テレビのアナログ放送終了

今日正午、1953年に始まったテレビのアナログ放送が終了し、デジタル放送へと移行ました(3.11地震被災の3県を除く)。郷秋<Gauche>的には、テレビ放送に対してこれまで以上の付加価値をまったく求めてはいないのですが、限られた資源である周波数(電波)を有効に利用するためにはやむを得ないことであったのかとは思います。それにしても、日本におけるテレビ放送の開始が1953年であったと云うのは、敗戦からわずか8年後の事ですから、いま考えてみるとまったく驚くに値しますね。

 

とは云っても1926年に浜松高等工業学校の高柳健次郎がブラウン管式受像装置(テレビ)を開発し「イ」の字を表示させることに成功するなど(ただし撮像装置は機械式。電子式の撮像装置(カメラ)は1927年にアメリカで開発された)、技術開発は着々と進んでいましたし、幻となった1940年の東京オリンピックでは中継を計画していたそうですから、戦争がなければもっと早い時期にテレビ放送が開始されていたはずです。

 

 (昔の)我が家にテレビがやって来たのは郷秋<Gauche>が小学校に入った年だったと記憶しています。その価格が平均的なサラリーマンの給料の数か月分と云う高価なテレビでしたので、なかなか買えるものではなく、郷秋<Gauche>の父は職場の同僚と一緒に秋葉原まで出かけで組み立て式の「キット」を購入し、自分で組み立てたのだそうで、完成品の半分ほどの価格だったと聞いた覚えがあります。そんなものが出回った時代でもあったのですね。

 

 思い起こせば自家用車やVTRなどよりもっと短時間でほとんどすべての家庭にテレビが入ったような気がします。最近の例では携帯電話の普及のテンポと同じくらいだったかも知れませんが、世の中全体のテンポが実にゆっくり、おっとりしていた時代の話ですから、それはもう、猛烈なスピードで普及した感じですね。電話が郷秋<Gauche>の家に来たのはその3年後。東京オリンピック(1964年)を境に、時代が大きく変わったのでした。

 

 さて、(今の)我が家では昨年に秋にケーブルテレビのデジタル対応工事を済ませていましたが、肝心のテレビそのものは13年物のブラウン管式のままですので、まだしばらくは「デジアナ変換」と書かれた画面を見ることになるんでしょうかね。テレビを買い替えないのは、私自身がテレビをほとんど見ないので興味がないのが一番の理由ですが、買うにしても、デジタル移行後にテレビが更に安くなるのではないかとの思惑もあったりしてのことです。と云う訳で、今年の冬のボーナスで新しいテレビを買うことになりますかね。

 

 

 例によって、記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日に続いて百合の花。花の大きさ、豪華さ、芳香、どれをとってもKing of LILYの名に恥じない、山百合。なるせの森で咲いていたものです。

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