アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

妖説太閤記

2014-05-25 22:11:10 | 
『妖説太閤記(上・下)』 山田風太郎   ☆☆☆☆☆

 大傑作。さすが山田風太郎である。これぞ本物の作家が書いた本物の小説、というオーラが凄絶なまでに迸りまくっている。私は歴史小説をあまり読まないので、たとえば司馬遼太郎みたいな他の作家の歴史小説と比較して論じることはできないけれども、この強烈な毒とめまいを封じ込めたような極彩色の世界は山田風太郎特有のものであるからして、これは他のどんな歴史小説とも違うと断言できる。

 「太閤記」というからにはいうまでもなく豊臣秀吉の一代記だが、秀吉は特に日本人に人気が高い歴史上の人物らしい。侍の出身でもなく、ルックスにも身体能力にも恵まれていないにもかかわらず知略だけで天下を取ったというロマン、そして人たらしと言われるその人間的魅力、そういうところが人気の秘密だと思うが、この『妖説太閤記』ではそういう側面もちゃんと描きつつ、全体としては秀吉を魔王の如き醜悪無残な怪物として描いている。だから秀吉ファンにはショッキングかも知れない。特に後半の描写は、鬼気迫ると形容する他はない。しかし、読者はそのあまりの異常性や残酷さに驚きつつ、やはりこれくらいの異常性がなければとても天下取りなどできないだろうと否応なく納得させられ、畏怖させられ、そして圧倒されるのである。

 特に凄まじいのはいうまでもなく、その知略の冴えである。本書では、明智光秀の信長への叛逆すら秀吉の策謀によるものということになっている。そんな馬鹿なと笑う人もいるだろうが、史実として有名な秀吉軍の対応のすばやさや情報入手の経路など、記録を踏まえて緻密に論証していくので、歴史に詳しい人が読むとどうか分からないが少なくとも私レベルの読者は「うーむ、こりゃきっとやってるな」と思わせられてしまうのだ。加えて、歴史上いまだに謎とされている色々な史実も、この仮説で見事に説明してストーリーに統合していってしまう。これこそ娯楽小説作家の至芸。とにかく説得力と迫力に満ちていて、そうやって描き出される秀吉の知略の冴えはもはや悪魔的という以外にない。

 また、秀吉を憑かれたように天下取りに邁進させた根本の動機を、山田風太郎はその猿か鼠に似ているといわれる容貌から来るコンプレックス、女から愛されないというコンプレックスに置く。秀吉は女を得たいがために天下取りを目指す。もっと具体的にいうと、すべては信長の妹のお市の方への懸想のなせる業なのである。これもそんな馬鹿なと笑う人がいるだろうが、本書を読むと納得できるばかりでなく、そうした子供じみたコンプレックスがいかに根深いものか、どれほど強く人を呪縛するものかを思い知らされるだろう。山田風太郎の文章に不可能はない。

 とにかく本書冒頭から登場する藤吉郎=秀吉(最初は「猿」としか呼ばれない)は醜く卑屈でブザマで、これが後に天下を取るとは到底信じられない下郎である。ところがこの藤吉郎、まずは人に侮られることを逆手に取り、武器とすることで次第に頭角を現す。次に、知略謀略によって人を操る。このあたりは痛快な立身出世譚として読める。本人もまだ自分の器を自覚していないが、やがて半兵衛という稀代の軍師が彼を天下を取る器と見込んで仕える。これには本人も驚くが、やがてだんだんとその資質が目覚めていく。

 その後はひたすら凄みを帯びていく知略と、人の情に通じながらそれを踏みにじることもできる悪魔的な二面性で天下取りへ疾走していく。その複雑なキャラクターを厚みをもって、縦横無尽に描き出す山田風太郎の筆はまさに天駆けるが如く、読者の情緒は完璧にコントロールされるばかりだ。そしてもちろん本能寺の変が最初のハイライトとなり、一旦秀吉が天下を取ってからは、その残虐、誇大妄想がどんどん表面化していく。稲妻の如く冴え渡った知略に衰えが見え始め、無残をきわめた朝鮮出兵へと発展する。その老年はもはや醜悪無残の一言である。

 それにしても、織田信長健在の時には祝宴で家来として卑屈に振る舞い、織田一族の子供達にまで馬鹿にされていた秀吉が、数十年後にはそこにいたほぼ全員を殺すか妾にしていたという壮絶さには言葉を失ってしまう。これが戦国時代というものなのだ。現代からは想像もつかない世界である。弱肉強食という言葉をはるかに超えた、まさに人間が神にもなれるし虫けらのように簡単に命を取られてもしまう世界。そしてそういう世界を全力で生き抜き、思いのままに欲望を遂げ、あらゆる野望を実現したこの男が人生を終わろうとするまさにその時、彼は自分の人生がそこから始まった荒野の幻影を見る。彼はそこへまた還っていこうとしている。こうして秀吉が晩年の病床にあって自分の生涯を振り返る時、この人生の醍醐味、凄みに、圧倒されない男がいるだろうか。私は圧倒された。圧倒され、脳の真ん中がしびれたようになった。これに比べるとおれの人生はなんなのか。果たして生きているといえるのか。

 なんてことを真剣に考え始めると体に良くないが、とにかく本書を読むことによって、私たちは比類のない男の数奇をきわめた人生の壮大な絵巻を、まざまざと見せつけられるのである。

 読みどころは他にもたくさんある。秀吉のみならず織田信長、徳川家康というそれぞれに人並みはずれたスケールの傑物たちを山田風太郎が描き、物語の中で交錯させるのだから、面白くないはずがない。作者が「彼が生きていたら日本のその後は変わっていたかも知れない」と評する織田信長は別格としても、悪魔的な知略を操る秀吉に対抗できるのは家康しかおらず、その家康の描写も凄みたっぷりだ。読み応えあり過ぎである。

 それにしてもつくづく思うのは、戦国時代の生き様というのはとんでもないということである。権力を持たないものは持つものに切腹させられる。家族を殺させられる。娘を妾にとられる。もうなんでもあり、メチャクチャである。人として耐えられない。が、それが当然だったというものすごい時代。そして、その時代を一筋の光芒とともに駆け抜けた巨大なる魔星、豊臣秀吉。

 本書はその秀吉の魔性をあますところなく描き出した、とてつもない娯楽歴史小説である。とりあえず読むべし。



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