アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

精霊たちの家

2010-09-28 21:45:01 | 
『精霊たちの家』 イサベル・アジェンデ   ☆☆☆☆

 再読。『エバ・ルーナのお話』のところでも書いたが、アジェンデの文体はやっぱりガルシア・マルケスのそれにとてもよく似ている。ボキャブラリや言い回し、語りのトーンがすでに似ているので、これはひょっとして訳者が同じ木村栄一氏だからだろうかと思ったりもしたが、彼が訳した他の作家の小説ではそう思わないし、アメリカ人作家のコラゲッサン・ボイルも似ていると言ってるのでやっぱりもともと似ているんだろう。ボイルはかなり厳しいことを言っていて、短篇集『もし川がウィスキーなら』収録のインタビューでは「たとえば、イサベル・アジェンデはマルケスの模倣をしていますが、結局模倣の域を出ません」と言っている。

 この本など文章も達者だし、プロットは面白く、波乱万丈の色彩豊かな物語なのだが、構成や雰囲気が『百年の孤独』に酷似しているので、マルケス好きの私としてはどうしても点が辛くなってしまう。なんだか、達者なそっくりさん芸を見ているような気分になってくるのである。

 と言ってももちろん、まるで同じではない。本書の印象を大雑把に言うと、マルケスのあの強烈な呪縛力、幻覚力を薄めて、人間ドラマやストーリーテリングを強めた感じだろうか。こちらもある一家の百年の物語だが、まぎらわしい名前の人々がどんどん入れ替わっていく『百年の孤独』に比べ、大体レギュラーメンバーは固定で、より大河ドラマっぽい雰囲気になっている。話は時系列に沿って展開するし、プロットはスピ-ディーで読みやすい。後半クーデターが起きるあたりの物語は緊迫感を増し、読んでいて結構ハラハラする。それに軍の悪行の数々の描き方はまったく容赦がなく、痛烈な独裁政権批判となっている。

 あとがきを読むと、その独裁政権の非道、残虐のエピソードをはじめ、一家の構成員たちが繰り広げるドラマはかなりの部分、作者の実体験に基づいているらしい。最初読んだ時はとてもそうは思えなかったので驚いた。書き方はリアリズムではなく強烈にデフォルメされていて、超現実的なディテールがあれこれ散りばめられているので、自伝的小説という感じはまるでしない。奇想天外、波乱万丈の幻想物語としか思えない。緑の髪の美女ローサやテレパシーを使うクラーラなどは、『百年の孤独』に登場してもまったく違和感がないだろう。ちなみに最初の方で出てくるあの犬、クラーラのペットとなるあの犬が本当に犬なのかどうか良く分からない、というくだりは大変面白かった。こういうほら話的ユーモアもちゃんとある。
  
 ところでどうでもいいことだが、「暑さ」という言葉の前に必ず「むせ返るような」と形容をつけるのは、これはこの作者の癖なのか、それとも本当にマルケスの真似をしているのか。ちょっとワンパターン過ぎると思うがどうか。本当に必ずなのである。読んでいてだんだん鼻につくようになった。

 まあ、個人的にはあまりにマルケスに似ているのが気になるが、良く出来た小説であることは間違いない。じゃあお前も真似してみろ、と言われてもこんな小説書けるわけないのである。

 しかしジャーナリストだったとはいえ、これが初めて書いた小説というのもすごい話だ。
 


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