アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

アフリカの日々

2012-08-22 23:30:32 | 
『アフリカの日々』 イサク・ディーネセン   ☆☆☆☆☆

 イサク・ディーネセンことブリクセン男爵夫人の『アフリカの日々』を再読。これはロバート・レッドフォードとメリル・ストリープ主演の『愛と哀しみの果て』の原作ということで有名だが、私は映画を観た事はないし、観ないで言うのも失礼だけれども原作とはまったく違うテイストになっているのはほぼ間違いないので、あんまり観たいとも思わない。もちろん、映画は映画でいい作品になっているということはあり得るが。

 私にとってイサク・ディーネセンすなわちカレン・ブリクセンとは『バベットの晩餐会』の作者であり『七つのゴシック物語』の創造者であり、20世紀最大の物語作家である。現代のシェヘラザードという称号が誰かに与えられるとしたら彼女以外には考えられない。イサベル・アジェンデあたりをそう呼ぶ人もいるようだが、失礼ながら格が違う。カレン・ブリクセンの筆になる物語はいずれも運命譚、綺譚、という言葉が似つかわしく、クリスチャニズムから文芸、オペラまでひっくるめた西洋芸術文化の精髄とロマネスク、そして彼女独特の神秘のメタフィジクスが融合した類を見ないものである。

 そのカレン・ブリクセンは実のところ作家志望でもなんでもなく、もともとアフリカでコーヒー農場を経営していたが農場経営が破綻し、破産者となって故郷デンマークに帰り、50歳を目前にした彼女がいってみれば余生の手すさびとして物語を書いたと知った時は、かなりの衝撃を受けた。彼女は作家になりたくてなったのではない、本当はコーヒー農園を経営しながら、現地の人々と一緒に死ぬまでアフリカで暮らしていたかった人なのである。運命とは何と皮肉なものだろう。もちろん彼女がずっと農場経営をやっていれば私たちはディーネセンの物語を読むことはなかったわけだが、彼女としてはそちらの方が幸せだったのだ。神は彼女の才能を惜しみ、彼女を破産させてその夢を挫くという形でその才能を開花させ、世に出したのかも知れない。なんという残酷な話だろうか。

 そしてこの『アフリカの日々』は、そういう運命の皮肉で生まれた物語作家ディーネセンが、自分の夢であり幸福であり、おそらくは人生のすべてであったアフリカの日々を回想し、綴ったものである。本書はこの一文から始まる。「私はアフリカに農場を持っていた」それからまた、彼女はこのように書く。「アフリカの高原ですごしたことのある人なら、あとで思い返してみると、しばらくの時を空の高みで生きていた気がして、おどろきに打たれるに違いない。…(中略)…この高地で朝目がさめてまず心に浮かぶこと、それは、この地こそ自分の居るべき場所なのだというよろこびである」

 本書ではその彼女がアフリカを去るまでの経緯が綴られているが、何と言っても驚きなのは彼女の書き方の徹底したアンチ・クライマックス性であり、一切の感傷やメロドラマ性を排除した平静さである。彼女がアフリカを去るにあたってどれほどの失意と苦しみの中にあったのかは想像にあまりあり、それはマルセーユ港で彼女を出迎えた弟が書いた「それは、私がかつて知っていた女性の影に過ぎなかった。その瞬間、私は全身で悟った。ああ、これですべてが終わったのだと」(『夢みる人々』のあとがきから)という一文からも明らかであるのに、ここにはそうした感情の表白が一切ない。本書を読むと、彼女は淡々と冷静に農場をたたみ、何も感じることなくアフリカに別れを告げたようにすら思える。読者が目を皿のようにして探したとしても、本書の中に一片のメロドラマ的記述すら見つけることはできない。生涯の愛であったはずのデニス・フィンチ・ハットンの死についてさえ、悲しいとか涙を流したとかいう記述は一切出てこないのである。そうした「感情の表白、喜怒哀楽の吐露」こそが芸術だと思っている読者は、この作品の本質には決して近づけないだろう。

 本書でブリクセンが描いたのはアフリカの美しさである。それはただ空が美しい森が美しいという外面的なことばかりではなく、アフリカの人々がヨーロッパ人とどう違うか、その考え方や文化がどう違うか、そしてその驚きに満ちた非ヨーロッパ的な世界がいかに美しく自分の前に立ち現れたか、それを描いている。後に作家イサク・ディーネセンの一大特徴となる、現実の裏にある本質を見極めようとする透徹した視線が、この記録をディーネセン的にしている。たとえば西洋料理に天才的な腕前を発揮するアフリカの少年の話。少年はほとんど西洋料理に興味がなく、自分ひとりなら粗末な食べ物だけで済ますに違いないのに、西洋料理をさせると信じられない腕を発揮するのである。彼女はここで神が与えた贈り物=才能の不思議さに思いを馳せる。まるでディーネセンの短編のような話であり、『バベットの晩餐会』に通じるようなエピソードだ。

 現実の裏にシンボルや徴(しるし)を見る彼女のフィロソフィーが明確に表れているのが「人生の軌跡」と題された文章であり、またデニスの死を語った章である。「人生の軌跡」では、人生の途中では何の意味もないように見える道筋が人生の終わりで大きな絵となるという不思議を、コウノトリの絵描き遊びにたとえて語っている。またデニスの章では、この考察がひときわ感動的に展開される。彼女は言う、もしかしたらデニスの人生は、彼のロンドンの友達の目にはふらふらと気まぐれな、軌道を逸れたものに映るかも知れない。しかしそうではない。「……イギリスのおだやかな風景の中の小川と、アフリカの山地の尾根との間に、デニスのたどった生涯の道がある。その道が曲折し、常軌を逸していると見えるのは目の錯覚である。彼を取り巻く環境の方が常軌を逸しているにすぎない。イートン校の橋の上で弓絃は放たれ、矢はひとつの軌跡を描いて飛び、ンゴング丘陵のオベリスクにあやまたず命中した」

 こうした文章を読めば、私が、映画が原作とまったく違うテイストになっているだろうという理由が分かっていただけることと思う。この小説はカレンとデニスの恋物語ではないし、デニスへの愛や、死別の辛さを切々と訴えるメロドラマでもない。アフリカという土地とそこに住む人々に、そしてその地で出会った友人たちに供物のように捧げられた、一篇の詩なのである。


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
人生の軌跡 (ほたる)
2013-02-28 01:31:14
気になる部分があって、古本屋さんで「アフリカの日々」を探しました。私が読みたかったのは人生の軌跡だったようです。売れ残って、値下げシールが4回も重ねて貼られているところが愛おしく、大切にしています。
活字中毒さんらしい説明に読みいって、感動してしまいました。より「アフリカの日々」が理解できました。
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Unknown (ego_dance)
2013-03-01 10:04:16
値下げシールが4回も重ねて貼られている! 何ということでしょう、こんなに素晴らしい本なのに…。愛おしいという感覚、分かります。
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検索途中であなたに巡り合ったのです。 (rieu/k(uutisu)
2017-04-04 05:31:19
私にとってイサク・ディーネセンすなわちカレン・ブリクセンとは『バベットの晩餐会』の作者であり『七つのゴシック物語』の創造者であり、20世紀最大の物語作家である。現代のシェヘラザードという称号が誰かに与えられるとしたら彼女以外には考えられない。イサベル・アジェンデあたりをそう呼ぶ人もいるようだが、失礼ながら格が違う。カレン・ブリクセンの筆になる物語はいずれも運命譚、綺譚、という言葉が似つかわしく、クリスチャニズムから文芸、オペラまでひっくるめた西洋芸術文化の精髄とロマネスク、そして彼女独特の神秘のメタフィジクスが融合した類を見ないものである。
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僕も読書が精神生活のメインです。
あなた様の記述に同感です!
今朝ほど>2017年4月4日朝方(深夜)2時ころ霊界通信で或るお方から伝達された事でブロ日記に返信しましt。
僕は工学分野の技術の仕事でした。58歳でタイに移住してチエンマイ在住17年になります。
発明家と先輩は僕を持ち上げます。
patentoいくつかあります。
アメリカは展示会のブースを借りてLAに行きました。NHKで発明小物は放送されまいた。
その前はS・シスコに短期滞在していました。
gooブログに登録予定です。
現在は楽天ブログ。開設後6年目です。
唯魂論者になりました。霊魂の中に肉体がある。
肉体は4次元領域の姿。
非肉体の人間から発明の具体を連絡いただき、具現化したに過ぎない、という確信があります。
我々の主体は霊魂。
蔵書>1000kg以上船便で運んで50万でした。
ぜひ紹介したい本がりますが、またここにコメントされいただきます。
am2ーAM5までは重要な時間なので これ終わらせてください。
アメリカ滞在は何年でしょうか?移住された?
ここは、遡って読みますね。
ではポッカンマイ!!!

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僕のブログの紹介です。 (rieu/uutisu)
2017-04-04 05:49:28
https://plaza.rakuten.co.jp/uutisu/
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2018-01-11 04:19:10
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