アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

白夜行

2007-02-06 19:45:53 | 
『白夜行』 東野圭吾   ☆☆☆☆☆

 再読。休日に一気読みするには最適の傑作ミステリである。東野圭吾のミステリは、社会派的な重いテーマを持ったものでもどこか軽い。一気に読み切れて、重いなりにも愉しめ、棘やしこりを残すことがない。だから物足りないと思う時もあるし、だからエンターテインメントとして高品質という考え方もできる。しかしそんな東野作品の中で、本書『白夜行』は独特の重量感とダークさを持つ作品だ。

 重量感といってもあくまで東野圭吾としてはということで、例えば高村薫の小説ほどの重量感はないし、多分横山秀夫より軽いと思う。軽いというか、リアリズムが強くないと言った方がいいかも知れない。東野圭吾はファンタジーも書く作家だが、そうでない物語でもどこか現実離れしたところがあり、本書も例外ではない。冷静に考えるととてもあり得ない話、あり得ないキャラクターである。したがってこの物語の重さとは、重量級のミステリでありがちなリアリズムに裏打ちされた重さではなく、違う種類の重さである。

 主人公は二人の男女。彼らの子供時代から話が始まり、高校時代、大学時代、社会人、結婚、と年代記的にエピソードを重ねていく。しかしその構成がユニークだ。二人の物語は、最終章のワンシーンを除いて決して交わらない。亮司と雪穂の物語が交互に語られるが、一人のエピソードにもう一人は登場しない。表面的には登場しないが、描かれない部分に必ずもう一人がいる。描かれないもう一人の存在を読者はひしひしと感じることができる。なかなかすごいテクニックだ。

 この二人の物語は心温まるものではない。読み進むほどに冷え冷えとしてくる、人の心を踏みにじる欺瞞と策略と打算の物語である。彼らにとって回りの人間はみんな敵であり、道具だ。利用し、あるいは排除する以外の意味はない。しかし彼らの策略と工作の詳細も(表面的には)描かれない。巧妙な伏線によって暗示されるだけだ。さらに言えば、彼らの内面も描写されない。何を思って雪穂はまわりの人間を手玉に取り、不幸をまき散らすのか、小説は説明しない。ただ、亮司と雪穂がそれぞれ一回だけ、「太陽の下を生きたことがない」と微妙に異なる言い回しで口にする、それだけだ。たったそれだけ、でもそれだけで、二人の「白夜行」の重みと哀切が完璧に表現される。

 という風に、この小説は肝心な部分を描かず、ひたすら隠すことによって成立している。この手法が素晴らしい。これがなければこの小説はここまで傑作にはならなかっただろう。

 物語は中盤まで、亮司と雪穂が人知れず回りの人間を不幸にし、破滅させていく様を一つまた一つと描き出し、ノワールな面白さ満点だが、途中でついに雪穂に疑惑を持つ人物が登場することで、ストーリーテリングは一気にトップギアに入る。ここからのページターナーぶりはすごくて、とても本を置くことができない。確か最初に読んだ時も、平日なのにひどく夜更かしして読みきってしまった覚えがある。これから読む人は注意ですぞ。

 それから、この小説には昭和年代記的な趣向が凝らしてあって、水俣病から始まり映画『ロッキー』、インベーダーゲーム、スーパーマリオ、阪神の優勝、チャゲ&飛鳥の『Say, Yes』(と例の大ヒットドラマ)、そして宮崎勤の幼女殺人事件などその時々の世情が物語に織り込んである。単に背景として言及するだけでなく、『ロッキー』や宮崎勤事件などはちゃんと物語に絡めてあるあたり、芸が細かい。
 
 しかし、雪穂が男を操る手口はエグ過ぎる。特に、夫となった高宮誠に対する仕打ちが極悪である(雪穂の行動は全部極悪だが)。子供ができて堕ろしたと騙し、その罪悪感をネタにいいように操るのだが、読んでて頭にくるあまりページを噛みちぎりたくなる。高宮氏が最終的に好きな女性と結ばれるのが、まあ救いといえば救いだ。


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