アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

幼女と煙草

2010-02-13 12:15:11 | 
『幼女と煙草』 ブノワ・デュトゥールトゥル   ☆☆☆★

 ミラン・クンデラが絶賛、の売り文句に釣られて買った本。幼女と煙草。かなり不思議なタイトルだが、その通り幼女とタバコを題材にした小説である。冒頭いきなり、死刑囚が死ぬ前の一服を要求したら刑務所の規則で煙草を吸える場所がない(しかし一服の権利は憲法で認められている)、と揉めている場面から始まる。洒落ている。ここに幼女まで絡んでくるのか、こりゃ面白そうだ、と何の躊躇もなくレジに直行したが、読み終えてみるとわりと微妙だった。

 要するに行き過ぎた禁煙志向、子供(弱者)礼賛を皮肉ったブラックなコメディである。ミラン・クンデラのいわゆる「キッチュ」の観念に通じるものがあり、そういう意味では面白かった。死ぬ前の一服を求めた死刑囚はマスコミと大衆に持ち上げられ名士となり、市の行政センターに勤める愛煙家であり子供嫌いである「ぼく」は、ふとしたきっかけで犯罪者の汚名を着せられ転落していく。「ぼく」は習慣的にトイレに隠れて煙草を吸っているが、そこを小さな女の子に見つかったので誰にも言うなよとおどす。すると女の子はそれを親に言いつけ、いつの間にか「ぼく」は女の子にいたずらしようとした変態、ということになってしまう。「ぼく」がバスの中でうるさい子供に注意したことや、パートナーとの間に子供を作りたがらないことなども「ぼく」の異常性、人格破綻の証拠とされる。それからはもう何を言っても相手にしてもらえない。市長も裁判官もジャーナリズムも、子供と嫌煙家の味方である。

 結構ドタバタ調で、「ぼく」が子供たちだけの裁判にかけられる場面もある。裁判官、検事、弁護士みんな子供なのである。裁判官の女の子が気分を害してふくれっつらをしたり、検事が論告でミッキーマウスのエピソードを例に引いたりする。面白いが、ちょっと風刺が勝ちすぎている気がしないでもない。ミラン・クンデラの小説のようなデリケートな多義性はここにはない。

 ただし、弱者が専制的な強者になるというテーマは相当やりにくいと思うが、この作家は滑稽さと残酷とエスプリのバランスを失わず、かなりうまく作っている。作者の「前向きな要素(健康、子供の保護、メディアなど)がかつて見られた圧政のやり口と同じぐらい乱暴な暴虐行為にどうやって姿を変えるのか。また、以前は権力と支配という名のもとに振るわれていた暴力が、今日どうやって善と正義の名のもとに行使されるのか。これは現代のひとつの特徴だと僕は思っている」という認識には、完璧に共感できる。

 ちなみにテーマこそ共通点があるが、スタイルの点でかけ離れた本書を本当にクンデラが絶賛したのかな、と疑問に思っていたら、クンデラが絶賛したのは著者の短篇集だったらしい。裏表紙の折り返しに書いてある著者の略歴で分かった。帯の文句は「ミラン・クンデラが絶賛する著者の問題作」と書いてある。なるほど、本書を絶賛したのではなく、著者を絶賛したのだったか。まあ確かに嘘じゃない。が、なんだか騙されたみたいですっきりしない。


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