アブソリュート・エゴ・レビュー

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セールスマン

2017-06-26 22:39:53 | 映画
『セールスマン』 アスガー・ファルハディ監督   ☆☆☆☆☆

 『別離』のファルハディ監督の新作『セールスマン』がiTunesレンタルに出ていたので鑑賞。『別離』に続き二度目のアカデミー外国語映画賞(カンヌでは脚本賞と主演男優賞)を受賞している。妻が何者かに襲われる話と作品紹介に書いてあったので、なるほど訪問してきたセールスマンに襲われるのか、と思ったら全然違った。

 主人公は役者の夫婦で、二人は同じ劇団に所属し、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』の公演に向けて稽古中。住んでいるアパートが倒壊しそうになったので、劇団仲間の紹介で新しいアパートに引っ越す。ところが前のテナントは素行不良の娼婦であることが判明、置きっぱなしの荷物も取りに来ず、捨てたら訴えるなどと言ってきてトラブる。そんなある夜、呼び鈴が鳴ったので夫が帰ってきたと思ってドアロックを解除し、そのままバスルームに入った妻を誰かが襲う。妻は顔にケガをするが、警察には届けたくないと言う。妻と夫、そして劇団の友人たちと、この事件が周囲に波紋を広げていく…。

 見事なまでにファルハディ監督作品のパターンである。非日常的なイヤーな事件が起き、それによってだんだん人間関係が軋み、あるいはヒビが入っていく。それをドキュメンタリー・タッチの映像で、きめ細かなリアリズムでやる。この映画では警察に届けないので法執行機関による捜査や裁判所は出て来ないが、人間関係はどんどん軋んでいく。まずはアパートを紹介した劇団仲間との諍い。あんなテナントがいたアパートを紹介しやがって。なんで隠していた。隠していたわけじゃない、金なら返すぞこの野郎。友人とのこんなやりとりである。しかも一緒に舞台をやっている。舞台の上でおれを侮辱しやがって。喧嘩になる。

 実になんとも、厭である。それからこれも避けがたい、夫婦間の不和。お前が警察に届けないっていうから、おれは何もできないんだぞ。大体なんで相手も確認せずロックを解除した。あなただと思ったのよ、仕方ないじゃない。夫婦の気持ちは、どんどんズレていく。この人間関係の軋み、日常の営みがいちいちヒリヒリして来る感じはファルハディ監督の独壇場である。生々しく、リアルで、どっと疲れる感じに神経をすり減らされる。

 そして終盤、『別離』や『ある過去の行方』と同じようにあるきっかけで急速にミステリー化し、犯人探しが始まる。きっかけは、犯人が乗り捨てていったピックアップ・トラックが姿を消したこと。犯人が戻ってきてまた乗っていったのだ。ここから夫による犯人探しが始まり、事態は二転三転する。そして、意外な真相が判明するクライマックスに至るが、この場面は相当にスリリングである。これまでのドキュメンタリー・タッチときめ細かな諍いの描写が結実し、まさに自分が当事者としてその場に立ち会っているような錯覚と緊張感を観客に与える。息苦しい。もう、たまらないレベル。

 そして最後は、報復するか、赦すか、という重たい問いにすべてが収斂していく。なるほど、これは報復ではなく赦すことが大切という無難なところに着地するんだろうな、というか、それ以外に映画として終わらせようがないだろうな、と思って観ていたら、結構冒険的な終わり方をしたので意外だった。なるほどこう来たか。しかしこれはますます後味が悪いぞ。はっきり言って、メッチャ後味悪いやん。もう、全部が全部裏目に出てしまいましたやん、というたまらない結末である。この夫婦はこの後どうなるんだろう。しかしそんな観客の戸惑いをよそに、映画は容赦なく終わっていく。さすがファルハディ監督。

 さて、タイトルの「セールスマン」はもちろん、劇団で上演するアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」から採られている。この劇中劇はファルハディ監督のこれまでの映画にはなかった試みで、この舞台の稽古、そして上演の光景が物語の中に繰り返し挿入されることで、夫婦の心理をさらに立体的に照射する結果になっている。この試み、私は成功していると思う。

 それにしてもファルハディ監督の映画って、毎回毎回イヤな話ばっかりだ。本当にこういう話が好きなんだなあ。



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