アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ある夜、クラブで

2007-05-21 00:37:34 | 
『ある夜、クラブで』 クリスチャン・ガイイ   ☆☆☆☆

 日本に旅行した時、まったく予備知識なしに衝動買いした本。タイトルと装丁、ちらっと立ち読みして文体が気に入ったことが購入の理由だったが、これは当たりだった。印象こそ小粒だが、好きなタイプの作家だ。

 基本的に二日間のプライヴェートなエピソードを綴るラヴ・ストーリー。話としては一応悲劇的な展開をするが、だから悲しい小説かというとそこは微妙で、哀しさとともに不思議な幸福感も漂っているという、なかなか玄妙な味わいがある。淡々としたスローな叙述と控えめな抒情性も魅力的で、どことなく私の大好きなアントニオ・タブッキを思わせるところがある。アントニオ・タブッキが書いたラヴ・ストーリー、というと大体の印象が分かるのではないか。まあ、そこまで言うとほめ過ぎかも知れない。しかし本当にタブッキがこんなラヴ・ストーリーを書いてくれたらなあ。

 表紙に使われているのはビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』のジャケットだが、これからも分かるようにジャズが大きなテーマとなっている。主人公のシモンはかつてのジャズ・ピアニスト、今はエンジニアである。仕事である町を訪れ、夜遅くなってジャズ・バーに連れられていく。そこでジャズの演奏を聴き、昔の衝動がよみがえり、久しぶりに封印していたピアノを弾いてしまう。それを聴いたクラブの女主人=シンガーのデビーとの間に、大人の恋愛感情が生まれる。シモンは帰らなければと思いつつホテルにとまり、翌日も帰りを遅らせてデビーと過ごす。一方、シモンの妻シュザンヌは不安に駆られ、彼を迎えに車を走らせる。車は事故に遭い、シュザンヌは病院に収容される。そしてシモンが駆けつける前に死んでしまう。後日談として、シモンはデビーと再婚する。

 悲劇的だが、特にどうということのないプロットである。一夜の恋愛譚であり、一人の女が夫の不倫がきっかけで死んでしまう話。こういう話だとシモンが悔恨のあまり激しく悲嘆にくれることになりそうだが、この小説ではそうならない。それどころか、彼は友人である「私」に、あの日一瞬であるがシュザンヌが死んでくれたらと願ったことを告白し、死んだシュザンヌに感謝の念を覚えさえするのである。

 なんてひどい男だ、と女性読者は思うかも知れない。確かに普通に考えれば結構ひどい。けれどもこの小説の不思議に瞑想的なトーンが、それを一つの「恩恵」として成立させている、と私は感じた。これは私が男だからだろうか。人が死んでもそれは大きな神秘の一部であり、運命的な何かであるという感覚が漂っており、激しい感情を伴う愁嘆場はこの小説には似つかわしくない。そういうところもタブッキに似ている。シモンはデビーを愛しながらシュザンヌも愛したと感じるが、これらの愛は不思議な色を帯びている。この本のエピグラフは<何か後悔してるかって、この僕が? いいや、と彼は言った。>で、献辞は「シュジーただひとりのために」となっている。不思議だ。

 ちなみにこの小説では会話が「」でくくられず、地の文に溶け込んでいる。これもタブッキっぽい。静謐さと瞑想性をもたらしている。

 小説の語り手はシモン、シュザンヌ夫妻の友人である「私」。ストーリーは基本的に二日の出来事を淡々と時系列に追っていくが、時折先に飛んでシモンとデビーが結婚した話とか、「私」がデビーに会った時のことが顔を出したりする。そしてまた何気なく当日の話に戻るのだが、この時空の飛び方がなかなか気持ちいい。また事件の結果を先に明かしてしまってからその経緯を述べたり、叙述にも結構凝っている。

 シモンとシュザンヌが飼っていた猫のエピソードでこの小説は終わるが、この終わり方がまたさりげなく詩的でうまい。猫は高速道路で行方不明になるが、百キロ以上離れたシュザンヌの霊安室に姿を現し、彼女と一緒に眠っているところを発見されるのだ。それがラジオで放送され、「私」の妻が猫の名前を「私」に聞く。

 なんてことないプロットでありながら、魅力的なディテールと多義性に満ちている。佳品である。他にも翻訳が出ているようなので読んでみたい。


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