするのです。何よりも作った本人が我が子のように忘れないのだから、これからも描いたり作ったりしてください」と言いました。

本当は「決して滅びることのないものがある」と言いたかったです。
聖書には「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは、決して滅びることがありません。(マルコ13:31)」とはっきり書かれています。

造られたものはやがて滅びます。こんなに空しいことはありません。でも、神様の言葉は決して滅びることがありません。神を信じる者も滅びることがないのです。


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見えるようになれ

2017-11-21 16:46:44 | 聖書から
このところ忙しくて毎日が矢のように過ぎ去っていきます。感動したことがあっても、書き留めていないと忘却のかなたに流れ去ってしまいます。
すべてを書き記すことはできませんが、今日は少しさかのぼって16日の家庭集会の学びを思い起こしてみます。

聖書には同じ章の中にいくつものエピソードやイエス様の語られたことが書かれています。

ひとつずつ切り離して考えがちですが、全く違うと思われたふたつのことが、実はつながっていたことを教えられました。

ルカの福音書18:31~33に書かれていることは、イエス様が12弟子に言った言葉です。「人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は3日目によみがえります。」
人の子とはイエス様ご自身のことで、これから起こることをおっしゃっているのですが、
弟子たちには、これらのことがさっぱりわからなかったようです。

18章35節からは、イエス様がエリコの町で盲人の目を癒されたことが書かれています。
物ごいをしていた盲人は、イエス様が自分のいる町に来られたことを人々の話し声から察し、このかたこそ神の子だと思ったのでしょう。

「ダビデの子のイエスさま、わたしをあわれんでください」と叫び続けました。
ダビデの子とは、神の子という意味です。人々にうるさいと言われようが、迷惑がられようが盲人は叫ぶのをやめませんでした。
イエスさまこそ癒し主、救い主だから今を逃したら一生お会いできないかもしれない。でも、お会いできれば見えるようになると信じたのです。

イエス様は彼を連れてくるように言われました。そして盲人に「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられました。イエス様は、盲人の考えていることをすべてご存知でしたが、あえて尋ねられました。
「主よ。目が見えるようになることです」

何と明快な答えでしょう。この人は少しもひねくれていません。
わたしだったら、「目が見えないことを知っているくせに、なぜわざわざ聞くのですか?」
と言ったかもしれません。


イエス様は「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言って直してくださいました。
弟子たちは今、目の前で起きている出来事しか見えていなかったので、イエス様の語られたことを理解することができませんでした。

盲人は、目は見えなくても心の目が開かれていたので、イエス様が癒す力を持っていることを信じていました。
「あなたの信仰があなたを直した」と言われて、嬉しかったことでしょう。その後、彼は神をあがめながらイエス様についていきました。
一方、弟子たちはその後、イエス様についていけなくなります。

レジュメには「イエス様についていくためには何が必要でしょうか?」
「何が分かるとイエス様についていくことができますか?」
と書かれていました。



日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。


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無理なく自然体で

2017-11-17 15:20:20 | エッセイ
昨日はレストランでの家庭集会でした。いつもは教会で行っていますが、年に2回ほどレストランでさせていただいています。オーナーのご夫妻が同じ教会員なので、家庭集会をしたいと言えば、お店を貸切にしてくださり、おいしいランチをごちそうしてくださいます。

一時間半ほど聖書の学びをしてからランチを戴き祝福された時間を過ごしました。
学びについて書きたいのですが、これから孫たちを迎えに行くので時間がありません。

教会の月報に掲載された家庭集会についてのエッセイを紹介します。

                  無理なく自然体で
                              
家庭庭集会は27年目になりました。土浦に引っ越してから半年後に始めましたが、市内で2回引っ越したので場所が変わり、メンバーも変化しました。

家庭集会を開きたいと思ったのは、同じマンションの人たちに福音を伝えたいと思ったからです。最初に住んでいたマンションは、新しくできたばかりでした。小学生のお子さんのいる家庭が多かったので、当時小学2年生だった長男を通してマンションの方々とおつきあいするようになりました。家庭集会にお誘いすると、初めは10人も集まって驚きましたが、長続きはしませんでした。

その後、クリスチャンの姉妹数名がメンバーになって下さいました。
数年して、隣に高齢のご夫婦が引っ越してこられました。家庭集会におさそいすると、ご夫妻は2年の間、毎回来て下さいました。でも、残念なことにご主人が召され、その後奥様も召されてしまいました。
文京町に引っ越してからは、Sさんが家庭を開放してくださり、新しいメンバーも与えられました。家庭集会のメンバーで2人の方が受洗の恵みにあずかりました。

その後、隣町に引っ越したのですが、数年たつと夫が退職して家にいるようになりました。最初は夫が出かける予定の日に家庭集会をしていましたが、夫の予定が急に変わることがあり、負担をかけてしまいました。これまで家庭を開放してくれていたメンバーも都合でできなくなって、これで文京家庭集会は終わりだと寂しい気持ちでいっぱいでした。

ところが、メンバーのひとりが「教会で家庭集会ができないかしら」と提案してくださいました。それで3年前から教会の和室で行うようになりました。和室の戸を閉めると、なんとそこは家庭の一室のようです。そこでは、聖書を学び、賛美をし、食事を共にし、おしゃべりを楽しみます。また、人にはなかなか言えないような悩みを打ち明け、祈りの場になることもあります。

食べ物のことで気を使わないようにお昼はイオンのお弁当です。年に2回ほどは、ちょっと贅沢してレストランで行っています。できない月はお休みして、無理なく自然体で続けていけたらなあと思っています。



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目に見えない望みを持って

2017-11-09 16:39:10 | 教会
膝が痛くて整形外科に行くと、変形性膝関節症と言われ、9月に装具をつけました。膝につけるのではなく、小さなスリッパのようなものを履くのです。装具には傾きがついていてO脚を矯正してくれ、膝の骨がこすれないようになっています。

装着して一週間ぐらいで効果が表れ、痛みはほとんど感じられなくなりました。
すると右膝も左と同じ個所が痛くなり、また整形外科に行ってきました。
右も装具をつけることになり、慣れないのでアヒルのような歩き方になっています。

紐で調節できる靴ならそのまま履けますが、おしゃれ靴は履けません。ちょっとがっかりです。でも、右も痛みがやわらいできているので、感謝しています。

5日は召天者記念礼拝でした。

今年も故人の写真が映像で流されました。何と懐かしい人たち……。お世話になった人たち……。ほとんどの映像は笑顔です。わたしの両親の画像が写されたときは、また泣いてしまいました。
ふたりとも天国にいるとわかっていても、いつか再会できるとわかっていても、地上では
会えないのです。

愛する者から引き裂かれた悲しみが波のように襲ってきます。
もっと優しく接すればよかった。ああすればよかった、こうすればよかった……と後悔の気持ちで胸が痛みます。

でも、「希望があります。」と牧師先生が言われました。

ローマ人への手紙8:18-19には「今の時のいろいろの苦しみは、将来わたしたちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足らないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。」と書かれています。
希望は、生き抜く力になります。

地上には苦しみがあります。うめいている人たちがいます。でも、希望があります。

「私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。(ローマ8:24)」

目に見えない望みを抱いて歩んでいきたいです。



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成長していく力

2017-11-06 16:57:12 | ティーンズ

3日~4日は教会のティーンズ(中高生)のお泊り会でした。お泊り会は釜メシと呼ばれています。釜飯を食べるわけではありません。同じ釜の飯をいただいて親交を深めるという意味かな(?)
わたしは体力がないので泊らず、通いで奉仕しました。

3日は貝塚公園の広場でフリスビーを使ったスポーツ、アルティメットをしました。フリスビーは飛ばして遊ぶことしか知らなかったのですが、アルティメットという競技があることを教えてもらいました。バスケットとアメリカンフットボールを合わせたような競技です。

フリスビーの飛ばし方や、受け取り方を練習すると、チームに分かれて試合が始まりました。子どもたちは、回数を重ねるほど上達していきました。アルティメットは、ほとんどの子どもが初めてだったので、飛びぬけて上手な子はいませんでした。チームで助け合わなくてはならなかったので、とてもいい試合になりました。子どもたちはチームプレーの大切さを学んだようです
ちなみにティーインズ奉仕者最高齢のわたしは、芝生に座って見学していました。たいしたことをしていないのに、今日は腰痛で半日寝ていました。

教会に戻ると、夕食の準備です。メニューは鶏肉の甘辛焼きとけんちん汁、豆腐入り白玉デザートです。3つのグループに分かれてイオンで買い物しました。

教会のすぐ近くにイオンがあるので助かります。
(イオンやニトリが教会の敷地内にあると勘違いしている人がいるほど……)
家ではほとんど料理をしてない子どもたちなのですが、ちょっとコツを教えると、すぐに覚えました。おいしくいただきました。

翌朝の礼拝では、聖書通読の恵みが語られ、聖書全体像についてレクチャーを受けました。前日遅くまで起きていたのでしょう、居眠りをしている子どもたちが多かったです。そのあと、グループワークです。

私の担当したグループには1時間半で聖書の創世記を調べ、主な出来事を箇条書きにするという課題が出ました。チャペル・ピスガの芝生に場所を移動したら、皆、芝生で寝てしまいました。すぐに声をかけず、待つことにしました。このまま一時間半ずっと寝てしまったらどうしよう……とあせる気持ちを押さえて待ちました。待つこと8分、ひとり、ふたりと起き出し、全員めざめたのでほっとしました。

少し眠ったことが良かったのか、課題への取り組みは男子も女子も意欲的でした。
教師がすべて教えてしまってはダメですが、助言をしないと時間内に終わりません。
でも、子どもたちはわたしが思っていた以上に「聖書を知りたい」という思いが強く、生き生きとして課題に取り組み、発表していました。

ティーンズの教師をさせていただいて8か月になります。小学科が長かったので、つい中高生なのに小学生扱いをしてしまうこともありましたが……。子どもたちの成長していく力を現在進行形で見て、驚きと喜びが与えられています。


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「ヴィーナスという子」を読んで

2017-11-01 16:43:10 | 読書
「ヴィーナスという子・・・存在を忘れられた少女の物語」トリイ・ヘイデン著/入江 真佐子訳(早川書房)を読みました。ノンフィクションです。

これまでも同じ作者の「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」「檻の中の子」などを読みました。でも、この本ほど感動したものはありませんでした。

7歳のヴィーナスは、学校へ来ると石塀の上にのぼってじっとしているだけです。教室に連れて行き、話しかけたり、絵本を読み聞かせても反応がありません。聴覚または脳に問題があるのかと調べましたが、異常はみつかりませんでした。

どうしてここまで心を閉ざしてしまったのでしょうか……。

ヴィーナスを学校に送ってくるのは、ワンダという知的障がいのある姉です。ワンダはヴィーナスのことを「ビューティフル・チャイルド」と言ってかわいがるのですが、ときどきヴィーナスの存在を忘れてしまいます。

トリイのクラスには4人の元気な男の子たちがいて、ちょっとしたことで喧嘩になり、大騒動になります。トリイが明るく歌ったり踊ったり、いろいろ工夫をして、だんだんまとまってきます。でもヴィーナスは、無反応のままです。ほかの子が近づくと、叫び声を上げ獣のようになってしまいます。
そんなヴィーナスには家庭に大きな問題がありました。でも、何度家庭訪問をしても問題は明らかになりませんでした。

トリイの忍耐強さと愛でヴィーナスは次第に心を開き、言葉を発するようになりますが、家庭での問題が発覚して、ヴィーナスの家族はバラバラになってしまいます。

ヴィーナスがワンダに会いたがっていることを知ったトリイは、なんとか終業式のパーティにワンダを連れてきたいと願います。ワンダは50キロも離れた施設に入所していたのですが、車での送迎を頼んで連れてくることができました。ヴィーナスと再会し「ビューティフル・チャイルド」とワンダが言って抱き合う場面は涙があふれました。

人形のように自分の気分でかわいがられ、ときどき存在を忘れられていた少女が、常に変わらず愛されていることを知り、人間らしさを取り戻していく過程が丁寧に描かれています。

常に変わらず愛することはなかなか難しいことです。大恋愛の末結婚したけれど、あっという間に愛がさめてしまったということがよくあります。
人間の愛の限界のような気がします。

聖書には「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。(エレミヤ31:3)」と書かれています。

わたしというのは神様です。神様の愛はヘセドの愛です。人間の愛とは違います。こちらが愛に応えなくても、裏切っても、反抗しても永遠の愛をもって愛してくださる神様のことを想いながら、この本を読みました。



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時間をかけてゆっくりと

2017-10-27 16:18:56 | 家族
91歳の義母が、老人ホームに入ることになりました。6年前に義父が召されてから一人暮らしをしていました。荷物整理のお手伝いをしようと一昨日千葉の実家へ行ってきました。片道3時間近くかかるので、朝8時20分に家を出ました。予定では11時に着くはずだったのですが、電車が遅れて着いたのは12時過ぎでした。
寒い中、ホームで立っていたので風邪ひきそうでしたが、なんとか元気で戻ってきました。

わたしの母がホームに入所するときのことを思い出しました。引っ越しの日までに家を処分することになり、妹と私が実家に泊まり込んで整理しました。ほとんどが捨てるものでした。
そのとき、母は精神的に不安定になり、いる物といらない物の区別がつかなくなってしまいました。いつも使っている眼鏡や父や祖母の遺影もいらないと言い出したのです。認知症になったのでは? と思いましたが、様子がおかしかったのはそのときだけでした。

今になって思うと、60年も住んでいた家にあるもののほとんどを処分してしまうことが精神的に辛かったのではないでしょうか。「私の人生、何だったんだろう?」と思ったのかもしれません。そんな母の気持ちも考えないで妹と私は必死に片付けをしてしまいました。

義母の場合はしばらくの間は家をそのままにしておいて大丈夫なので、余裕があります。
ホームは今住んでいる家から車で30分ほどのところです。
義母は、「ホームに入所してから足りない物があれば取りに行けばいいし、一日家にいて夕方に戻ってもいいし……」笑顔をみせてくれます。

それでも、本心はホームには入らず、ずっと家に住んでいたいようです。残った荷物をどうするかという話をすると、話をそらしてしまいます。

夫は、「しばらく家をこのままにしておこう。片づけも時間をかけてゆっくりとしたらいい」と言いました。
理性ではわかっていても、心がついていかないことがあります。長年住んだ家を処分すること、ホームに入所することは義母にとって大きな変化です。喪失感や不安があることでしょう。少しでも気持ちに寄り添うことができれば……と願っています。

影響を受けて、わたしも家の中の整理をし始めました。
でも、なかなか捨てられないので困っています。教会学校で作った紙芝居やフランネルのフィギアなどは、孫たちにお話ししてあげられるので捨てられません。
今日は家電製品の保証書で期限切れのものを捨てました。わざわざ5年間保証というのに入ったのに故障なく7年、8年と過ぎているものがたくさんありました。

思い出の品やいただいた手紙などはまだまだ捨てられません。ひとつひとつ思い出に浸っているのでなかなかはかどりませんが……。
子どもの作文が出てきました。

娘は4年生の時の作文です。
「幼稚園の時、お母さんに毎お弁当を作ってもらったことを感謝しています。お父さんに机や鉛筆を買ってもらったことに感謝しています。大きくなったらフラワーデザイナーになりたいです。お金を稼いだら、半分はお父さんと母さんの家に置いて親孝行しようと思います」

そんなことを書いてくれていたなんて……。すっかり忘れていました。これはとっておきましょう。娘に見せてやらなくては。


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予定外のこと

2017-10-24 17:12:28 | 教会
一昨日は台風で大変な思いをしました。朝、8時に家を出るときはそれほどでもなかったので、傘をさして教会まで歩いていきました。帰りはお昼の12時過ぎでした。たいしたことないと思ったのですが、20分間で傘は5か所骨折。髪の毛も服も持っていたバッグもびしょ濡れでした。せめてバッグにはビニールをかぶせておけばよかったと反省しています。ひどい風雨が往きでなくてよかった。無事帰り着いてよかった! 守ってくださった神様に感謝です。

予定外の事故や病気で、なすべきことができなくなったことがありますか?

日曜日の礼拝メッセージでは、ピリピ人への手紙2:25~30からメッセージがありました。
聖書ではパウロの弟子エパフロデトがエルサレムに義援金を届ける使命を受けていたのに旅の途中で死ぬほどの病気にかかってしまったことが書かれています。のちに病気は癒されて、ピリピに無事戻ることができましたが、病気になったときのエパフロデトの心情はどうだったのだろう……
と想像すると胸が張り裂けそうになります。

わたしにもそのような経験があるからです。(今日の記事はメッセージから脱線しています)

わたしは小児喘息でした。高校生のころいったんは治ったのですが、出産後10年ぶりぐらいに喘息の発作が起きてしまいました。そのときは大きな発作にならなかったのですが、それから毎年秋になると発作が起きるようになり、年々重くなっていきました。
第2子が生まれた時は、ひどい発作に襲われて、生後10日の赤ん坊は実家に預け、入院生活を余儀なくされました。3歳4か月の長男は夫の実家に預けていましたが、「こんなはずじゃなかった」と、点滴を受けながら泣いてばかりいました。

娘が9月20日に生まれたので、10月はじめには息子を連れてきてもらって、10月中には自宅に帰ろうと計画を立てていました。でも、それができなくなったのです。
一番つらかったのは、息子に会えないことでした。わたしも息子も会える日を指折り数えて待っており、あと一週間で会えるというときに入院してしまったのです。

息子はやさしいおばあちゃんに面倒を見てもらっていましたが、夕方になると寂しくなって泣きべそをかいている。おばあちゃんがおんぶして、通りまで出て、車が走るのを見て気を紛らわしていると聞いて胸が張り裂けそうでした。

治療を受けているのに発作は治まらず、苦しくてなりませんでした。聖書も読めず、祈ろうとしても言葉が出ず、出口のないトンネルの中にいるようでした。

入院して10日たったときにステロイドを投与してもらい、ようやく発作が治まってきて退院となりました。自宅にもどったのは予定より1か月も後でした。

喘息は完治したわけではなかったので、子育て中も発作が起きました。2人に留守番させて救急外来に這うようにして行ったり、娘を病院のベッドの傍らに置いて、点滴を受けたりしました。よく死ななかった。(大げさに書いているのではありません。病院の玄関前で倒れて死んでいる喘息患者が朝になってみつかることがあると病院関係者が言っていました)よく2人の子を育てられたと、今振り返ると不思議な気がします。

あのような苦しみは何のためだったのでしょう?
その後喘息は、予防薬を使うようになって治ってきましたが、それから数年後に乳がんが見つかったのです。
がんの治療は不思議に辛いとは思いませんでした。布団に仰向けに横になれる、じゅうぶん息が吸えて吐ける。喘息よりずっと楽ではありませんか。

30年も苦しんだ喘息でしたが、もしかして忍耐が養われるためだったのかもしれません。
自分の努力ではどうすることもできない病。病を憎むのではなく、感謝できたらいいですね。

聖書の言葉
「それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。
(ローマ人への手紙5:3-5)」



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ブログ開設12年

2017-10-21 15:42:06 | 日記
ブログ開設してから12年になりました。

こんなに続くとは思っていませんでした。乳がんになったことがきっかけで、2004年にHP「生かされて・・・土筆文香」http://www5f.biglobe.ne.jp/~tukushi/を立ち上げました。携帯で見たいのでブログを立ち上げて欲しいと言う友人の要望で、翌年の10月にブログを開設しました。

もともと書くことが好きでした。でも、乳がんになるまでは、自分のことを公にするなんてとんでもないと思っていました。

でも、自分と同じようにがんになって、不安を抱いている人が多いことを知りました。
わたしは、もちろん不安はあるのですが、心の底の方には「だいじょうぶ」という安心感があり、平安が与えられています。

「だいじょうぶ」と言えるのは、何となくそう思えるというようなあやふやなことではありません。ちゃんとした根拠があるのです。

根拠は聖書に示されています。

わたしのブログを読んでいる人で、がんでなくても将来のことなどで不安を感じていらっしゃる人がおられると思います。その方たちが「恐れるな。わたしはあなたと共にいる」
と、神様が言っておられることに気づいてほしいと思い、ネットで公表しました。

これまでにたくさんの方からコメントやメールをいただきました。何日も更新していなくても、毎日見てくださる
方々もおられ、感謝しています。多くの人に支えられていると感じます。

バッハの言葉『ただ神の栄光のために』を想っています。更新頻度は少ないのですが、書き続けます。これからもよろしくお願いいたします。


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何かできる

2017-10-16 16:07:18 | 教会
急に寒くなりました。風邪をひかないように厚着をしたら、汗をかいて冷えてしまいました。気温変動が大きいと、調節が難しいですね。

昨日の礼拝ではピリピ人への手紙2:19-24の箇所からメッセージがありました。

テモテはルステラ出身で、父親はギリシア人。母親はユダヤ人でした。ギリシア語の教育を受け、祖母ロイス、母ユニケによってヘブル語の聖書を教えられました。それでテモテはパウロと同じようにギリシア語とヘブル語を話すことができました。パウロはテモテを高く評価しました。

聖書には「テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。(ピリピ2:20)」と書かれています。

パウロはテモテを息子のように愛し、テモテはパウロを父のように信頼しました。テモテはパウロの期待に応えてパウロに忠実に仕えました。パウロが軟禁状態になったときは何度も訪れ、パウロを励ましました。

パウロは、死を覚悟しながら伝道していましたが、たとえ自分が殉教の死を遂げても、テモテにその働きを託せるので安心していたのではないかと思います。

実際テモテは、キリストをアジアからヨーロッパに伝えるための重要な働きをすることになりました。それはこの100年を変えるような働きだったそうです。

テモテがそのような働きができたのは、祖母や母によって幼いころから聖書に親しんでいたこと、祖母や母がテモテを捧げたことによるのです。

イエス・キリストが十字架につけられたとき、同じように十字架につけられた2人のうちのひとりが、はりつけにされた状態でイエス・キリストを信じ、救われました。でも、何もできないで召されてしまいました。

「わたしたちは何かできます。わたしたちはテモテです」という言葉に励まされました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。わたしのエッセーが掲載されています。
ここをクリックしてごらんください。



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苦難の意味(その2)

2017-10-10 16:58:25 | 教会
昨日の続きです。

弟子たちが生まれつきの盲人を見て、その原因をイエス様に尋ねたとき、イエス様は
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」と言われました。

このイエス様の言葉に3つの愛が示されていると牧師先生が言われました。

1イエス様の盲人に対する眼差し
イエス様が盲人に向けられた眼差しは愛に満ちていました。弟子たちの眼差しとは根本的に違っていました。
弟子たちの眼差しには愛が感じられません。
障がい者を、pity(ピティー)『憐み』の眼差しでみるのではなく、Sympathy(シンパシー)
『共感』をもって、同じ立場に立つことが大切です。

2苦難は罪の罰ではない。
旧約聖書のエレミヤ31:29には「『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない」と書かれています。先祖や親の咎の報いを受けることはないとはっきり書かれています。

イエス様も、罪のせいで盲目になったのではないと言われました。
「神のわざがこの人に現れるため」と言われました。「わざ」を「愛」と訳すことが出来ると教えていただきました。

つまり、「神の愛がこの人に現れるため、この人は盲人になった」というのです。神様のご計画にあって盲人になったということです。

3イエス様はさまざまな苦難を与えるが、のがれる道も備えてくださる。
 
一冊の本が紹介されました。
「お父さんの失明は私が治してあげる」西田朋美著

西田朋美さんのお父さんは、ペーチェット病で途中失明しました。

落ち込んでいる息子に向かって母親が「目が見えないことは大事な体験だと思いなさい。それを活かして仕事をしなさい」と言ったそうです。

その言葉に励まされて盲学校の先生になり、結婚して2人の父親になりました。その娘がお父さんの目を治したい一心で眼科医になったことが書かれている本です。

失明と聞けば、大変なことだと思いますが、失明が大事な体験だと言い、それを活かして仕事をすることを勧めたお母さんは素晴らしいと思いました。そして娘さんが子どもの頃言った言葉通り眼科医になってペーチェット病の研究をするようになったことは、神のわざが現れることにほかなりません。西田朋美さんは、アメリカ留学中に三浦綾子の「泉への招待」という本を読み、クリスチャンになったそうです。

ヨハネ9:1-3について三浦綾子さんは「泉への招待」に次のような文章を書いておられます。

『これは単に、ここに登場している一人の盲人に言われた言葉ではないと、私は思う。
この言葉のあとに、イエスはこの盲人の目をなおしていられる。
なおしたことは、むろん神の栄光を現したことになるではあろうが、
では癒されなかった苦難はどうなのか、という疑問を持つ人がいるかも知れない。
私は癒されようと癒されまいと、解決出来ようと出来まいと、 苦難に喘ぐ者の傍には、神がまさしくそこに立っておられると思う。』


苦難を希望に変えるメッセージに力づけられました。
                 
                   おわり


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