アブソリュート・エゴ・レビュー

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殯の森

2008-06-12 20:16:31 | 映画
『殯の森』 河瀬直美監督   ☆☆☆★

 カンヌで審査員特別グランプリを受賞した『殯の森』を、ようやくDVDで観ることができた。あいかわらず不親切さ爆発である。何がどうなってるのかさっぱり分からない。世間ではかなり激しく毀誉褒貶が渦巻いているようだ。

 話は複雑ではなくむしろきわめてシンプル。認知症の男性とヘルパーの女性が二人で森の中をさまようだけだ。男性は妻を亡くし、女性は子供を亡くしている。死者への想い、その悼みの念が物語の核となっている。この映画は「レクイエム」と題されても良かったかも知れない。

 この映画に対する批判は説明不足、リアリティの欠如など色々あるようだが、確かに説明不足は否めない。舞台となっている村には土葬の風習があるようで、冒頭の葬列はその儀式だそうだが、それは映画を観ただけでは分からない(しかもそれは結末で重要な意味を持ってくる)。森の中の巨木も何なのか分からない。あれは焼かれることが決まったあと、雨が降ったことで奇しくも生き延びた巨木らしい。私はこういうことをDVD特典のメイキングで知った。これらの情報はチラッとでいいから、映画本篇の中に含めるべきだったと思う。一方、しげきと真千子の関係をもっと描きこめという意見には与しない。構成はシンプルな方がいい。茶畑のかくれんぼで象徴的に描かれている、あれで充分だと思う。

 リアリティ不足に関していうと、確かにあの二人で山へ行くのは違和感があるし、森の中での二人の言動も(特に老人介護に携わっている人から見ると)噴飯ものかも知れないが、私はあまり目くじらを立てる気にはなれない。これはそもそも認知症や老人介護についての映画ではないし、全篇に充満しているのは濃厚な儀式性と象徴性だ。ドキュメンタリー風の映像に惑わされるかも知れないが、これはリアリズム映画ではなく、むしろその対極にある。個人的には、死者への想いを抱いて森の中をさまよう二人、というプロットには非常に魅力を感じる。『萌の朱雀』『沙羅双樹』でもそうだが、河瀬監督は人間の無意識に潜む原型的な何かをすくいとり、ある象徴的な状況に託してみせることがとてもうまい。また、だからこそこれほど「状況」の力に頼り、何も説明しない作劇が成立するのだと思う。

 ただこの作品については個々のエピソードにわざとらしさ、過剰な演出を感じてしまい、そこが個人的には不満だった。特に森の中に入ってから、それが顕著になる。まず真千子がしげきを追って走り、二人とも倒れる。汗をかき、笑う。ここで突然、しげきが真千子の口にスイカを押し込む。あれにはちょっとびっくりした。ほとんどねじ込むに近い動作で、エロティックな含みがあるのは明らかに思えるがどうか。それは考え過ぎだと言われればいやらしくてすみませんと謝る他ないが、私の感覚ではあれは性的関係のない男女のすることではない。そしてこのとってつけたようなエロティシズムは後の展開の伏線にもなっている。
 森へ入り、川を越えて行こうとするしげきを見て真千子は取り乱し、泣き叫ぶ。子供をなくしたトラウマの表出で、ここで感動する人も多いと思うが、私はこのシーンもそれほどいいとは思えなかった。キャラクターが感情むき出しにすればするほど、かえって説得力は失われる、ということもある。そしてあの、夜の焚き火。急に苦しみ始めたしげきを温めるため、真千子は上半身裸になって彼を抱きしめる。彼女がしげきをさすり始めた時点で、「もしや」と思ったが、その通りの展開になった。これも違和感ばりばりである。「あそこまでするか」ということもあるが、ここで見え透いたエロティシズムをわざわざ入れる必要があるのだろうか。どうも不調和な気がする。タナトスとセットでどうしてもエロスが欲しかったか? 

 翌日、しげきが死んだ妻と踊るのはいいとして、巨木を見ると真千子は泣く。妻の墓を見つけ、しげきが穴を掘って倒れこむと、真千子はオルゴールを回しながら空を仰いで泣く。もうこうなると真千子は情動失禁状態に陥っているとしか思えない。垂れ流しである。

 メイキングを見ても、河野監督は自分の感性や思いに忠実に映画作りをする監督のようだ。それをするだけの才能がある人だと思うが、この映画に関しては突き放した視点に欠け、自己耽溺が過ぎるように思える。だから、おそらくその陶酔に同調できる人には評価されるが、そうでない人には辛い、という映画になった。
 
 万人が認めるように、映像はきわめて美しい。そして自然の音、特に風の音が心に残る。


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