アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

回転木馬のデッド・ヒート

2017-06-30 21:52:00 | 
『回転木馬のデッド・ヒート』 村上春樹   ☆☆☆☆

 『めくらやなぎと眠る女』に続いて、もう一冊村上春樹の短篇集を読了。こちらはアンソロジーではなくオリジナル短篇集。作者が序文で、これは小説ではなく全部本当の話だと書いているが、果たして本当だろうか。そういって実は全部創作ということもありそうなので、眉につばをつけて聞いた方が良さそうだ。いかにも村上春樹が書きそうな短篇ばかりだし、たとえば「野球場」の登場人物が書いたことになっている短篇を後に村上春樹が「蟹」というタイトルで発表していたりもする(『めくらやなぎと眠る女』に収録)。

 おそらく、どれも小説じゃなく本当の話のスケッチですよと書くことで、作品を「小説」という縛りから解放しようとしたのだろう。つまり起承転結もなく、説明も謎解きもありませんよ、だってスケッチですから、というエクスキューズを最初から読者に出して、楽に読んでもらおうとしたに違いない。

 さて、そういう「スケッチ集」であるところの本書、個人的に特に印象に残ったものを挙げると、「レーダーホーゼン」と「タクシーに乗った男」の二篇になるだろう。いずれも良くできていて、かつ、『めくらやなぎと眠る女』のところで書いた「村上春樹短篇作法」の典型的パターンである。まず「レーダーホーゼン」を例にとると、題材となっているのは不思議な人生のなりゆき(=母親の不可解な離婚)である。そして、短篇に書かれた出来事とその結果の因果関係がはっきりしない。レーダーホーゼンというアイテムが優れた象徴としてこの短篇の中心で存在感を主張しているが、これも何の象徴かはっきりしない。そしてそのイメージとファクトのみを説明抜きでぽんと放り出し、短篇は終わる。ただなんとなく、言葉にできない不条理な人生のもやもやっとした印象だけを残して。

 ちなみに、レーダーホーゼンというはドイツ製のズボンのことらしい。こういうさらっと持ってくるアイテムの不思議さ加減が、いかにも村上春樹らしい。

 「タクシーに乗った男」もよく似たストラクチャの短篇だ。まず、人生のもやもやを表現する中心的アイテムとして、一幅の絵が登場する。とても意味ありげで、主人公である女性の人生に強い影響を及ぼす絵である。その絵との出会いが短篇のメインとなる部分で、終わりの部分に、かなり年月がたってからの後日談がつく。その後日談はいかにも村上春樹らしい、ちょっと現実から遊離したありそうもない話である。そこで、何かが終わった、という感覚とともに一つの教訓が導き出される。「人は何かを消し去ることはできない、消え去るのを待つしかない」という、これまたきわめて抽象的な教訓である。アイテムやエピソードの因果関係はここでも曖昧であり、曖昧なまま読者に呈示される。重要な出会いがあり、人生への影響があり、終わったという感覚もあり、教訓もあり、しかしすべてが曖昧。この組み立てとぼかしのバランスが絶妙だ。

 「レーダーホーゼン」と「タクシーに乗った男」の二篇は、おそらく村上春樹最良の短篇群に属するものだと思う。その他は個人的にはまあまあレベルだった。「雨宿り」は金を払って寝る仕事をした女の話、「野球場」はストーキングの話。さっき書いたが、「野球場」に登場する人物が「蟹」という短篇を書いたことになっていて、「蟹」のあらすじだけが紹介される。これはかなり不気味な短篇で、ちゃんと読みたい人は『めくらやなぎと眠る女』を買いましょう。

 ちなみにクノップフ社のアンソロジーには本書から、「レーダーホーゼン」が『象の消滅』に、「ハンティング・ナイフ」が『めくらやなぎと眠る女』に、それぞれ採られている。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (サム)
2017-07-02 22:30:45
お察しのとおり、この短編集の作品は全部創作だと作者が後に語っております。
僕はこの頃の春樹氏の、当たりはずれの差が激しい&素人臭いけど新鮮な作風がけっこう好きで、『回転木馬のデッド・ヒート』も大昔に読んだのですが、このレビューを読んで、あらすじのほとんどが頭に残ってないということが分かりました。新鮮な気持ちで再読しようと思います。。。
返信する
全部創作 (ego_dance)
2017-07-08 10:11:04
ははあ、やっぱりそうでしたか。それでしれっとあんな序文を書くんだから、やっぱり曲者ですね。でもそのおかげで面白い読書体験ができたと思います。記事に書いた通り、「レーダーホーゼン」と「タクシーに乗った男」はかなりイイです。
返信する

コメントを投稿