アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

架空の伝記

2008-11-02 09:30:46 | 
『架空の伝記』 マルセル・シュオブ   ☆☆☆☆☆

 マルセル・シュオブの『架空の伝記』は渋澤龍彦が「いつか訳してみたいと思っている」みたいに言っていて結局訳さなかったことや、Amazonで検索しても見つからないことからずっと日本語訳がないものとばかり思いこんでいたが、古本データベースで調べたらこの大濱氏が訳した本が出てきた。絶版になっていたのである。ただし古本で入手は可能だ。あー何ということだ、こんなことを今まで見逃していたとは、というわけで早速日本から取り寄せた。一冊の本がこれほど待ち遠しかったのは久しぶりである。

 というわけでついに入手した長年憧れのシュオブ『架空の伝記』、もはや手に取るだけで恍惚状態。函に入っていて、ペラペラした薄紙付き。ちなみに『少年十字軍』ではシュウォッブと表記されているが、本書ではシュオブとなっている。

 本書はさまざまな歴史上の人物(架空の人物もまじっている)の短い伝記を集めた短編集だが、『パオロ・ウッチェルロ』だけは読んだことがあった。ジャン=フィリップ・アントワーヌの『小鳥の肉体 - 画家ウッチェルロの架空の伝記』の巻末に付録として収録されているのである。ただしこれは渡辺一夫訳で、本書収録の大濱訳より古めかしくものものしく、また違った味わいがある。それから渋澤の『鳥と少女』がシュオブのこの短篇を想を得ていることは作中で渋澤自身が種明かししている。

 さて、本書ではウッチェルロ含め22篇の「伝記」が収録されている。最後の「バーク、ヘアー両氏」のみ二名を扱っているので23人の伝記ということになる。それぞれは4ページから6ページ程度の長さで、非常に短く、簡潔だ。しかしながらシュオブの筆はいうまでもなく凛然とした気品と芸術的香気に溢れ、一篇一篇が非常に濃密である。タブッキの『島とクジラと女をめぐる断片』に収録されている『アンテール・デ・ケンタル――ある生涯の物語』に似ている。私はこの『ある生涯の物語』も大好きなのだけれども、同じような短篇しかもシュオブの手になる作品が22篇も集められた本書はまさに至福の書物である。

 23人もいるので全員は書ききれないが、ウッチェルロの他に例えばエンペドクレス、ヘロストラトス、ルクレティウス、クロディア、スーフラー、修道士ドルチノ(『薔薇の名前』の中に名前が出てくる)、レース作りのカトリーヌ、ポカホンタス、シリル・ターナー、ウィリアム・フィリップス、キャプテン・キッドなども取り上げられている。かれらの「架空の伝記」を書き綴るシュオブの筆致は全体に淡々としているが、あるものは幻想的、あるものは悲劇的、あるものはシニカル、とそれぞれ微妙に異なる味わいがある。最初の二篇『神に擬せられたエンペドクレス』『放火犯ヘロストラトス』などは強烈に神話的、幻想的な読後感があり、おおもしや全篇このようなテイストの短篇ばかりなのだろうかハレルヤ、と幻想譚好きの私は狂喜したが、淡々と現実的にアンチクライマックス的に終わっていく短篇も多かった。が、それはそれで良いのである。

 ところで最後の方はキャプテン・キッドはじめ海賊が多く取り上げられているが、これはどういうことだろう。シュオブは海賊に興味があったのだろうか。

 大部分が歴史上実在した人物であるが、訳者があとがきで書いている通りそれは「これが創作であることを妨げるものではない」。たとえばシリル・ターナーの経歴は生年含めほとんどわかっておらず、本書『悲劇詩人シリル・ターナー』ではこのように始まる。「シリル・ターナーはある知られざる神と売笑婦との交わりから生まれた」。そしてこのように終わる。「こうして、シリル・ターナーは知られざる神のもとに向けて、天のもの言わぬ渦のなかに突き落とされた」。そしてたとえば土占師スーフラーは『アラビアン・ナイト』の登場人物である。ちなみにこの『土占師スーフラー』は、『アラビアン・ナイト』では死んだとされるこの魔術師が実は生きて逃れた、という設定で始まり、スーフラーがソロモン王の身代わりとなって不死の眠りにつく顛末を描いた珠玉の幻想譚になっている。

 どれもこれも短くて淡々としているがゆえに、最初一気に読み通した時は印象が薄い短篇もあったが、あとであちこちきままに読み返すとやはりそれぞれの完成度の高さはハンパじゃないことが分かる。良い酒のようにゆっくり時間をかけて、ちょっとずつ賞味する短編集なのである。
 


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4 コメント

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シュオブの翻訳について (reclam)
2012-12-11 12:44:24
おひさしぶりです(結局、キニャール「さまよえる影」は買ってしまいました、これからじっくり読もうと思います)。
最近やっと手に入れた「架空の伝記」を読み、格調高い名文にすっかり酔いしれてしまいました。私は前半の幻想的な短編が好きですが、ボリュームがあるので再読すれば印象も変わってきそうです。
ここからが本題です。他にシュオブの短編を読む方法はないかと考えていたところ、「モネルの書」を翻訳した人を見つけました(詳細は→http://sbiaco.exblog.jp/i7/)。他にも、短編集「黄金仮面の王」と「二重の心」の未訳短編を訳している人もいました(詳細は→http://d.hatena.ne.jp/suigetsuan/)。これらのホームページは解説も充実しており、見ても損はないと思います。  
まあ、この邦訳がどれだけ原文に忠実なのかは分かりませんが(私はフランス語を読めません)。ego_danceさんはホームページの存在を知っていたかもしれませんが、一応報告しときますね。
しかし、こうしてみるとシュオブのファンは案外多いのに、著作は絶版が多くて本当に悲しいですね。

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シュオブ (ego_dance)
2012-12-16 04:00:39
いやー、知りませんでした。ちょっと見ましたが、すごいサイトがありますね。情報ありがとうございます。これからじっくり吟味したいと思います。

仰る通り、シュオブ本は絶版が多くてファン泣かせです。キニャールもそれに近いですね。「さまよえる影」、ゆっくりお愉しみ下さい。
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マルセル・シュオッブ全集 (reclam)
2015-05-14 18:32:38
シュオブの著作は絶版が多くて悲しい、とコメントで言ってから約2年半。とうとう噂の全集が発売されるようです。

発売元の国書刊行会の近刊情報によると、全一巻1万円超えの巨大本になるみたいです、ハハハ。

これだけの高価な本だと買う方もすごいですが、それを市場に出す出版社もすごいと思います。恐ろしい時代になったものです。シュオブはそれだけの価値がある作家であると思いますが。
これでシュオブはますますマニアックかつ伝説の作家になりそうです(苦笑)。

果たして、無事に出版されるのか、金のない私は現物を拝める日が来るのだろうか、と悩みながらこうして報告する次第であります。
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全集 (ego_dance)
2015-05-19 12:26:31
貴重な情報ありがとうございます。いやー、驚きました。発売後一瞬にして市場から消えてしまいそうな予感がします。その後古本屋でプレミアム価格となるのでしょうが、定価一万五千円が一体いくらになるのでしょうか。ン十万にはなりそうです。恐ろしい。

しかし国書刊行会のウェブページで見ると、とんでもなく充実した内容ですね。何とかして読みたいものですが。。。創元のポオ全集みたいに、文庫で出してくれないかな。
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