アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

われはラザロ

2016-04-05 22:46:10 | 
『われはラザロ』 アンナ・カヴァン   ☆☆☆☆

 アンナ・カヴァン名義の最初の短編集『アサイラム・ピース』を読みたいと思って八方手を尽くして調べたが、どうしても入手できない。絶版になっていて、各種古本サイトで調べても見つからない。そういうわけでやむなく二冊目の短篇集『われはラザロ』を購入したのだが、なぜ『アサイラム・ピース』だけ絶版なのだろう。駄作だからというなら分かるが、むしろネットではこれこそカヴァンの最高傑作という書評を複数見かけるのである。解せない。

 さて、そういうわけで入手した『われはラザロ』だが、訳者あとがきによれば『アサイラム・ピース』に親しんだ読者が読むと驚くのではないか、というぐらいカラーが違うらしい。カヴァン自身が戦争中にロンドンの病院で働いた経験が色濃く反映されているというのだが、確かに、冒頭の数篇はすべて病院を舞台にした作品だ。病院といっても大体精神病院で、患者の精神を歪める、あるいは強制的に眠らせる、あるいは意志を奪う、といった体制側の暴力や非人間的な管理がテーマになっている。オーウェルの『1984』のような世界観である。カヴァン独特の憂鬱なムードは味わえるが、風刺色が強すぎるのが難点だ。

 それから、カヴァンでよく言われる「カフカ的」な短篇がある。船で出国しようとするがなぜか出ていけない「あらゆる悲しみがやってくる」、現像に出していた写真が手に入らない上に、意味も分からず辱められる「写真」、そのものずばりの不可解な役所手続きや訴訟が出てくる「われらの都市」などがその系統だろう。それからまた、一層謎めいた短篇群がある。「天の敵」「ある経験」「ベンホー」「わたしの居場所」などがそうで、これらは不条理寓話というより更にプロットが曖昧であり、ただカヴァン独特の凶兆と不安感が濃厚に漂っている。何が言いたいのか、結局何だったのかも、しばしば分からないまま終わる。私がカヴァン作品中もっとも惹かれるのはこの類である。これらのミステリアスかつ不安な短篇の数々には、どこかコルタサルに近い味わいがあるようにも思う。

 また、あとがきで「ホラー的」と表現されている「カツオドリ」は謎めいているというよりも寓話的な小品だが、カヴァンならでは世界観を如実に示す傑作だと思う。崖の上で子供たちがカツオドリを眺めているとカツオドリが襲って来る、というだけの話なのだが、最後のパラグラフで物語全体を一気に観念のオブジェと化し、世界のありようと直結させてしまう唐突な、しかし鮮やかな転換の手際が見事だ。あれがなければ、この小品は単なる悪夢的な情景のシュルレアリスティックなスケッチというだけだっただろう。そうした短編を書く作家は他にもたくさいるが、あの最後のパラグラフを書ける作家はなかなかいない。『居心地の悪い部屋』に収録されていた傑作「あざ」も、その背筋が凍るようなイメージ喚起力と鮮やかな場面転換の切れ味が圧巻だったが、同じタイプの短篇だ。

 おそらくこの、「カツオドリ」の最後のパラグラフに集約される世界観こそが、カヴァン文学のミソではないだろうか。彼女が描く悪夢的情景の数々はすべてメタファーであり、その根底には世界のありようが狂っている、あるいは絶望的なまでに残酷である、との認識がある。この認識に立って世界に切り込んでいくのがカヴァンの小説なのだ。この時、世界のありようへの肉薄が足りないといささか常套的な怪奇譚になってしまう。そういう意味で、この短篇集に収録された作品のクオリティには多少ばらつきがある。

 もう一つ、カヴァンの短篇を読んでいるとどうしてもまたカフカを読みたくなってくる。やはり、似ているんだな。



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