小笠原、父島(その10、最終回)

 郷秋<Gauche>が父島に出かけた当時は2611トン、巡航速度14.5ノットの父島丸が東京竹芝桟橋と二見港の間を船中2泊、36時間をかけて結んでいましたが、現在は6679トン、22.5ノットのおがさわら丸が25時間で行き来しています。随分と大きく速くなったものですが、それでも一隻による往復は変わっておらず、父島に生鮮食料品や郵便、宅配便が届くのは6日に一度だけと云う体制は35年前と大きく変わっていません。

 

 627日に当時の父島のテレビと電話事情を書きましたが、CSが使える今では(多分)インターネットを含めた通信・放送事情は本土と変わらないものと思いますが、「物」は6日に一度しか届かないわけですから、新聞は今でも6日分がパック詰めにされ、肉や魚もすべて冷凍されて届くのでしょう。

 

 電気は当時からディーゼル発電機によって賄われていたはずですが、増えた島民や観光客のために増強されているものと思われます。そんな父島ですが行政上は勿論東京都で、警察は警視庁、消防は東京消防庁。パトロールカーは警視庁と書かれた品川ナンバーのものでした。外国ではないので勿論税関はありませんでしたが、検疫所があり植物の検疫が行われていました。たしか、柑橘類に付く地中海ミバエのために、一度島内に持ち込んだミカン類を再度島外に持ち出すことはできませんと云う注意書きを渡された記憶があります。

 

 船の速度が上がり、さらに父島で三晩停泊するようになったことから、日曜日に東京を出港し月曜日に父島着、父島で3泊して木曜日の午後に二見港を出港し金曜日の午後東京着と云う、56日(内船中2泊)で父島を楽しむことが出来るようになりましたが、多少便利になったとは云え、飛行機で行くことのできない父島が、日本の東京都でありながら、地球上でもっとも遠い場所の一つであることに変わりはないようです。そんな父島は、一週間の休みが取れたら是非とももう一度行ってみたい場所のリストの最上位にリストアップされている場所ですが、果たして再訪の時は来るのでしょうか。【完】

 

 

 父島シリーズ最後の一枚は、二見港を出港せんとする父島丸の乗船客。どうやら観光客ではないようだ。あるいは父島とは永の別れとなる人なのか、「ちょっと行ってきます」とは違った覚悟が見える気がする。

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