アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ナオミとカナコ

2015-03-26 22:39:01 | 
『ナオミとカナコ』 奥田英朗   ☆☆☆★

 しばらく読んでいなかった奥田英朗だが、アマゾンの紹介文が面白そうだったので購入。週末でイッキ読みした。悪くないと思う。深みには欠けるが、ページターナーぶりは充分だ。

 ジャンルでいうと倒叙推理ということになる。殺人事件が起きる過程を犯人の視点で描く。ある事情で殺人を決意し、計画し、実行し、その後捜査の進捗に一喜一憂する。基本的な構成はまったくオーソドックスな倒叙推理だ。では特徴はというと、(1)前半と後半で視点が変わる、(2)読者を完全に犯人側に感情移入させる作り、(3)ミステリ興味より「追われるサスペンス」重視、の三点だと思う。そこに小説の彩りというか香りづけとして、現代の若いOLと主婦が主人公というフェミニンな柔らかいムードが加わる。それぞれの要素についてもう少し触れてみる。

 まず視点の変化。タイトル通り、本書の主人公はナオミとカナコの女性二人だが、前半、ことの起こりから殺人を実行するまでがナオミ視点で語られ、後半、殺人の捜査を見守りながらだんだん追い詰められていく過程がカナコ視点で語られる。ちなみに被害者はカナコの亭主である。とんでもないDV夫で、読者は完全にカナコ側に感情移入するように書かれている。最初私はこの視点の切り替えに、何らかの叙述トリックが仕掛けられているのではないかと思った。たとえばカナコ視点の章では、それまでナオミ視点で語られていた物語の実相がまるで違っていたことが分かる、といった仕掛けだが、そういうことはなかった。基本的に、二人のうちその段階の主導権を握る側の視点で語られている。しかしこの、語り手とプロセスをリンクさせて大きく二部に分ける構成はすっきりと明快で、読みやすい。

 犯人に感情移入させる手法は倒叙推理ではさほど珍しいものではないが、本書では徹底している。普通は犯人に同情させつつも捜査側の正義は揺るがないもので、当然ながらコロンボにしろフレンチにしろソーンダイクにしろ捜査側がヒーローとなる。シリーズものでなくても捜査側に好感が持てる人物が登場する。ところが本書ではそれがなく、警察にしろ被害者遺族にしろ、読者の感情移入を誘う人物は皆無だ。特に、警察の尻を叩くようにして捜査に介入してくる被害者の妹は、通常の倒叙推理なら善玉になる役回りだろうが本書では完全にヒールである。帯に書かれた「読者も共犯者になる」というのはこの点をさしていて、やはり、ここまできっぱり殺人者側に肩入れした倒叙推理は珍しい。

 サスペンス重視という点でいうと、本書は殺人のトリックやアリバイ工作、あるいは「どんな意外なことから犯罪が露見するか」などの知的興味面はいささか弱い。犯罪計画は杜撰で、本人たちは完璧と思っているがどんどんボロが出てくる。だから犯人対名探偵の知的対決みたいなものはほとんどなく、そのかわり、素人犯罪のリアルさがある。そしてどんどんボロが出ることによって動揺し、うろたえるという部分でリアルなサスペンスを味わえる。本書が目指しているのは多分それであり、従って犯罪計画が杜撰なのは別に本書の欠点ではない。倒叙推理の名作と言われているものでも『クロイドン発12時30分』のように素人くさい犯罪を扱ったものもあり、もともと倒叙推理は天才的犯罪でなくても面白いものなのだ。

 それに、サスペンスものとして開き直ったことで、いわゆる「知的対決」型のミステリでは使えない反則技が使われている。そもそもナオミとカナコの犯罪隠蔽工作を脅かすのは警察より被害者の妹であり、だから興信所の探偵を使って法律を無視した乱暴な情報収集が可能になる。このあたりは捜査側がちょっとストーカー的でさえあり、読者はますますナオミとカナコに肩入れし、またサスペンスも盛り上がることになる。

 エンタメとしての仕掛け、構造は大体以上だと思うが、前述した通りそこにフェミニンな味付けが施されていて、これも本書の大きな特徴になっている。具体的にはデパート外商部では働くナオミの仕事を通して超リッチな奥様方の世界、たとえば高価なワイングラスや陶器やジュエリーを日常的に、日用品でも買うような気軽さで購入する人々の世界を描いていることが一つ。奥田英朗の十八番ともいえる階級格差描写だが、高価なブランドものの薀蓄はそれなりに愉しく、贅沢感を醸し出す。そしてもう一つは、日本で事業をする中国人の世界を描いていること。これもメインは女性である。李朱美という中国人の女社長が、最初は高価な時計を万引きするとんでもないキャラとして登場するが、ストーリーが進むとともにナオミとカナコの味方になっていく。本当にこんな場所があるのかアメリカ暮らしの私には分からないが、池袋にあるという中華街がいいアクセントになっている。

 さて、そんなこんなで警察や被害者遺族に追い詰められ、終盤はナオミとカナコの文字通りの逃亡劇となるが、この部分のサスペンスは出色である。読者はすでにたっぷり二人に感情移入しているので尚更だ。最後の一行までヒリヒリした緊張感が持続する。

 ラストについては賛否両論あるようだが、この小説は普通の倒叙推理にはないテーマを背負っていると思われるので、それからすれば必然なのだろう。そのテーマとは、逞しく生きよ、もうこれしかない。清廉潔白であろうとか、何が正しくて何が間違っているとか、そんなことでクヨクヨするな、チマチマするな、といういささか乱暴ともいえるメッセージだ。日本人はマジメ過ぎるよ、もっといい加減でもいいよ、ということかも知れない。その典型的な例が中国人の女社長、李朱美で、常識的にはとんでもない奴だが、本書にはこれもアリだよねというニュアンスがある。DV夫なんて生きている価値はない、私なら殺します、という彼女の発言の痛快さが本書の精神だ。だから結末も、こうなるのが必然なのである。

 辛抱ばっかり覚えないで、たまにはハジケてみたら、ということかも知れない。しかしまあ、実際にハジケたらその結果は自分で引き受けることになるので、各自ご判断下さい。とりあえず週末のイッキ読み本としては優秀。



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