アブソリュート・エゴ・レビュー

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シルビアのいる街で

2011-07-07 20:50:14 | 映画
『シルビアのいる街で』 ホセ・ルイス・ゲリン監督   ☆☆☆☆

 日本版DVDで鑑賞。ビクトル・エリセ監督絶賛ということで入手した。

 それにしても、相当ユニークな映画である。こんな映画今まで観たことがない。まあなんというか、これといって何も起きないというか、きれいさっぱり何の説明もない映画である。これといって何も起きない映画は他にもあるが、この映画はそれをさらにおし進めた感じだ。映像は確かに美しい。美しい町、美しい青年、美しい女性。特に主役の青年と途中で出てくる女性はとても美しく、目の保養になる。

 最初映画が始まると、何も起きない情景の長回しがずーっと続く。たとえば青年がホテルの部屋でじっと考え込んでいるところとか、街角とか。これまでは「何も起きない映画」といっても、カットだけは普通に移り変わっていくものだった。しかしこの映画では、視点を固定して何てことない情景をずーっと映しているのである。いきなり、なんじゃこりゃ、と思った。

 シルヴィアを探している、なんてぼんやりした設定すらかなり後にならないと分からない。青年はカフェに座ってただ客たちの表情を眺めている。時々ノートを開いてスケッチする。それがずっと続く。ほんとにこのまま何も起きないのかと思った。で、いつ中断してもいいやと思いながらぼーっと見てると、それでもやがてミステリが生まれ、ちょっとしたスリルが生まれてくる。青年がある女の後をつけるのである。こいつは何をしているのか。ナンパか。人探しか。モデルを探している画家志望者か。追いかけられている女は誰か。これから何が起きるのか。

 まあここから後は書かないが、さほど劇的なことは起きないとだけ言っておこう。説明もなし。オチもなし。が、観終わった時は意外と満足感があった。少なくとも、美しいと感じさせる映画だった。私は気に入った。が、ミニマリスムの極致みたいな映画なので観客を選ぶことは確かだ。退屈で見ていられない、という人もいるだろう。だから斬新でユニークな美しさを持った映画だとは思うが、☆五つ付けるには躊躇してしまった。

 DVD特典の監督の話を聞くと、できるだけ要素を排除した、この映画は白紙であり、観客の想像に委ねられている、排除して排除してそれでも残るものが大切だ、加えるより排除することを小津映画から学んだ、などと語っている。それからまた、テーマは重要でない、世界との関係性、手法に美学がある、とも言っているが、これは私も共感できる。もちろん監督が映像世界をどう捉えるかというメタフィクショナルな方法論のことなのだろうが、物語の中における作中人物と世界の関係性にも同じことが言えるだろう。つまり、ここにはプロットはなく、シチュエーションだけがある。ある種のシチュエーションのもとでは、なんでもない動作や情景がポエジーを獲得することがある。この映画で設定されている、6年前に会った女性を探している、というシチュエーションは魅力的だった。ここで観客が体験させられるのは、つきつめれば、理由も経緯も分からずただある女性の面影を追うという状況、それだけである。

 こういうシチュエーション、コンテキストの中に作品性を追求する態度は、アントニオ・タブッキの小説と共通するものがあるように思う。

 単純と抽象を志向する画面は美しい。とはいえ、同じ人物や場所が何度も出てきたり、すれ違いをしたりと、微妙な茶目っ気もあってそこが面白い。ひたすらストイックなだけという映像ではない。ミニマリスムという点ではジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』あたりとちょっと似ているが、こっちの方がもっと無色透明で、ドキュメンタリー風の生々しさがある。あそこまで「物語」していない。虚実すれすれの感じだ。そして先に書いたように、ジャームッシュの画面では何も起きなくても常に人物が存在するのに対し、この映画では背景しかうつっていない場面も多い。

 しかし私は自宅でDVDで、退屈したらいつでも中断できる状態でぼーっと見たから良かったが、これが映画館だときついかも知れない。最後まで観るのが大変だったという人の気持ちも分かる。逆に、いつやめてもいいと思いながら見ていると、意外とずっと見れてしまうんじゃないだろうか。まあ何にせよ、独特の美しさと手法を持った監督だとは言える。この人がまた映画を撮ったらぜひ観てみたい。


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