アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

葬儀を終えて

2013-10-28 20:32:30 | 
『葬儀を終えて』 アガサ・クリスティー   ☆☆☆☆

 週末に一冊クリスティーを読む習慣はまだまだ続く。なぜかいくら読んでも飽きないのである。Wikipediaによるとクリスティーは聖書とシェイクスピアの次によく読まれており、ユネスコの統計では「最高頻度で翻訳された著者」のトップ、ギネスブックでは「史上最高のベストセラー作家」に認定されているという。ただよくできたミステリというだけでは、この異常な記録は説明できない。アクが強くなく何度でも気楽に読め、大感動させるわけでもなくその面白さは淡白でむしろ薄味であるにもかかわらず、いくら読んでも色あせず、それどころか読むたびにじわじわ旨みを増すという不思議な特質、おそらくはこれこそがクリスティーのミステリがここまで広く人口に膾炙した理由だろう。何がそう感じさせるのかははっきり分からないけれども、クリスティーの小説には他のミステリにはない不思議な心地よさがあって、どうやらそれは万人にアピールするものらしい。これはすごいことだ。

 この『葬儀を終えて』は日本で特に人気が高い作品のようで、日本クリスティ・ファンクラブ会員が選ぶベストテンに入っている。恩田陸や折原一というプロのミステリ作家が、本書をクリスティーのベストに挙げていることも関係があるのかも知れない。私は最初に読んだ時は「地味だな」と思ってそれほど良いと思わなかったが、何度か読んでいるうちにだんだんと面白く思えてきた。

 舞台はイギリスの田舎、富豪一族の遺産争いが背景という、黄金時代の本格ミステリ王道も王道のパターンである。一族の長の葬儀から物語はスタートし、葬儀に集まってきた親戚一同が描写される。どいつもこいつも性格に一癖あり、しかもそれぞれ金に困っている。そして遺言状発表の席上、死者の妹コーラが驚くべき発言をする。「だってリチャードは殺されたんでしょう?」そして翌日、コーラは惨殺死体となって発見される。果たしてリチャードの死とコーラの死は関係があるのか? 困惑した弁護士は、知り合いの私立探偵エルキュール・ポアロに真相究明を依頼する。

 物語の舞台はリチャードの屋敷がある村とコーラの家がある村に限定されている。このイギリスの片田舎の上品な雰囲気が独特で、地味といえば地味だが、クリスティー・ファンにとってはこれもまた魅力だろう。エルキュール・ポアロは華やかな避暑地や観光地にも似合うが、こういう渋い背景もまたいい。

 例によってポアロが関係者を訪問して話を聞くという淡々とした進行だが、その中でもコーラの家政婦の毒殺未遂、ヘレンの撲殺未遂と事件が続発し、リチャードの死についての捜査は進展せず、怪しい尼僧が出現したり自白者が出てきたりして事態は混迷の度を深めていく。そして最後はもちろん、ポアロが快刀乱麻を断つ推理で一気に事態を収拾する。
 
 本書ではとにかくミスディレクションの巧みさがきわだっていると思う。そもそもメインのトリックが殺人方法やアリバイトリックではなく、事件の見え方を偽装するという大掛かりなミスディレクションであり、その回りに細かい数々のミスディレクションがちりばめられていて読者をミスリードする。解決への伏線を小出しにしていくやり方もさすがに堂に入っていて、たとえばヘレンの「何かがおかしい」という感じの理由、その理由が何か鏡に関係があるらしいこと、などがだんだんと分かってくる過程はスリリングだ。ポアロの謎解きもシンプルで説得力があり、なるほどそうだったのかと目から鱗が落ちる。

 現実にこんなトリックが可能かという議論もあるが、本格パズラーだったらこれぐらいの離れ業を使ってくれても私は構わないし、むしろ楽しい。派手さはないが、イギリス片田舎の雰囲気とクリスティーの巧さがぎゅっと凝縮された佳作である。



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