アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

衣服の発明

2011-07-23 22:50:05 | 創作
          衣服の発明

 8月の最後の二週間、私は避暑地のホテルにいた。それは木造のロッジ風ホテルで、風が吹き抜ける楡と白樺の林の中にあり、車回しから細い道が緩やかな曲線を描いて県道まで続いている。林は遠くまで広がっている。空気は冷たい。夕刻になればベランダでビールを飲みながら、山の向こうに沈む夕日と透き通る橙色に染まった空を眺める。私はその滞在が気に入った。サンダルだけ履いてのんびり歩けばすぐに、最後の夏を惜しむ人々がそぞろ歩く目抜き通りに出る。緑と光に溢れた石畳の道がどこまでも続いている。偶然の戯れによって、私はそこで古い女友達に再会した。しばらく立ち話をしたあと、私たちは近くの喫茶店に入った。二人ともアイスコーヒーを頼んだ。彼女と最後に会ったのはもう30年以上も前のことだが、その頃は若さではちきれんばかりだった二人も今ではすっかり歳をとり、落ち着いていた。口にこそ出さなかったが、私たちはそれを痛いほど意識した。

 彼女のことを考える時、まっさきに蘇ってくる一つの記憶がある。彼女は男友達と一緒にいる時、よくこんな風に言った。私、自分の家にいる時は何も着ないの。下着も全部脱いで、きれいさっぱり何もつけない。朝から晩までそうしている時もあるわ。リラックスできて本当にいい気持ち。私たちはみんな彼女の美貌に目がくらんでいたから、家の中で、下着も何もつけずに、生まれたままの姿で過ごす彼女を想像しては激しく興奮したものだ。何人かは彼女をものにしようとして積極的な攻勢に出たけれども、成功したものはいなかった。彼女は金持ちとしかつきあわないという噂もあった。いずれにしろ、私たちの中で彼女のプライヴェートを実際にのぞいた者は一人もいなかったが、家の中では裸で過ごすという彼女の習慣のことは全員が知っていた。

 彼女は本当に、家の中を裸で歩き回っていたのだろうか? それを確かめるすべはない。本当かも知れないし、本当ではないかも知れない。ただ確かなのは、彼女が私たちにそれを話したがったということだ。結局彼女は何をしたかったのか、ヌーディスト・ライフの礼賛か、衣服への嫌悪の表明か。多分、そうではない。彼女がしたのは、私たちみんなが彼女の裸を想像するように仕向けることだ。私たちはその話を聞いて、好むと好まざるとにかかわらず彼女の(おそらくは実物以上に)魅惑的な裸体を思い描き、それぞれのやり方でそれを賛美したり渇望したりした。そして彼女はそのことにひそかな喜びを見出した。彼女は誰とでも寝るような女ではなかった。そのかわり、想像上の裸体を私たちみんなにプレゼントしたのである。

 誰もが知っているように、若くて健康で魅力的な女性の場合、服を着る行為と脱ぎ捨てる行為の間には複雑なアンビバレンツが存在する。女性たちは服を着ることによって自分をさらに美しく飾り立て、人々の賞賛を集めるが、本当に特別なのはいつもそれを脱ぎ捨てる行為の方だ。それによって、女性たちの被造物としての喜びはクライマックスに達する。女性たちはそれを特別な人間だけに、まさにその特別さのあかしとして贈与する。その他大勢の男たちは、ただそれを想像するしかない。このようにして大多数の男達が想像上のスクリーンに投影した美しい肉体の幻は、消えかかったテレビの映像のように女性たちのまわりにちらつき、私たちは四六時中それを目にすることになる。

 しかし私と再会した時、彼女はもう家の中での特別な習慣について口にしなかった。それを思うと私の胸は悲しみに浸される。歳をとると、衣服と裸の甘美なアンビバレンツは失われてしまう。私たちは肉体の衰えを隠すために服を着る、まるで耳が遠くなった人が補聴器に頼るみたいに。そして服を脱ぎ捨てる時は自分が弱くなったように感じる。そこには面白くもなんともない、退屈な依存関係があるだけだ。これを人はエロティシズムの喪失と呼ぶ。

 とはいえその年代の女性にしては、彼女はまだ充分に美しかった。私はこの再会を楽しんだ。彼女は自分の仕事のこと、滞在しているホテルのことを話した。家族や結婚のことは話題に上らなかった。しばらくして、私たちは手を振って別れた。

 私は毎朝、いつも同じように、コテージ風のホテルの部屋で目を覚まし、窓から外を眺める。木立を通して通りが見える。朝霧の名残が漂い、そぞろ歩く人たちの姿が淡いシルエットとなって私の網膜の上を通り過ぎる。彼らは誰もかれもが、ゆったりした服を、あるいはひらひらした衣装をまとっているように見える。まるで森の中でダンスする妖精たちみたいに。私はどこかで読んだ知識を思い出そうと努める、なぜ人間は衣服を発明したのだったか。体温調節か、防寒か、社会的地位の表象か。この土地で今、私が衣服の創生神話を作るとしたら、多分こんな風になるだろう。ある時、人々はぶよぶよした非定型の身体に不快感を覚え、その醜さに絶望した。どんなに美しい肉体でも、それがぶよぶよしている限りその美しさは次善のものでしかないからだ。それに比べ、あの彫刻たちの美しさはどうだろう。アポロンや、ゼウスや、ヘラクレスや、アルテミスや、アフロディテたちの、あの石から切り出された肉体の完璧な均質性、ゆるぎない崇高さはどれほどの高みに位置していることだろう。憧れが人間を駆り立てる。彼らは衣服を発明する。それをまとうことによって少しでも彫刻に近づけるように。少しでも自分たちの救いがたい不定形を忘れ、大理石の安息の中に愛欲を憩わせることができるように。


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