アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

松本清張傑作短篇コレクション

2007-11-15 20:34:09 | 
『松本清張傑作短篇コレクション(上・中・下)』 宮部みゆき編集   ☆☆☆☆

 松本清張のミステリはあまり真剣に読んだことがなかったが、宮部みゆき編集のアンソロジーが出たのでとりあえず上巻だけ買って読んでみた。そしたら面白かったので中、下はまとめて買い、読み終わる頃にははまっていた。

 松本清張にあまり興味がなかったのは中学生の頃に有名な『点と線』を読み、大して印象に残らなかったからだ。『点と線』はアリバイ崩しものだったと思うが、時刻表が出てきて、どの電車がどこで乗り換えだとか、何時発だとか、どのホームに何分停まっているとか、そういう、完全に私の興味の範疇外の事柄が熱心に語られるミステリだった。はっきり言って時刻表に関心などない。今でもない。大体頭が悪いせいか見方が良く分からない。鉄道ミステリというのが一時期はやったようだが、誰が読むのだろうと思っていた。

 それから松本清張といえば「社会派ミステリ」の始祖、というイメージがある。日本では一時期ミステリと言えば社会派という時期があったが、遊戯精神に溢れた本格物が大好きだった私は社会派が嫌いだった。ゲーム的な本格物を擁護する評論家が「日本では社会派ミステリばかりがもてはやされるが、何かといえば刑事がお茶漬けをかっこんだり、居酒屋で一杯ひっかけたりする社会派ミステリは貧乏くさくて、悠然とした遊びの精神が欠ける」みたいなことを書いているのを読んでフムフムと共感したものだった。そしてクイーンやクリスティーや刑事コロンボが大好きだった。まあ今考えるとそう単純なものじゃないが、しかし「くたびれた刑事がお茶漬けをかっこむ」というのはいいとこ突いてると思う。そういう紋切り型が社会派ミステリの中に存在したのは事実だと思うが、どうか。

 まあそういうわけで松本清張に縁がなかった私は、このアンソロジーを読んで「へえ、やっぱり面白いな」と感心した。とにかく色んなタイプの短篇小説が集めてある。ミステリとはいえないものも結構混じっているし、パズラーのようなミステリは皆無と言っていい。社会派の始祖だけあって、人間ドラマがメインである。そしてその人間ドラマ部分が異常に面白い。むしろミステリ的なオチをつけないで普通小説にした方が良かったんじゃないか、と思えるものも多い。それからまた、「ミステリ」の捉え方がとても幅広い感じがする。いわゆるミステリではあまりお目にかかれないような着想のミステリを読める。

 長いの短いの色々だが、私はやはり長い、じっくり書き込んだ小説の方が本領発揮できてると思う。人間ドラマ部分が濃厚になればなるほど面白いのである。スマートなオチがついた短い話も面白いが、じっくり書き込まれた作品と比べると物足りなさを感じる。上巻に収録されている中では「一年半待て」「地方紙を買う女」が評判が高いようで、確かに面白かったが、私はそういう意味では「真贋の森」が一番堪能できた。復讐のための贋作画家を養成する学者の話だが、この学者の屈折した復讐心の描写がとてもいい。ただし、最後があまりにあっけない。

 中巻が個人的には一番充実しているような気がするが、やはり長い「書道教授」がいい。これは謎めいた書道教室、主人公の銀行員がろくでもない女と不倫して泥沼にはまっていく過程、古本屋の女房の不倫、と三つのプロットが平行して進み、途中まではどう絡むのかなかなか分からない。特に書道教室が分からない。やがてこれらが関係してきて意外な方向へ進んでいくが、かなりユニークだと思う。最初から最後までスリリングだ。要するに主人公の銀行員がドツボにはまる話だが、この男どこか抜けていて、結構笑える。しかしこの男の不倫相手の女がもうとんでもない女で、また妙にリアリティがあるのである。恐い。

 「カルネアデスの舟板」も学者同士の嫉妬やお愛想、軽蔑心や優越感など、人間関係の絶妙な描写が冴える。やはりこういうところに松本清張の真価があると思う。そしてこの話も、ミステリ的などんでん返しのオチがあっけなく感じる。
 「空白の意匠」がまた面白い。これはミステリじゃなく、新聞社の広告部長があるミスのせいでスポンサーと代理店にひたすら謝りまくるという話。もう読んでいるこっちまで胃が痛くなってくるストレス小説である。ミスが広告部長のせいじゃないところがまた可哀想だ。さんざん胃が痛くなった挙句、ようやくほっとできたかと思ったところで奈落の底につき落とされる。この話のオチもどんでん返しだが、これは最高に決まっている。

 下巻はミステリではない普通小説がわりと多く収録されていて、そういうものもまた違う文学的な味があっていいが、私が好きだったのはミステリの「生けるパスカル」である。これは女房を殺す画家の話だが、例によって女房に抑圧されて逃げ場のない主人公の境遇がこれでもかと綿密に描写される。彼が、ああ、妻と別れられたらどんなにいいだろう、と慨嘆するシーンはもう苦笑いしたくなるほどに真情に溢れていておかしい。これも終盤までは濃厚な人間ドラマなのに、最後急に刑事コロンボみたいになってさくっと終わるのが今ひとつしっくり来ない。ひょっとして松本清張という人は、実はあんまりミステリに向かなかったんじゃないか。
 
 なんてことをこのアンソロジーだけで判断するのは早計だと思うが、とにかくさすがの面白さだった。こうやって色んなタイプの短篇をまとめ読みすると、作風も独特であることが分かる。宮部みゆきのチョイスも良いのかも知れない。
 


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2 コメント

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Unknown (ada greene)
2021-05-25 23:47:23
中学一年生の時、学校の図書室でクイーンやクリスティを読みあさっていた頃に、何故か清張の全集から一巻を借りて「一年半待て」「顔」などの初期の短編を読み、それからしばらくはどっぷりとはまり読み耽りました。今から思うと、12歳の僕にとって清張が紡ぐ大人の社会はきっとホラーだったのです。ウォルポールの「銀の仮面」を読んだ時と同様の戦慄を覚えたのでしょうね。懐かしく思いだされます。
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松本清張 (ego_dance)
2021-05-26 10:44:17
なるほど、あの底なし沼のような人間不信の世界は確かにホラーです。私もクイーンやクリスティを読み漁っていた頃に『点と線』を読み、あまりハマれなかったのですが、時刻表トリックではなく短篇を読めば良かったのかも知れません。今では大好きな作家ですが。
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