アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ゴールデン・グローブ座

2015-04-29 22:58:21 | 創作
          ゴールデン・グローブ座

 今、あの小さな島の中だけしか知らずに過ごした人生最初の15年間を思うと、まるで夢の中のような気がする。そこではすべてが他の場所と違っていた。島の中の世界は、いうなれば私たちが時折色あせてセピア色になった写真で目にする蒸気船や複葉飛行機、そしてそれを取り巻いて笑みを浮かべる人々が遠い過去の時代に属するというような、まさにそのような意味で古い時代に属していた。そこではまだ馬車が道を走り、水は井戸を通して地面の底から汲み上げるものだった。人々は蛍光灯を知らなかった。冷蔵庫には大きな四角い氷が入っていた。建物はどれも木造で、冬には石炭のストーヴを炊いた。こうしたことを目の前の紙に書きつけながら、果たして何人の人々に自分の言葉を信じてもらえるか、心もとなく感じている。当然ながら、そこにはテレビも映画館もなかった。あの頃、ぼくは自転車をこいでやってくる紙芝居屋が大好きだったが、その紙芝居屋が来なくなってからというもの、ぼくたちの孤独を癒す道具はラジオだけになった。夜になると、大人も子供も椅子を持ち出してこの四角い機械の前に腰かけ、この魔法の箱、目に見えない無数の声を虚空から拾い集めてはノイズまじりの可聴音に変換し、色鮮やかな南国のオウムか、確かな血肉をそなえた人間のように際限なく喋り続けるラジオに耳を傾けながら、まだ見ぬ遠い世界に思いを馳せた。

 そんなわけだから、映画館が出来るというニュースが島の人々にどのように受け止められたかについては、特に説明の必要もないだろう。それはセンセーションというよりも、途方もない夢物語を聞かされた人がともすれば陥りがちな、ぼんやりした虚脱状態に近いものだった。五月の気持ちのよい午後、ぼくが友達と三人で海岸通りから丘の上に通じる坂道を登っていると、数ヶ月前まで写真屋だった店舗が改装され、パステルカラーの緑と青に塗り分けられているのが目に入った。白いドアの上には洒落た紺色の日よけが取りつけられ、ドアに嵌め込まれた四角いガラス窓の向こうは黒い暗幕で覆われていた。ドアの真上には、「ゴールデン・グローブ座」と書かれた看板があった。

 それは(今にして思えば)他のどんな映画館にも似ていなかったが、ぼくが、そしてその時ぼくと一緒にいた二人の少年が、生まれて初めて目にした映画館であることに違いはなかった。ぼくたちは走って家に帰り、親や兄弟と会話した後に、ようやくその映画館が島中の話題になっていることを知った。しかし後になって考えてみると、どれほどその映画館が人々の注意を惹いていたか、確かなところは分からない。ほぼ漁業と林業だけで生計を立てている島、娯楽と言えばラジオか蓄音機、それ以外の時間は男は酒で、女は編み物でやり過ごす生活習慣が染みついた島で、どれほどの住民が映画に関心を持つだろう。クラスの子供達も半数以上は懐疑的で、あんなものを観ると目が悪くなる、頭が悪くなる、癌になる、肌の色が黒くなる、などの怪しげな噂ばかりが飛び交っていた。しかし少なくとも、ぼくとぼくのまわりの数人の子供たちにとって、ゴールデン・グローブ座の出現はセンセーション以外の何物でもなかったし、あの黒く覆われた扉の向こうにあるものが、ぼくたちの夢想と憧れを掻き立ててやまなかった。

 次にやってきたのはポスターだった。それらはある日忽然と、ゴールデン・グローブ座のガラス・ウィンドウの中に出現した。『カサブランカ』『アフリカの女王』『ライアンの娘』『アッシャー家の惨劇』『フランケンシュタイン』『バルカン超特急』、いずれも目もあやな色彩の中に、あるいはめくるめくモノクロの階調と格子縞の中に、ギリシャ彫刻を思わせる西洋人の男女の横顔を浮かび上がらせていた。それは、ぼくたちがそれまでの人生で目にしたどんなものにも似ていなかった。ゴールデン・グローブ座のオーナーである須藤さんは、日焼けした哲学者というおもむきの初老の男性だった(短く刈り込まれた白髪が彼の頭を王冠のように覆っている)が、ある時ぼくたちに言った。「私と君たちで、この島に文化をもたらそうじゃないか。いいかい、子供が映画も見ることができないような島に未来はないよ。そんなところで子供は育つべきじゃないんだ」 

 そのまなざしには、夢見るような遠い光があった。須藤さんが変わり者だということは周知の事実だったので、彼が家と財産をすべてこの映画館につぎ込んでしまったと知っても、誰も驚かなかった。しかしながらそんな島の人々も、須藤さんがこの時ただの一度も映画を観たことがなかったと聞いたら肝をつぶしたに違いない。彼はその人生の中で一歩も島を出たことがなかった。実際、須藤さんはぼくたちに「ゴールデン・グローブ」の意味を説明することもできなかった。「そんなことはどうだっていいんだ」と須藤さんは言ったものだ。「私の家は先月まで写真屋だった。だから何だ? 私は映画館を作ることに決めたんだ。この島の人々に映画の素晴らしさを知ってもらおうと、ある日そう心に誓ったのさ」

 そうして訪れたゴールデン・グローブ座の営業初日、ぼくたちは切符を買ってぞろぞろと映画館に入っていった。客席は狭く、30人も入ればもういっぱいだった。前の壁には白いスクリーンが垂れ下がっていた。ぼくたちは興奮し、意味もなく声高にお喋りをした。時間になってベルの音が鳴り響き、須藤さんがスクリーンの前に歩み出て短いスピーチをした。子供が映画も見ることができないような島にどんな未来があるでしょうか、と彼は目の前の人々に問いかけた(そのスピーチは彼が常日頃口にしていることの忠実なダイジェストだった)。私はそんな状況を変えようと思ってこの映画館を作りました。本日集まってくださった皆さんにお楽しみいただけたら幸いです。まばらな拍手に送られて彼が引っ込むと、部屋の中が暗くなった。目の前のスクリーンが白く輝き始め、黒い点や線がせわしなく明滅した。

 こうしてぼくは生まれて初めて映画を観たのだったが、その時の強烈な印象を今でも忘れることはできない。島を出ておとなになり、数え切れないほどたびたび映画館に通った後でも、依然として頭の中から消えていかない。ぼくはいつでも、ただ目を閉じさえすればすぐに、あの瞬間に戻っていくことができる。高らかに音楽が鳴り響き、画面いっぱいに光と色彩が迸り、音楽は鳴り止まず、ナレーターが喋る声がそれにかぶさる。ぼくたちがすぐに気づいたのは、ナレーターの声は日本語でも画面に出てくる人々の声はすべて外国語だと言うことだった。画面の下に字幕が出ていたが、その時ぼくたちはそれを知らなかったし、たとえ知っていたとしても違いはなかっただろう。すべてがあまりにめまぐるしく進んだ。映像があまりにも細切れだったことも、ぼくたちを戸惑わせた。同時に何か肝心なことを言い忘れているかのようなナレーションや、画面上にやかましく踊る大きな文字からも奇異な印象を受けた。それはさかんに何かを仄めかそうとしていて、画面は常に何かとてつもないことが起きそうな予感に満ちていたが、それが何かは結局分からなかった。

 奔流のような光と音のスペクタクルは数分間続き、やがて「乞うご期待!」「近日上映!」などの文字とともに画面は暗転する。数秒間の沈黙を挟んでまた、同じような光と音の奔流が始まる。これがおそらく十回以上も繰り返されたあと、マイクを通した須藤さんの声が30分の休憩を挟みますと告げた。ぼくたちはロビーに出て、それぞれの興奮と戸惑いを隠そうともせず、たった今自分たちが観たもののことを語り合った。

 あの時、あの小さな島の中で、セピア色の古い世界の住人として生きていたぼくたちに、一体どうして知ることができただろうか。変わり者の須藤さんがとんでもない勘違いをして、映画の予告編を映画そのものだと信じ込んでいたことを。写真屋だった彼が夢にまで見た自分の映画館で実行したのは、古今東西の映画の予告編を、ただひたすら、立て続けに流し続けることだった。その間違いに気づく人間は誰もおらず、ぼくたちはこれが映画だと思い込んだ。そのようにして、ゴールデン・グローブ座は世界でただ一つの予告編専門映画館として営業を続けた。ぼくとぼくの何人かの友達はゴールデン・グローブ座の常連となり、暇さえあればポップコーンを頬張りながらスクリーンに見入った。

 もちろん、ぼくたちも最初は戸惑いを隠せなかった。ある時、ぼくは須藤さんに尋ねた、どうしていつも一番面白いところが画面に映らないのかと。すると須藤さんは答えた。「あとは観客が想像しなくちゃいけないんだよ。有名な映画監督はみんなそう言ってる。黒澤も、溝口も、フェリーニも。映画は何もかも全部を見せるものじゃない、大事なところは観客が想像するものなんだ」

 また別の時、ぼくたちは映画の最後に必ず出てくる「乞うご期待!」「近日上映!」の意味を尋ねた。すると須藤さんはこんな風に答えた。映画というのはどんどん続編が出来るんだ、次から次へと続きが出来て、終わることがない。あとからあとから、映画はつながって生まれてくる。過去から未来へと、そうやって永遠に続いていくものなんだ。

 そう、すべての映画芸術と同じように、ゴールデン・グローブ座もまた続いていった。島の人々は気晴らしに映画を観ることを覚えたし、ぼくたちは予告編だけの上映を違和感なく楽しめるようになった。それは実際、とても手軽でリラックスした娯楽だった。ぼくたちは好きな時に扉を開けて入っていき、細切れの短いフィルムを好きなだけ眺めて、いつでもまた好きな時に出てくれば良かった。しかしもちろん、今となってはゴールデン・グローブ座はぼくの記憶の中だけに存在するものだし、最初に書いたように、島の記憶と夢の記憶は時々区別がつかなくなる。あの頃のことを考えるといつも、歳月というものがすべて、どこに消えていくのだろうと不思議な気持ちになる。

 当然のことながら、島を出て間もなく、ぼくは須藤さんの大いなる誤解に気づいた。その時々の気分によってばかばかしさのあまり笑い出したくなったり、あるいは騙されたと思って苦々しい気分になったりした。正直に告白すると、彼の無知を軽蔑し、笑いものにした時期もある。しかし今ではそうは思わない。というのも、予告編で記憶している映画を実際に観てみると、大抵の場合失望の方が大きいことに気づいたからだ。映画はだらだらと長く、退屈な場面が多く、テンポがのろい。どうでもいいような人々が大勢出て来る。それに比べて、ゴールデン・グローブ座でぼくたちが観た映画は興奮の連続だった。それらがいかに簡潔で力強かったことか、それらがどれほど退屈からほど遠く、決してぼくたちを退屈させなかったことか。

 映画が芸術であるならば、映画の予告編だって芸術に違いない。それはむしろ映画本篇よりはなかく、刹那的で、虚無的であるだろう。それはあらゆる意味においてセルロイド的であり、ヌーベルバーグ的であるだろう。だから長い歳月を隔てた今、ぼくは躊躇なく言うことができる。ぼくたちがあのゴールデン・グローブ座のスクリーンを眺めていた時以上に映画が美しかったことはいまだかつてなく、また、今後もないのだと。



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