『クロイドン発12時30分』 F・W・クロフツ ☆☆☆★
倒叙推理の傑作と呼ばれる『クロイドン発12時30分』を再読。クロフツのミステリは多分これしか読んだことがない。フレンチ警部というのが探偵役だが、名探偵名鑑みたいなミステリ・マニア向けの本を読むと大体「天才探偵ではなく、努力型の凡人探偵の始祖」という風に紹介されている。凡人探偵。何という面白くなさそうな言葉の響きだろうか。
要するにポーのオーギュスト・デュパンに始まりシャーロック・ホームズ、ファイロ・ヴァンス、エラリイ・クイーン、エルキュール・ポアロ、思考機械、隅の老人、神津恭介、その他もろもろ名探偵といえば天才型と相場が決まっていたのを、このクロフツはひらめきには欠けるがコツコツ足で稼ぐタイプの探偵を主役にした、というので画期的だったわけである。
「凡人探偵」にはあんまり惹かれなかったが、オースチン・フリーマンのソーンダイクものと刑事コロンボで倒叙推理は好きだったので、倒叙推理三大傑作の一つに数えられる本書を読んでみた。ちなみに他の二つの『殺意』と『伯母殺人事件』も読んだことはある。
冒頭で金持ちの老人が死ぬ。そしてチャールズという金に困っている男が出てきて、殺人を決意し、計画を練り、犯罪を実行するプロセスが淡々と語られる。このクロフツはリアリズム推理小説の雄とも言われているが、最近の日本の警察小説などと比べるとそれほどリアリズムという感じもしない。やはり黄金時代の推理小説っぽい悠然とした、牧歌的なムードがある。
チャールズの犯罪は青酸カリを使った毒殺だが、非常に地味で(一見)無難な計画である。現実の犯罪もこんなだろうなと思わせるところはリアリズムかも知れない。そして老人は死に、チャールズはその後の展開に一喜一憂する。やがてフレンチ警部が出てきて捜査を始める。
『殺意』や『伯母殺人事件』は倒叙という形式の中で犯罪心理小説に近づいていて、犯人の心理、そして犯人にとっても意外な事態の進展の面白さで読ませる小説になっているが、この『クロイドン』はあまりトリッキーな展開はしない。事件が終わったと思っていたらまた捜査が再開されたりとか、その程度である。もちろん犯人のチャールズはそれで舞い上がったり落ち込んだりするが、読者は当然最後にはチャールズが捕まることを予想しているので、想定の範囲内のスリルである。基本的な展開も非常にスタンダードで、犯罪が起き、一旦は自殺で片づきそうになり、フレンチが出てきて殺人ということになり、真相を知っている恐喝者が現れて第二の殺人を行い(コロンボでよくあるパターンだ)、これもうまく片づきそうだと思っていたら死体が見つかり、再びフレンチが現れ、不安が高まり、破局する。あっと驚くような展開は全然ない。あくまで地味だ。最後フレンチが出てきて解説するが、やっぱり特にトリッキーなところはない、堅実で常識的な捜査と推理である。
倒叙推理というのでコロンボみたいなイメージで読むと、探偵役と犯人の対決みたいなシーンはほとんどないので期待を裏切られるだろう。探偵役が疑念を口にし、犯人が知恵をしぼってごまかす、というようなことはない。フレンチはむしろチャールズを安心させようとしているので、訊問シーンも淡々としている。だんだん網がせばまってくる感じもなく、チャールズが気をもんでいると突然逮捕される。逮捕にいたる経緯はフレンチが最後に捜査関係者だけに解説する。どこまでも淡々と穏やかで、地味なミステリである。
じゃ面白くないかというとそんなことはない。やっぱり傑作といわれるだけあってそれなりに面白い。チャールズの犯罪は単純で地味だが、それだけに読んでいてボロが出そうな気がしない。捜査の進捗は全然描かれないので、突然逮捕された時は何が証拠で逮捕されたかも分からない。そのあとの裁判シーンで、「なんだ、いつの間にか全部ばれてるじゃないか」という話になり、最後のフレンチの解説で、実はかなりあっさりばれていたことが分かる。へえー、うまくやってるつもりで全然だめだったんだなあ、という妙な感慨を覚える。本書の読みどころはこれである。なんというか、かなり通好みのミステリと言えるだろう。
それにしても、倒叙推理といえばコロンボ・スタイルだと思っている人が多いかも知れないが、わりとそうでもない。色んなタイプの倒叙推理がある。例えばフリーマンのソーンダイクものは捜査のディテールが面白さのポイントになっている。『殺意』や『伯母殺人事件』では犯人の心理、その浮き沈みが描かれる。本書もそれに近く、犯人には最後まで警察の動きは分からない。それがスリルを醸し出す。そう考えると、犯人と警察がディスカッションをしながら話が進む、つまりほとんど犯人が捜査に参加している形になるコロンボ・スタイルはそうとうユニークだということが分かる。刑事と犯人が議論し、言葉で対決するあのスタイルは法廷ものの応用といえるかも知れない。法廷ものでは弁護士と検事が言葉でやりあうが、それを刑事と犯人のやりあいに置き換えてあるのだ。そうすることによって、犯人側の動きが分からない通常のミステリ、警察側の動きが分からない従来の倒叙推理それぞれの欠落部分を埋めてしまい、さらに法廷もの的な知的バトルまで取り入れてしまっている。かなり巧妙な手法だと思うが、どうだろう。
本書あとがきで中島河太郎は「倒叙型の推理小説は今後さらに発展することなく、犯罪心理小説の方向をたどるものを思われるから……」と書いているが、この文章が書かれたのは多分コロンボが登場する前である。刑事と犯人がディスカッションするタイプの奇妙な倒叙推理形式がコロンボや古畑任三郎で一世を風靡することになるとは、この人も予想できなかったのだろう。
倒叙推理の傑作と呼ばれる『クロイドン発12時30分』を再読。クロフツのミステリは多分これしか読んだことがない。フレンチ警部というのが探偵役だが、名探偵名鑑みたいなミステリ・マニア向けの本を読むと大体「天才探偵ではなく、努力型の凡人探偵の始祖」という風に紹介されている。凡人探偵。何という面白くなさそうな言葉の響きだろうか。
要するにポーのオーギュスト・デュパンに始まりシャーロック・ホームズ、ファイロ・ヴァンス、エラリイ・クイーン、エルキュール・ポアロ、思考機械、隅の老人、神津恭介、その他もろもろ名探偵といえば天才型と相場が決まっていたのを、このクロフツはひらめきには欠けるがコツコツ足で稼ぐタイプの探偵を主役にした、というので画期的だったわけである。
「凡人探偵」にはあんまり惹かれなかったが、オースチン・フリーマンのソーンダイクものと刑事コロンボで倒叙推理は好きだったので、倒叙推理三大傑作の一つに数えられる本書を読んでみた。ちなみに他の二つの『殺意』と『伯母殺人事件』も読んだことはある。
冒頭で金持ちの老人が死ぬ。そしてチャールズという金に困っている男が出てきて、殺人を決意し、計画を練り、犯罪を実行するプロセスが淡々と語られる。このクロフツはリアリズム推理小説の雄とも言われているが、最近の日本の警察小説などと比べるとそれほどリアリズムという感じもしない。やはり黄金時代の推理小説っぽい悠然とした、牧歌的なムードがある。
チャールズの犯罪は青酸カリを使った毒殺だが、非常に地味で(一見)無難な計画である。現実の犯罪もこんなだろうなと思わせるところはリアリズムかも知れない。そして老人は死に、チャールズはその後の展開に一喜一憂する。やがてフレンチ警部が出てきて捜査を始める。
『殺意』や『伯母殺人事件』は倒叙という形式の中で犯罪心理小説に近づいていて、犯人の心理、そして犯人にとっても意外な事態の進展の面白さで読ませる小説になっているが、この『クロイドン』はあまりトリッキーな展開はしない。事件が終わったと思っていたらまた捜査が再開されたりとか、その程度である。もちろん犯人のチャールズはそれで舞い上がったり落ち込んだりするが、読者は当然最後にはチャールズが捕まることを予想しているので、想定の範囲内のスリルである。基本的な展開も非常にスタンダードで、犯罪が起き、一旦は自殺で片づきそうになり、フレンチが出てきて殺人ということになり、真相を知っている恐喝者が現れて第二の殺人を行い(コロンボでよくあるパターンだ)、これもうまく片づきそうだと思っていたら死体が見つかり、再びフレンチが現れ、不安が高まり、破局する。あっと驚くような展開は全然ない。あくまで地味だ。最後フレンチが出てきて解説するが、やっぱり特にトリッキーなところはない、堅実で常識的な捜査と推理である。
倒叙推理というのでコロンボみたいなイメージで読むと、探偵役と犯人の対決みたいなシーンはほとんどないので期待を裏切られるだろう。探偵役が疑念を口にし、犯人が知恵をしぼってごまかす、というようなことはない。フレンチはむしろチャールズを安心させようとしているので、訊問シーンも淡々としている。だんだん網がせばまってくる感じもなく、チャールズが気をもんでいると突然逮捕される。逮捕にいたる経緯はフレンチが最後に捜査関係者だけに解説する。どこまでも淡々と穏やかで、地味なミステリである。
じゃ面白くないかというとそんなことはない。やっぱり傑作といわれるだけあってそれなりに面白い。チャールズの犯罪は単純で地味だが、それだけに読んでいてボロが出そうな気がしない。捜査の進捗は全然描かれないので、突然逮捕された時は何が証拠で逮捕されたかも分からない。そのあとの裁判シーンで、「なんだ、いつの間にか全部ばれてるじゃないか」という話になり、最後のフレンチの解説で、実はかなりあっさりばれていたことが分かる。へえー、うまくやってるつもりで全然だめだったんだなあ、という妙な感慨を覚える。本書の読みどころはこれである。なんというか、かなり通好みのミステリと言えるだろう。
それにしても、倒叙推理といえばコロンボ・スタイルだと思っている人が多いかも知れないが、わりとそうでもない。色んなタイプの倒叙推理がある。例えばフリーマンのソーンダイクものは捜査のディテールが面白さのポイントになっている。『殺意』や『伯母殺人事件』では犯人の心理、その浮き沈みが描かれる。本書もそれに近く、犯人には最後まで警察の動きは分からない。それがスリルを醸し出す。そう考えると、犯人と警察がディスカッションをしながら話が進む、つまりほとんど犯人が捜査に参加している形になるコロンボ・スタイルはそうとうユニークだということが分かる。刑事と犯人が議論し、言葉で対決するあのスタイルは法廷ものの応用といえるかも知れない。法廷ものでは弁護士と検事が言葉でやりあうが、それを刑事と犯人のやりあいに置き換えてあるのだ。そうすることによって、犯人側の動きが分からない通常のミステリ、警察側の動きが分からない従来の倒叙推理それぞれの欠落部分を埋めてしまい、さらに法廷もの的な知的バトルまで取り入れてしまっている。かなり巧妙な手法だと思うが、どうだろう。
本書あとがきで中島河太郎は「倒叙型の推理小説は今後さらに発展することなく、犯罪心理小説の方向をたどるものを思われるから……」と書いているが、この文章が書かれたのは多分コロンボが登場する前である。刑事と犯人がディスカッションするタイプの奇妙な倒叙推理形式がコロンボや古畑任三郎で一世を風靡することになるとは、この人も予想できなかったのだろう。
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