アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ダマセーノ・モンテイロの失われた首

2008-07-13 23:36:17 | 
『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』 アントニオ・タブッキ   ☆☆☆☆☆

 『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』に続いてタブッキを再読、またしても評価上がる。この『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』は以前に『供述によるとペレイラは……』のレビューの中で、最後に人にすすめるタブッキ本としていたが、考え直したくなってきた。タブッキの本はこうやって、読み返すたびに新たな発見があるので油断できない。一度読んだだけで魅力を汲みつくすことができないのである。もちろん、だからこそ優秀な文学なのだが。などと言って自分のうかつさを正当化する私。

 本書がこれまででもっとも「非タブッキ的」小説であることは間違いない。それは翻訳者もあとがきで指摘しているし、最初の1ページを読めばすぐ分かる。テーマが政治的というだけでなく文体が違う。従来の曖昧さをたたえた、どこかためらうような瞑想的な文体から、より明晰な、くっきりした叙述法に変わっている。それが『インド夜想曲』や『レクイエム』を成立させていた麻薬的ともいえる幻想ムードを薄れさせているのは確かで、本書を最初に読んだ時、私はそこに戸惑ったのだった。政治的なテーマを扱った『供述によるとペレイラは……』でさえ、あのタブッキ文体で書かれていたわけだし。

 しかし今回読み返して感じたのは、当たり前のことながら、この変化が本書にまた違う魅力を与えているということだった。これまでの茫洋とたそがれた小説空間ではなく、もっとくっきりした光景に取り巻かれ、色彩と日の光に溢れた、鮮烈な世界。新たなタブッキ世界は新鮮で、とてもチャーミングだ。人々はより生き生きとしていて、行動的で、感情の起伏があり、しかもタブッキ的な内省性も失われていない。
 ストーリーも従来の堂々巡りを繰り返すようなタイプのものでなく、前進し、展開していく。娯楽小説的なギミックはなく、そこはやはりタブッキ的に淡々としているが、にもかかわらず面白く、スリリングだ。どんどん先が読みたくなる。事件の真相がだんだんと明らかになってくるというシンプルな筋立てだが、これが非常に力強い。

 章によって叙述形式が変わるのも新鮮で、効果的だ。基本は三人称で記者フェルミーノの行動を追っていくが、ある章がまるまるフェルミーノの記事になっていたり、インタビュー記録になっていたりする。

 こういう新しい魅力とともに、やはりタブッキだなと思わせる部分も健在で、それは例えば登場人物達の会話が哲学的な方向に脱線していく部分だったり、文学や思わぬ抽象的な観念が現実の中に割り込んでくる部分だったりする。本書におけるこういうタブッキ的な部分は、もっぱら弁護士ドン・フェルナンドが担当しているが、このチャールズ・ロートンに似ているという弁護士は実に不思議な、魅力溢れるキャラクターである。それからポルト風のトリッパ(臓物煮込)など、食べ物の話題や描写も嬉しい。お約束のフェルナンド・ペソアも、一箇所だけちらっと名前が出てくる。

 しかしなんといっても本書最大の魅力は、全篇に溢れるヒューマニスティックな感動だと思う。それはお題目のような安易なヒューマニズムではなく、タブッキの内省性と瞑想性にしっかりと裏打ちされることで真に感動的なものとなっている。本書に登場する国家警備隊のティタニオ・シルヴァ軍曹は従来のタブッキ世界には存在しなかったような露骨な悪役だが、それに対置されるフェルミーノと弁護士ドン・フェルナンドの行動は、それが非常に淡々としているにもかかわらず、というか淡々としているからこそ、読者の心を激しく打たずにはおかない。特に結末のドン・フェルナンドの「一人の人間です」から始まる言葉には、一度読んで知っていたにもかかわらず、思わず涙がこぼれそうになってしまった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿