アブソリュート・エゴ・レビュー

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詩人と狂人たち

2016-10-20 07:52:20 | 
『詩人と狂人たち』 G. K. チェスタトン   ☆☆★

 再読。チェスタトンといえばブラウン神父だが、これはガブリエル・ゲイルという詩人兼画家が探偵役の短篇集。

 しかしこれが果たしてミステリと呼べるのかどうかは、議論の余地がある。訳者あとがきによれば、ある批評家はこれはとても推理小説とは呼べないと言ったらしい。訳者は異論を唱えているし、まあ広義の推理小説には含められると思うが、少なくとも通常のミステリ小説ではないことは確かだ。ブラウン神父譚もかなり独特の形而上学的カラーがあるが、ガブリエル・ゲイルの探偵譚はそれ以上であり、神秘主義的という域に足を突っ込んでいる。

 画家詩人のガブリエル・ゲイルはきわめて奇矯な人物で、実際的なことにはまったく不向きと自称する一方で、自分は狂人の思考が分かるという。だからあたり一面の足跡を見て(普通の探偵のように)この人物がどこに行こうとしていたかは分からないが、あたり一面に手の跡があったら、なぜこの人物が逆立ちをしていたかは説明することができるという。これがガブリエル・ゲイルの探偵作法なのである。

 従って彼がかかわる事件は普通の犯罪ではなくどうしても狂気じみたものになり、ひいては哲学的なものになる。本書収録の作品で扱われる二項対立テーマは狂気と正気、詩人と実際家、神と悪魔(あるいは無神論)、神秘主義と合理主義、といったところだ。こういう言葉が頻出するし、こういう議論が頻出する。そしてゲイルが関与する事件も必ずしも犯罪でないものも多い。一見犯罪に見えたが実はそうでないもの、つまり関係者が奇怪な行動をとったがゆえに犯罪のように見えてしまったものもある。

 そしてそういうものを「実際家」が実際的に解決しようとしてもうまくいかず、ガブリエル・ゲイルがとんでもない逆説を唱えて真相を言い当ててしまう、というのが本書の大まかなフォーマットである。逆説はブラウン神父も得意とするところだが、ゲイルの逆説はさらに奇怪で、根拠となる事実もかなりこじつけ気味だ。どう考えてもロジカルではない。そういう意味で、これはミステリではないという批評家がいるのも分かる。一方で、最初に謎が提示されゲイルの逆説によって真相が判明するのだからミステリだという意見もあるだろう。あえてミステリのジャンルに含めるならば、ガブリエル・ゲイル譚は幻想的ミステリと呼ぶのが適当だろう。

 となると、本書の面白さは当然ながらゲイルの逆説の冴えにかかっているのだが、正直私にはそれほど大したものには思えない。事件の見てくれがガラリと逆転するところはさすがチェスタトンと思う部分もあるものの、神学生が自分を神だと思い込みそうになるとか、詩人が平凡な商人の人生に憧れるとか、背後の説明がまだ稚拙で、どことなく机上の空論じみていてさほど面白くないのである。ただし、このような形而上学的ミステリで面白いロジックを構築するのは、普通のミステリで物理的トリックを考案するよりもはるかに難しいだろう。ボルヘスやディーネセン並みの幾何学的精神が必要になってくる。チェスタトンももちろんそういう精神の持ち主なのだが、本書よりもやはりブラウン神父譚の方がより鮮やかに決まっている。そういう意味では、本書はまだチェスタトンのミステリ作法が洗練される前の、形而上学的ミステリの原液のような作品集といっていいと思う。

 尚、犯罪事件そのものが少ない本書だが、「鱶の影」だけは不可能犯罪を扱っている。浜辺で死んでいる被害者のまわりに足跡がない、という一種の「雪の密室」ものである。ブラウン神父ものの一篇にしてしまっても違和感がないアイデアだが、特に傑作というほどでもない。



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